INTERPRETATION

第196回 不思議な出来事

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私は日ごろかなり速く歩きます。おそらく幼少期に暮らしていたイギリス時代も影響を及ぼしていると思います。イギリスでは周りの人たちがサッサと歩いており、それが私の体に染みついているのかもしれません。異国の地でのんびりボーっと歩いて隙を見せてはいけないという思いも潜在的にあったのでしょう。

先日も普段通りに大学での仕事を終え、家路につきました。この日もいつもと同様の歩調です。左の方から学生と思しき人たちがふざけていたのかバタバタと走っている音は聞こえていました。「何だか楽しそうだなあ」とその様子を想像していた途端、柱の陰から男子学生がダッシュで出てきて私にぶつかってきました。

あまりにも一瞬の出来事でした。その勢いはものすごく、私は跳ね飛ばされてしまったのです。

その瞬間に思ったのは「頭だけは守ろう」ということでした。地面はコンクリートです。頭を打つまいとした私は右半身を打ち付けました。右足の付け根と右ひじに猛烈な痛みが走ります。右手に持っていたカバンは吹き飛び、近くの茂みに落ちました。

その男子学生と友人と思しき人が「すみません、すみません!大丈夫でしたか?」と言いながら私を起こしてくれました。一方の私は意識もあります。右半身も特に骨が折れた様子はありません。落ちていたバッグをその学生から受け取り、無事を確認した段階で「大丈夫ですよ。でも気をつけてね」と声をかけてその場を私は後にしました。

むしろ私が気になったのは自分のけがのことよりも、新調したばかりの白いコートへの汚れでした。駅までの間ざっと見たところ問題なさそうです。「そういえばさっき吹き飛んだバッグも先日買った白バッグだったっけ」と思い、見てみました。茂みの中に落ちたものの、こちらもドロなど付かずに済んでいます。さらに気がかりだったのは左手のビジネスバッグに入れておいたマグカップ4つでした。その日は授業の前に雑貨店に立ち寄り、カップを手に入れていたのです。こちらも無事でした。

とは言え、やはり気になります。ちょうど近くにホテルがありましたので、ロビーでもう一度確認しました。コートを脱ぎ、バッグを置き、カップも点検です。じっくりと見てみたのですが、やはりどれもすべて大丈夫でした。あれほど強い衝撃を受けて地面に倒れたのに、何一つ問題なしということが私にとっては奇跡のように思えました。

その時思ったのは「私で良かったなあ」ということでした。

もしご高齢の先生で打ち所が悪かったら骨折してもおかしくなかったと思います。小さいお子さんであれば確実に跳ね飛ばされていたでしょう。それぐらいの衝撃でした。それなのに私はけがもせず、お気に入りのコートやカバンも無事です。何かに守られていたと思わずにはいられませんでした。

今回の件から私は次のことを学びました。一つ目は「どんなに気をつけていても災難は起こりうる」という点です。私は日ごろから事故などに遭わないよう意識はしているのですが、それでもハプニングは起こり得ます。それはもうタイミングとしか言いようがないのでしょう。慎重さは持ちつつも、こうして何かが起きた際にはその場でベストを尽くすしかありません。

とは言え、教訓として次に挙げられるのは「細心の注意を払うべき」ということです。今回の件でも学生たちがバタバタと走っている音は事前に聞こえていたのです。「もしかしたら柱の陰から人が出てくるかもしれない」と考え、自分の歩調を緩めたり、周りを見渡したりということはできたはずです。五感を使って自分の身を守る必要性を感じました。

そしてもう一つ。「無事でいられたのは日ごろから通うスポーツクラブのおかげ」ということでした。瞬発力を鍛え、病気やけがをしないような栄養や休養、体力作りなどの意識を持ち続けられたのもスポーツクラブのおかげです。これからもきちんと通おうと思ったのでした。

数日たった今、多少打撲の痛みはありますが元気です。私にとっては無傷だったことがいまだに不思議な出来事として残っています。

(2015年1月19日)

【今週の一冊】

「おいしい!オーブン料理 ほったらかしで、できあがり」濱田美里著、ソフトバンククリエイティブ、2007年

このコラムを始めてから数年たつが、考えてみたら今までレシピ本の紹介はなかったかもしれない。ということで今回取り上げたのがこちらの一冊。

慌ただしい日々を送る人々にとっては何とか時間短縮にしたいというのが本音であろう。私もそんな一人だ。本書で紹介されるレシピはいずれも手間がさほどかからず、オーブンに入れてセットするだけで出来上がるというもの。「オーブン=ケーキ焼き用」にとどまらないようにするためにも、こうしてフル活用できればレパートリーも増えると思う。

本書の最大のポイントは「ほったらかし」という、副題にも出てくるキーワード。私の場合、仕事に出かける前にササッと下ごしらえをして、そのままオーブンに入れたままにする機会が本書のおかげで増えた。扉さえ開けなければかなり保温はされる。よって帰宅後はそのままいただくも良し、レンジで少し温めるのももちろんアリだ。

ところで本書をアマゾンで検索すると「大型本」という表示が出てくるが、サイズはA4よりも小さいのでご心配なく。レシピ本をキッチンで開いたままにする際、私は楽譜に使う「ページオープナー」を愛用している。ネットで「譜面ページ開き止め」と検索するとヒットするアイテム。こちらでレシピ本を固定しながら調理している。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学・順天堂大学非常勤講師。 上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。 ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 NHK「世界へ発信!ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。 ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。

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