INTERPRETATION

第251回 平常心の保ち方

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

東日本大震災から5年が経ちました。あの大地震の際にどのような状況にいたのか、皆がその記憶をたぐりよせた3月11日だったと思います。復旧・復興は着実に進んでいますが完璧とは言えません。いまだに苦しい環境に置かれている方たちは大勢いらっしゃいます。マスコミ報道からこぼれ落ちてしまった方々や場所があることを、私たち一人一人が意識していきたいと思います。

日本はもともと自然災害に見舞われる国ですので、一つの天災から教訓を得て、それを次の防災へとつなげてきました。残念ながら世界の国々が皆そうとは限りません。東日本大震災の数年前には中南米のハイチで大地震が起きました。ほかにも中国や台湾、トルコ、ネパールなどで地震が発生しています。そうした国ではもともとインフラがぜい弱であったり、国の予算が潤沢でなかったりというケースもありますので、その場合復興もなかなか進みません。以前、キヤノンの御手洗富士夫会長が「日本は防災技術を輸出産業にすべきだ」とおっしゃっていました。日本だからこそできる貢献に、もっと政府も本腰を入れると良いのではと私も思っています。

さて、5年前のあの日、私は放送通訳のシフトでCNNのスタジオにいました。その日はペアの通訳者と30分交代で、私は後半30分の担当だったのです。大きな揺れが生じたときには通常番組を同時通訳していました。その数日前から何度か大きめの地震が発生していましたので、心の準備はそれなりにできていたのでしょう。14時46分のあの瞬間、私の中では「怖い」という気持ちよりも、いかにして「通訳し続けるか」という思いが浮上しました。目の前にあるPCスクリーンが倒れないよう両手で押さえるべく立ち上がり、そのまま画面を見ながら通訳していたのを覚えています。

日ごろ私は突発事態になるとついつい焦ってしまい、「ゼーハー、ゼーハー」するタイプです。たとえば自宅に夕方戻った際、早く夕食を作らねばと、いわゆる「テンパる」状態になるのですね。そういうモードになると語気も強くなってしまい、つい子どもたちへもパシパシした言い回しをしてしまいます。それを敏感に察知した子どもたちもそこでテンパり、兄妹で言葉の応酬がとげとげしくなり・・・という悪循環になってしまうのです。そのたびに反省です。

ところが、こと「仕事」となると私の場合、スーッと心が落ち着くように思います。なぜなのかはわかりませんが、おそらく「何としても落ち着いた声でお客様に通訳をして差し上げたい」という思いがあるからだと考えます。ただでさえ同時通訳現場というのは緊張感でいっぱいになりますので、逆にこれ以上テンパってしまうと自分の身が持たなくなります。ですのでそれを防ぐための「自己防衛」としてあえて冷静になるのかもしれません。

通訳の授業をしていると、「どうすれば緊張せずにいられますか?」という質問をよく受けます。私自身、長年この仕事を続けていてもマイクのスイッチを入れるときは非常に緊張します。教壇に立つときも同様で、「今日の授業はうまく進められるかしら?」と思うととてもドキドキします。「緊張しない秘訣」があるなら私が知りたいほどなのですよね。

ただ、このようにも考えています。「緊張感は悪ではないのだ」と。神経を研ぎ澄ませて最善の訳出をするためには、適度な緊張感はむしろ必要だと私は思うのです。「アガる」必要はありません。ただ、緊張感を失えば姿勢も悪くなり、発声への意識も行き届かなくなります。そうなってしまえば、最善の商品をお客様に届けることはできなくなり、お役に立てなくなってしまうのです。

通訳現場で必要なのは、そこそこの緊張感と平常心でしょう。平常心を維持するには、今の状況を冷静に見つめることと、良い意味での「あきらめ・達観」を意識することです。今更ジタバタしてもどうにもならない以上、今与えられた環境でベストを尽くすにはどうすべきかを考えるのみなのです。

大震災のさなかに同時通訳を続けられたのは、おそらく私の中で「地震が起きて揺れてしまった以上仕方がない。あとはどうすればベストのちからを発揮できるか」ということだったのだと思います。今後はこの平常心をプライベートの場面でもしっかりと意識して暮らしていきたいと考えています。

(2016年3月14日)

【今週の一冊】

“If Life is a Game, These Are the Rules” Cherie Carter-Scott, Broadway Books, 1999

本を買う際、私はいくつかの「選定ポイント」を持っています。タイトルや著者名などはもちろんですが、表紙の装丁や本の大きさ、文字のフォントなども気になるのですね。今回ご紹介する一冊は表紙に魅了されて入手したものです。

著者のシェリー・カーター・スコット氏はアメリカの人気セミナー講師です。この本はすでに日本語に翻訳されており、「小さなことから自分が変わる―あなたの人生がうまく行く10の大切なルール」と題して三笠書房から出ています。あいにく今は絶版のようですが、古書店や図書館であれば読めるはずです。原書の方は紙版および電子書籍版で入手できます。

紙版の方は表紙がツルツルとしていてさわり心地が良く、少し古風な英文フォントが関心をそそります。ページをめくると全部で10のルールが出ており、生き方の指南が記されています。ありのままを受け入れること、無理に変えようとせず素直に認めること、自分を尊重することなどが文言として出てきます。

どうすれば私たちは苦しみから自由になれるか。その答えとして本書に書かれていることはごく一般的かもしれません。けれども私たちは悩みに直面するとどう行動すべきかわかってはいるものの、ついついグチグチ・ウジウジしてしまいます。だからこそこうした行動指針をあえて文字で読むことが大事だと私は考えます。

色々と印象的なフレーズはあったのですが、中でも次の一文が心に残りました。

Focusing on the unfairness of circumstances keeps you comparing yourself with others rather than appreciating your own special uniqueness. You miss out on learning your individual lessons by distracting yourself with feelings of bitterness and resentment.

おそらく大半の悩みというのは、「比較すること」から来るのではと思います。他者との比較、過去の自分との比較などにより、私たちは辛くなってしまうのですよね。比べてみじめになるぐらいなら、そこからどういう教訓が得られるかをひたすら考える方が一歩前に進めることになります。その大切さに気付かされた一冊でした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学・順天堂大学非常勤講師。 上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。 ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 NHK「世界へ発信!ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。 ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。

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