INTERPRETATION

第207回 他者との共有

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

CNNの放送通訳をしていると、いろいろな話題が出てきます。大半を占めるのは世界情勢、つまりニュースですが、それ以外にも芸術やエンタテインメント、宇宙や医学にスポーツなど、多様なトピックがお目見えします。最大かつ最強の予習方法は私の場合、「新聞を読むこと」。一朝一夕で即時効果を期待できる勉強方法はないのですね。毎日コツコツと、それこそサッカー日本代表・岡崎慎司選手のことばを借りれば「泥臭い努力」を積み重ねることになります。

海外ニュースを日本で聴いても、あまりに距離的にかけ離れている場所だとピンと来ないかもしれません。私もこの仕事を始める前まではそうでした。アフリカや南米の国名を言われても「どこ?」という状態。地理的な場所を知っていても、その国の文化や歴史まではわからなかったのです。高校時代に世界史を履修しましたが、受験が終わればあっさりと忘却の彼方に行ってしまいました。今でもわからないことだらけですので、仕事で「遭遇」するたびに高校生向けの世界史教科書や図録を引っ張り出しては勉強する日々です。

さて、先日興味を抱いたのはイギリス王室のニュースでした。王位継承順位第2位のウィリアム王子夫妻に赤ちゃんが生まれたのは数年前のこと。ジョージ王子誕生以来、ますますロイヤル・ファミリーのニュースが増えているように私は感じます。その日に出てきたのはウィリアム王子の弟君・ヘンリー王子でした。ちなみに日本では「ヘンリー王子」と報道しますが、海外のニュースではPrince Harryです。

4月上旬、イギリス陸軍に所属するヘンリー王子は業務のためオーストラリアに入りました。市民の大歓迎を受けていたときのこと。ある女の子がスマートフォンを掲げて王子との「自撮り」をしようとしたのです。そのとき王子が「セルフィー(自撮り)はよくない」と諭したのでした。「撮影するなら普通に撮って」と。

ヘンリー王子の世代ならセルフィーは当たり前だと周囲は考えるでしょう。何しろ、マンデラ大統領の追悼式典で某国首脳たちが自撮りをするような時代です。けれども王子はそうでなかった。「自分はセルフィーが嫌い」と語る様子もニュースでは映し出されていました。

私はスマートフォンを持っていませんので、セルフィーの便利さや魅力はよくわかりません。でも通常のカメラ並みに今はスマホの性能も良くなり、誰もが気軽に撮影を楽しめるのはとてもありがたいと感じます。ただ、将来たとえスマホを入手したとしても、果たして自分はセルフィー機能を愛用するかなあとそのとき考えたのでした。

と言うのも、私は昔から旅先などで集合写真を撮っているグループを見ると、つい「お撮りしましょうか?」と言いたくなるのですね。私自身が、「せっかく集合写真を撮るなら、交代しながら時間をかけて撮影するより、全員が入った1枚を素早く撮った方が効率的」という考えがあるからです。要はせっかちなのです。

ただ、それ「だけ」でもありません。グループ全員が被写体になっているのを私がカメラのレンズを通して撮影する。その瞬間、見知らぬ相手の方々と私はほんの数秒間だけ同じ空間を共有することになります。「思い出のための一枚」を共同で作成しているわけです。レンズの向こうはみなさん笑顔。素敵な表情を向けていただけて私も幸せな気持ちになれるのです。

デジタル化が進み、機械のおかげで他者に頼らなくても自分でできる時代が今目の前に繰り広げられています。そのような時代だからこそ、私は「他者との一瞬の共有」も大切にしたいと思うのです。

(2015年4月13日)

【今週の一冊】

「ひとりぼっちを笑うな」蛭子能収著、角川oneテーマ21、2014年

久しぶりに一気に読み終えた本。今回この本を見つけたのは全くの偶然で、オビに出ていた読者の感想が購入のきっかけとなった。

近年、SNSの発展はすさまじく、誰もが最低一つはアカウントを持っていると思う。フェイスブックやツイッターなどを通じて長年音信不通だった友人とネット上で「再会」できるのはうれしいことだ。

私は昨年8月までフェイスブックを使っていた。「いた」という過去形にしたのは、現在退会しているからである。加入していたころはさほどヘビーユーザーではなかったので、別にフェイスブック依存状態だったわけではない。ただ、私の心が弱いため、ついつい他人のことが気になってしまい、時間がないのにフェイスブックをチェックするという状況が続いていたのである。そのことが次第に重荷になってしまい、退会を決めた。

今の時代、ビジネスもフェイスブックを通じて行われるので、あえてそれに逆行する私のような態度は少数派だろう。けれども今回蛭子さんの本を読み、すべてを周りに合わせようとしたり、それに窮屈な思いをしたりということは別にマストではないのだと感じた。

今日の上記コラムで私は「他者との共有」を好むと記した。しかしそれと同時に私は大人数でワイワイ集まるより、一対一も好きだ。そしてそれ以上に一人で行動することをもいとわない。映画館やカフェ、美術展やウォーキングなど一人でも存分楽しめるタイプだ。これは好みの問題であり、「大人数=良し」「一人=孤立」という図式でないと私は考えるからだ。大勢の中にいるのに孤独感を抱くぐらいなら一人で楽しめる方が幸せだ。

「適当にわがままに生きていていいように思う」「いまいる状態を自分がイヤだと思うなら、まずは自分のほうから動かないといけない」とつづる蛭子さん。これからの時代、私たちに求められるのは同調圧力をはねのけられるパワーだと私は思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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