INTERPRETATION

第193回 2015年に向けて

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「通訳者のひよこたちへ」は毎月5週目が休載です。よってこのコラムも今回が今年最後の分となります。クリスマスや年末を控え、周りも華やいだ感じがしますよね。

以前私は一年の始めに「その年の目標」を掲げていました。あるセミナーに参加したのがきっかけです。それは時間管理に関する内容でした。何かを達成したければ長期目標を設定し、それを中期・短期目標に分割し、週や日々のやるべきことに落とし込むというものです。5年後・10年後に自分は何をしたいのかとを考える良いきっかけとなりました。

当時私は「放送通訳者としてさらに経験を積む」「指導の機会を増やす」などを目標として掲げました。「本を出す」に関しては、共著という形で少し関わることはできたものの、「単著」はまだです。その頃は本をとにかく出したいとガツガツしていました。

具体的な目標があったころは年初の計画づくりにも気合が入っていました。

しかし、こと2014年に関しては「for the sake of 計画づくり」はしなかったのです。

「息切れしてしまった」というのが正直なところです。「自己啓発ブームにくたびれた」という部分もあります。「誰のための、何のための計画かが分からなくなった」という点も挙げられます。計画づくりが「ワタクシ中心」になってしまい、それに違和感を覚えるようにもなりました。ゆえに今年は明文化した計画がないまま12カ月を過ごしたのです。

プランがまったくない1年は自分にとってどのようなものだったでしょうか?今、改めて振り返ってみると、「計画がない=ダメダメ状態」というわけではなかったように思います。

確かに長期目標が漠然としている分、チェックリストをすべてクリアしたような日々ではなかったかもしれません。しかしだからと言って自分が費やしてきたこの52週間が無駄になったとも思えません。時間の経過を意識し、目の前のことに集中したのは事実ですので、それだけで「自分は懸命に生きた」という感があります。真剣勝負で臨んだ。そう思えればそれで良しと思えるのです。

今年も放送通訳の現場ではたくさんのニュースに遭遇しました。内戦が続く国々、病気の蔓延、貧困問題、世界の子どもたちの現状など、一つ一つのニュースから多くのことを私は考えさせられました。その度になぜ自分は日本という国に生まれることができたのだろうと思います。画面の中に映し出された悲惨な状況に見舞われた人々と、私を分け隔てるこの差は何なのかを考えます。

シフトが終了すると空調のきいた快適な同時通訳ブースを離れ、私は職場を後にします。ボーっとしていても身の危険を感じない安全な東京の街を歩き、食べ放題のお店の前を通りがかり、格安のファッションショップを目にしながら私は家路につきます。途中立ち寄る書店には自己啓発本があふれ、「今のままで良い」という本と「変わらなきゃダメ」という書籍タイトルが目に入り戸惑います。

「英語が好き」という恵みを与えられ、放送通訳や指導という仕事の機会を頂く私にできることは何か。生きていく上で自分はどうあるべきか。そのようなことを考えながらこの一年が終わりつつあります。来年も自分のあるべき姿を静かに考えつつ、毎日を丁寧に生きたいと思います。

皆様にとっても2015年が幸せに満ちた年となりますように。

(2014年12月22日)

【今週の一冊】

「ジーニアス英和辞典 第5版」南出康世編集、大修館書店、2014年

2014年最後にご紹介する一冊は「ジーニアス英和辞典 第5版」。2006年の第4版から8年が過ぎ、待望の新版が発行された。

このコラムでも何度か書いてきたが、私は紙の辞書が大好きで、今でも自宅ではもっぱら紙版を愛用する。長所を挙げ始めたらきりがないのだが、紙版の良さは何と言っても一覧性があること。視認性に優れているがゆえに、実は電子辞書等よりも早く熟語や語義を探し当てることができる。そういう意味では人間の「目」はデジタル時代であっても実は優れた器官であると改めて思う。

第4版も十分使いやすかったが、やはりことばというのは生き物だ。新語の掲載や、使い勝手の改善などが今回の刊行の背景にある。巻末には図解事典もついており、教室や車、人体などの図説は見ているだけで楽しい。

大修館書店の月刊誌「英語教育」1月号には第5版発行に関する特集も組まれている。それによると「英語教育」の連載コラム「Question Box」がこれまでの版同様、辞書編纂には活用されたそうだ。このコラムは読者が英語表現に関して質問をし、有識者が答えるというもの。新しい用法などへの丁寧な解説が施されている。それらが第5版に反映されているのは嬉しい限りだ。

私は英語の辞書を買う際、指針となる単語がいくつかある。一つはcheekyで、これまでの辞書には「生意気な、厚かましい」という語義しかなかった。一方、私は息子をイギリスで出産したのだが、周囲が生後数か月の息子に対して “You have a cheeky smile!”と言うのを何度も耳にした。ニュアンスとしては「かわいい」という感じなのに、なぜか辞書にはそうした説明がなく、何とも腑に落ちなかったのだ。どうしても解明したくて「Question Box」に質問をしたこともあったほどだ。

幸い第5版ではcheekyの語義に「時にかわいさを表す」という注釈が加えられている。おそらくこのニュアンスを追記した辞書はジーニアス第5版が日本で初めてではないだろうか。新しい意味を勇気をもって紹介するジーニアスに敬意を表したい。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END