INTERPRETATION

第216回 批判への対処法

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の準備は毎回が受験勉強さながらです。自分にとって未知の分野であれば、まずは知識そのものを吸収することから始まります。不明内容を徹底的に調べ上げて理解し、専門用語を日本語と英語で瞬時に口に出せるようにするなど、脳への吸収および瞬発力の訓練もしていきます。お客様は必ずしも教科書CDのような英語を話すとは限りません。最近はノンネイティブ話者も増えていますので、そうした発音にも聞きなれるべく、耳のトレーニングもしていきます。著名な話者であれば著作を取り寄せて読み、You Tubeで動画も確認します。ありとあらゆる準備をした上で本番の当日を迎えるのです。

しかしここまで徹底的に備えても、それがすべて通訳現場で報われるとは限りません。自分では最大限の準備をしたつもりが、ヤマが外れるということもあり得ます。当日までどれほど体調を万全に整えていたつもりでも、当日になって突然、具合が悪くなることもあります。一度通訳業務をお引き受けしたらドタキャンは許されません。たとえ気分が悪くてもそのようなことはおくびにも出さず、当日を乗り切るしかないのです。「体調管理も仕事のうち、給与のうち」だからです。

通訳という仕事はある意味で舞台俳優やオペラ歌手に似ているかもしれません。そうした芸術家たちは、その日の演目のために徹底的にセリフを覚え、役者になりきり、舞台上での動きも体に染みこませるため、まさに全身で仕事をします。替えがきかない業務であるがゆえ、俳優や歌手たちは相当のプレッシャーを感じながら日々過ごしていることでしょう。それでいて評論家にいろいろと評され、場合によっては厳しい意見も書かれたりしますので、大変な立場にいると思います。これは芸術家に限ったことではありません。政治家や企業のトップも同様で、本人としては最善の努力をしていても、きつく非難されることがあります。厳しく批判する者ほど本人の立場に立って考えることを往々にして忘れているのですが、批判される側はそれでもなお、そうしたプレッシャーに耐えなければならないのです。

通訳業務の場合、さすがにそこまでの批判にさらされることはありません。しかし自分がその日、お客様のお役にたてたかどうかは本人が一番わかっています。きちんと訳せたか、意味をとらえられたか、会議の進行が円滑にいくような時間配分を心掛けたか、聴衆が理解しやすい声や話し方・ことば選びだったかなどを通訳者たちは一日の終わりに自己採点します。順調にいった日は帰路の足取りも軽くなりますが、自分でも納得のいかない通訳をしてしまった場合は通訳ブースの外に出ることすら怖くなります。駅までの道のりでセミナーの参加者が「いやあ、今日の通訳はよくわからなかったねえ」などと言うのを耳にしてしまったが最後、自尊心は完全に失われてしまいます。

それでもなお、この仕事を続けようと思うのであれば、そうした批判にも耐えなければなりません。実力不足は他でもない、自分の責任です。そうしたプレッシャーがあっても、通訳という職業が好きで自分が選んだのであれば、そこから自分なりに教訓を得て前に進むしかありません。他者の評価に落ち込むだけでは一歩も前進できないからです。

先週紹介した精神科医・神谷美恵子先生はこう記しています。

「言われる事の内容から思い当たる事あらば、そしてそれが改良し得るものならば、改良する事。」

通訳の場合、「自分の実力不足」と認識できたなら、あとは勉強するしかありません。それが「改良」ということになります。私たちは批判をされると「批判された」という事実に落ち込み、場合によっては「批判した人物」を恨んだりしかねません。けれども大事なのは批判や悪口を憂うのではなく、改良できることがあればそのことに集中して改めていくしかない、ということなのです。

(2015年6月22日)

【今週の一冊】

「江田島海軍兵学校 世界最高の教育機関」德川宗英著、角川新書、2015年

戦後70年を迎える今年は集団的自衛権や安保に関する話題が新聞でもよく見られる。70年という数字は大きな節目であるが、その一方で戦後世代が増え、戦争そのものが今一つ実感しづらいものになっているような気もする。私は放送通訳者という仕事柄、連日どこかの国で紛争が起こっているというニュースをひたすら訳しているので、小さなきっかけが積み重なり、気が付いたら内戦になっていたという状況を目の当たりにしている。戦争は「せーの」と掛け声をかけて当事者同士が戦うのではない。小さな事々がひとつひとつ沸き起こり、それがいつの間にか大規模なものになってしまうのである。

本書は第二次世界大戦中、広島県江田島市にある海軍兵学校で学んだ体験を記したもの。著者の德川宗英氏は御三家・田安德川家の第十一代当主である。戦争中は御三家出身であれ、宮様であれ、訓練をしたり指揮を執ったりという時代だったのだ。

兵学校というと相当厳しいのではとの印象がある。江田島ももちろん厳しさはあったのだが、戦時中に校長を務めた海軍大将・井上成美はリベラルな考えを持ち、兵学校における悪しき伝統を撤廃し、教養を重んじ、人格形成に注力した。

ページをめくっていくと、兵士である前に人間として正しく生きるにはどうすべきかが文章から伝わってくる。私にとって中でも興味深かったのは、当時行われていた英語教育に関する記述だ。物資の少ない中、学生たちは英英辞典を支給されていたのだという。当時は敵性言語として英語が日本から撤廃されていた時代だ。しかし、江田島では「敵の言語を知らなければ戦いには勝てない」という理由から英語の授業が行われていたのだ。井上成美は「外国語を理解する力を持つことは、感覚を一つ余分に持っているのと同じだけの利益がある」とも述べている。

目次を見ると「思考力を養うための八カ条」「国際人として恥ずかしくないふるまい」「環境は人をつくる」など、今の時代でも大いに必要なことが書かれている。読み進めるにつれて自分の背筋がピンと伸びる、そんな感覚を私は抱いた。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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