INTERPRETATION

第178回 あえて「英語を勉強しない」という選択

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

女性誌の場合、「片づけ」や「ダイエット」を特集で組むとよく売れるそうです。確かに大掃除のころになると片づけ特集が目立ちますし、お正月明けにはダイエットが取り上げられていますよね。他にも手帳術や貯蓄なども定期的に出てきます。

一方、以前のビジネス誌といえば株投資や業界研究が特集になっていました。けれどもここ数年は「英語特集」が増えているように思います。今年初めのビジネス週刊誌のいくつかは英語を大々的に取り上げていました。社内英語公用語化やグローバル化、TOEICテスト対策など、私たちの日常には「英語」が常に君臨(?)しているように思います。

「英語が好きで、英語で情報入手をするとワクワクし、新しい単語に遭遇すればすぐに辞書を引くことに快感を覚える。」そのようなタイプの方であれば、英語は日常生活に潤いをもたらしてくれます。英語を一つの手段として自分の世界が広がることほど楽しいことはないからです。

けれども「イヤイヤやらされ感」で英語とお付き合いしている学習者も少なくありません。昔から英語は苦手なのに、会社の昇進条件として英語がドンと提示され、資格試験で高得点を取れなければ上の役職に就けないというケースもあります。あるいは、「自分は理系が得意だから技術者として入社した。なのになぜ今更社内で英語が公用語化に?」と、突然の企業方針転換に戸惑う人もいることでしょう。

その企業で働き続けるという選択をしたのであれば、あとはどのようにして条件をクリアするかを考えなければなりません。けれども自分のライフステージや環境が許すのであれば、今とは異なる人生を歩むというのも立派な選択肢だと私は思います。

そしてもうひとつ。

「英語を勉強しない」という選択を否定してはならないと私は考えます。たとえば通訳学校に長年通っているものの、「通訳者になる気もなくなってきた。でもせっかくここまで進級したのだし・・・」という方もいることでしょう。辞めてしまうのはもったいないという気持ちです。一種の「惰性」で学び続けてきた場合、続けるのも辛いし辞めると罪悪感が出てきそうという心境なのかもしれません。その気持ちはよく分かります。

しかし、私たちの人生は一回しかありません。「自分の取り組んでいることが楽しくて、それが大好きで、携われるだけで幸せ」という考えでいた方が日々豊かに生きていけると思うのです。その逆、つまり「辛くて大変でつまらない」となってしまえば、私たちは貴重な時間を奪われてしまうことになります。

「周囲が勉強しているし」という焦りもあるでしょう。でもそこで「自分は自分」と割り切れれば、案外何とかなります。私は未だにスマートフォンを持たず、いわゆる「ガラケー」を使っていますが、特にスマホの必要性を感じないため、周囲が持っていても気にならなくなりました。必要が出てくれば切り替えると思いますが、そうでない限り現状で満足です。英語学習もこれと同じだと思うのですね。

もし今、英語の勉強で煮詰まっている方がいらしたら、一度少しだけ英語から離れてみてください。そして自分が好きなことに思い切り取り組んでみてください。そちらに方向転換するもよし、リフレッシュして再度英語学習に戻るもよしです。要はどうすれば自分が幸せになれるか、ということだと思います。

(2014年9月1日)

【今週の一冊】

“An Autobiography” Anthony Trollope, Oxford University Press, 2009

読書のだいご味は何と言っても「芋づる式」に次の本との出会いがあること。今回ご紹介する一冊もそのようにして巡り合ったものである。恥ずかしながらAnthony Trollopeという名前はイギリス在住時に耳にしたぐらいで、詳しくは分からなかった。小説家ということだけは、ロンドンの書店の棚に並んでいた書籍を思い出しながらぼんやりと認識していた。

本書はトロロープの自伝で、生い立ちから仕事、さらに作品について書かれたものである。なぜ本書を読もうと思ったかというと、先週の本コラムでご紹介した”How to Write a Lot”の中で著者のシルビア氏が言及していたからだ。文章をたくさん書くには、とにかく規則正しく執筆時間を設定し、コツコツと書き進めるのが一番、というのが氏の主張であった。その中の一例として紹介していたのが作家トロロープの執筆姿勢である。

トロロープは郵便局員として働くかたわら、書くという作業を地道に続けた。「15分間で250ワード書く」と心に決め、それを厳守している。郵便列車の中でも書き続けた様子を次のように記しているのが印象的だ。

“I made myself therefore a tablet, and found after a few days’ exercise that I could write as quickly in a railway-carriage as I could at my desk.”

今でこそ「タブレット」というカタカナ語は誰でも分かるが、当時のtabletはおそらく平らな板ではないかと思われる。そこに紙を載せ、揺れる郵便列車の中で一心に書く作家の様子がこの文章からは思い描ける。

もう一つ参考になるのは「記録をとること」。トロロープは作品ごとに手帳を作り、一日の執筆ページ数を記録していった。そして怠け心が出てきた際にはこの手帳を見返し、発奮していたという。必ず締め切りを守り、しかも締め切りの遥か前に原稿を納品できる状態にしていたとも記している。

“A small daily task, if it be really daily, will beat the labours of a spasmodic Hercules.”

ギリシャ神話における最大最強の英雄ヘラクレスでも、spasmodic(発作的な)で仕事にムラがあるようでは目標を達成することはできない。現在、書店に並ぶ数ある自己啓発本よりも、本書から私は大いなる刺激を受けることができた。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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