INTERPRETATION

第283回 電子辞書あそび

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私の知り合いの先生で「携帯電話が苦手」という方がいらっしゃいます。このようなご時世ですので仕方なく持ち歩いてはいるものの、出先にまで電話やメールが追いかけてくるのが嫌なのだそうです。自宅から一歩出たら自分で物事を考えたい、だから何かを引きずられるようなことはしたくないのだとおっしゃっていました。

実は私も同感です。通訳業に携わっていながらいまだにスマートフォンも持たず、モバイルPCも購入していません。ここ数年は放送通訳業にほぼ特化しつつありますので、スタジオ内のPCで間に合っているのが大きな理由でもあります。携帯電話は昔ながらのガラケーですが、私にはこれで十分です。移動時間は私にとって書籍や資料を読んだり、あれこれ考え事をしたりする貴重な時間と今やなりつつあります。

ごくたまに移動中、何もすることがなくなるときがあります。新聞も本も読み終えてしまい、とりたてて仕事準備をする必要もないときなどです。そのようなとき、私は電子辞書を取り出してはもっぱら「遊んで」います。

中でも最近のお気に入りは「例文検索ボタン」の活用です。私が愛用する電子辞書のトップ画面は「複数辞書検索」で、そこには「例文検索」というボタンがあります。これは電子辞書内に搭載されている辞書すべてが検索の対象となります。キーワードを入れればその単語を使った例文が一気に網羅されるのです。

目下私が好んで表示するのは、オックスフォード英英辞典とロングマン英英辞典の例文です。英和辞典の例文も参考になるのですが、英英辞典の場合、学習者でもわかりやすいような英文が練られており、読み応えがあるのですね。

最近検索でハマったのは地名です。たとえばSaitamaと入れたところ、なんとロングマンではprefectureの例文としてSaitama prefectureがありました。ChibaもYokohamaもKawasakiも出ていないのに、なぜかSaitamaだけはあるのです。編集者はSaitamaにゆかりがあるのでしょうか。

これに味をしめて(?)、今度はサッカー・プレミアリーグのチーム名を入力してみました。するとイングランドのArsenalでは例文が24個もあったのです。辞書編者はきっとアーセナルの大ファンなのでしょうね。例文も”Arsenal rules OK”などのスローガンから、他チームとの試合結果を表す例文まで色々と出ています。おおむねアーセナルが「勝った」という前提の文章が見られますので、やはりこの部分を執筆した担当者はアーセナル好きだと推測できます。

かつて私は航空会社に勤めていたこともあり、それではと次に航空会社名を入れてみました。すでに日本から撤退しているギリシャの「オリンピック航空」や、数年前に「英国航空」から「ブリティッシュ・エアウェイズ」に社名変更をしたBAもロングマンには出ています。例文を読みながら「懐かしい~」とつい心の中で歓声をあげてしまいました。

ちなみにロングマンの場合、自動車会社のトヨタやホンダは出ています。メーカーでは日立、ソニー、韓国のサムスンもありました。自分のなじみのある固有名詞や単語を入力して例文を検索する。そしてその例文をきちんと読み、語義も確認することは、自分の興味にのっとった「楽しみながらの英語学習」になると私は感じています。

(2016年11月14日)

 

【今週の一冊】

「ビリービンとロシア絵本の黄金時代」 田中友子著、東京美術、2014年

みなさんは書店や図書館を日ごろ活用なさっていますか?「本の調達はもっぱらネット書店」「最近は電子書籍で読むことが多い」など、本との関わり方もここ数年で大幅に変わってきました。本は自分の知らない世界をもたらしてくれる「きっかけ」であり、「知識の扉」だと私は感じます。人それぞれ自分に合った方法で書物と一生お付き合いができればと思います。

以前の私は書店へ出かけても「チェックする棚」はたいてい決まっていました。雑誌コーナーでは最新のタイトルを確認し、あとは興味のある語学コーナーや文庫、新書の棚を見て必要なものを買って書店を後にしていたのです。一方、あまり足を踏み入れなかったのは理工系、法律、文化芸術のエリアでした。もちろん、時間があるときはそうしたところもくまなく見ていました。けれども日々の生活があわただしくなると、そこまで余裕が出なくなってしまったのですね。

ここ数か月は勤務先の大学図書館で本を借りることが増えました。良書がそろっており、コンパクトにまとまっていることから最近はヘビーユーザーです。学生たちのために司書のみなさんが厳選した書物が大学図書館には並びます。よって、棚の間を歩いていても飽きることがありません。

今回ご紹介するのは、そのような「ブラブラ図書館さんぽ」で見つけた一冊です。今月末にロシアの音楽をクラシックコンサートで聞く予定があることから、私の頭の中では「ロシア」と曲名「火の鳥」がキーワードとして常にありました。そのような状態のときというのは、物事もうまくアンテナに引っかかってくれるようです。

ビリービンは19世紀のサンクトペテルブルクに生まれた画家であり、ロシアの昔話絵本で一躍有名になりました。その絵のタッチはアールヌーボーを彷彿させるものであり、細部にまで美しさが施されています。ビリービン自身はロシアの政情不安を受けて一時期亡命し、のちに帰国したそうです。その理由は「金銭的理由」とも「愛国心」とも言われています。

本書はビリービンの絵本原画を始め、グラフィックデザインや舞台芸術の絵など、美しい作品がカラーで掲載されています。絵をじっくり見ると、当時のロシア文化や人々の暮らしぶりがわかります。ビリービンは北斎の浮世絵の影響も受けており、当時のジャポニスムや日露関係などを想像することもできます。

他文化を知るには活字だけの書物が手段とは限りません。こうした視覚的なものからも様々なことを私たちは知ることができるのですよね。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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