INTERPRETATION

第149回 ご指名

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「今度の通訳業務もぜひシバハラさんにお願いします。」

そのようなご依頼をエージェントから頂くと、心から嬉しく思います。前回の通訳パフォーマンスを評価していただけた、クライアントさんにご満足いただけたことは通訳者冥利に尽きるからです。私の場合、フリーランスで仕事をしていますので、先約がなければこうしたご指名は必ずお引き受けしています。

ところで過日読んだ新聞に興味深い記事がありました。家電の買い方が変わってきたという内容です。

本文によると、最近の消費者は非常に買い方が慎重なのだそうです。まず、希望の品物についてネットで調べます。そして量販店へ出向き、店頭で価格をチェックします。さらに販売員の説明を聞きながら、スマートフォンで価格比較サイトを確認するとのこと。そしてその店頭より安いサイトがあればそちらから買うか、その値段をスタッフに話して価格交渉するのだそうです。記事の結論は「スマホは必携」でした。

インターネットもスマホも本当に便利です。いつでも買い物ができますし、お手頃価格にありつくこともできます。アベノミクスで景気上向きという見出しが躍る一方、まだまだ一般市民の財布のひもは固いのかもしれません。それゆえに「いかに賢く買うか」も大事なのでしょう。

けれども私は価格「だけ」で買うことにどうしても躊躇してしまいます。むしろ、サービスを提供してくれるスタッフが素晴らしければ、価格はあまり気になりません。その販売員が誠実でにこやかで、自分の仕事を心から愛している、そんな雰囲気の方に出会えると、それだけで「ここに買いに来て良かった!」と思います。

日本には「お得意様」という言葉があります。そのお店をごひいきにしている方たちです。買う側はそのお店を大事にし、売る方もそのお客様に対して精いっぱいサービスをする、そんな図式を指します。物の売買というのは単に価格だけではありません。そのお店の誠意を表すのはスタッフ一人一人です。消費者との間に信頼関係が生じるからこそ、ビジネスは成り立つのだと思います。

「マニュアルさえしっかりしていればサービスは提供できる」という考えがかつてはありました。どのお店に行っても、同じようなフレーズで歓迎され、販売促進中の商品を勧められ、決まった角度でお辞儀される。そんな応対が目立ちました。一見したところ丁寧です。けれども心がこもっているかと言えば、必ずしもそうとは限らないのです。

本来サービスということばはserve、つまり「奉仕する」という意味から来ています。心から相手を思い、お役に立ちたい、喜んでもらいたいといった気持ちがサービスを提供する際には求められるのでしょう。

そうしたことを改めて心に刻みながら、ご指名に応えるべく努力を続けたいと思っています。

(2014年1月27日)

【今週の一冊】

「図説世界の文字とことば」町田和彦編、河出書房新社、2009年

ソチ五輪まであとわずか。スポーツの祭典として人々の期待が高まる一方、放送通訳の現場では現地の安全面でのニュースが入ってくる。ソチ近郊はロシアの中でも民族問題が複雑に存在する。

本来であれば、スポーツは民族を超えて人々を団結させる。しかしそう容易にいかないからこそ、長い年月を経てもなお解決の糸口が見えないのであろう。グルジア、オセチア、チェチェンなど、紛争のニュースでその地名を見た人も多いと思う。

私は放送通訳現場で地名が出てくると、真っ先に地図で確認する。ネット上ではなく、紙の地図帳を使う。全体像の中でどのような位置にあるのか、どういった地形か、鉱物資源やパイプラインはどこにあるか。カラー版の地図帳は多くのことを教えてくれる。

それと合わせて宗教や文化、言語などにも注目する。今回ご紹介するのは世界の文字を解説した一冊。単にことばの説明だけでなく、アルファベットや街中の看板なども掲載されている。英文アルファベットばかり仕事で見ている私にとって、まったく解読できない芸術作品のような文字は見ているだけで楽しい。

ちなみにグルジア文字はギリシャ文字の系譜とのこと。アルファベットは33文字あるという。一覧を見ても私にはすべて同じように映る。おそらく日本語を学ぶ外国の方々も、このような気持ちを最初は抱きながら、懸命に勉強するのであろう。その努力には頭が下がる。

アムハラ語、テルグ語、ヨルバ語、カンナダ語など、カタカナだけではどの地域の言葉か分からないものもある。本書をパラパラめくると細長いもの、丸いもの、かわいらしいものなど実に多岐にわたる。英語英語と学習の必要性が唱えられる昨今だが、世界にあるのは英語だけではない。文字を通じてことばと文化について考えさせられる一冊だった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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