INTERPRETATION

Vol.79「フリーランス通訳者の道へ」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

本日は通訳者の松林由香さんに2度目のハイキャリアインタビューを受けていただきました。松林さんはいくつかの会社でインハウス通訳を経験された後、2023年4月よりフリーランス通訳に転身されました。すでに4月、5月はほとんどお仕事でスケジュールは埋まっているそうです。ハイキャリアの読者の中には、近いうちにフリーランスの通訳者を目指している方も多いと思います。順調にフリーランス通訳者としての第一歩を進まれた彼女に、その秘訣を伺いしたいと思います。

一度目のインタビューはこちら(Vol.54 「敷居の低い通訳者を目指します!」 – ハイキャリア (hicareer.jp)

工藤:お久しぶりです。本日は2度目のハイキャリアインタビューをお受けいただき、大変ありがとうございました。一度目でも伺ったのですが、改めて松林さんと英語との出会いについて教えてください。

 

松林:子供の頃に父の仕事の関係で2度にわたり海外で生活をしました。2歳から4年間をアラブ首長国連邦のドバイで過ごし、現地の幼稚園に通っていました。その後一旦帰国しましたが小学校4年生から卒業までを南アフリカのヨハネスブルグというところで暮らしました。帰国して日本の大学に進学しましたが、大学3年生の時に交換留学でイギリスに行き、また大学卒業後もイギリスの大学院に進学しました。

 

工藤:本当に長い期間海外で過ごされたのですね。そして私と松林さんの最初の出会いは、まだ大学生の時でしたね。

 

松林:そうです。大学の先生から「あるエンターテイメント現場で通訳ができる人を探しているから応募してみたら?」と紹介を受け、軽い気持ちで面接を受けに行きました。そこで当時コーディネーターとして働いていた工藤さんと初めて出会ったんです。はるか昔のことですね。

 

工藤:もう25年以上前のことだと思いますが、私も松林さんに会った日のこと、昨日のことのように覚えています。第一印象はとても明るい子だなと思いました。

 

松林:ありがとうございます。当時は大学の授業もあったので、同じ大学の友達と1週間を二人で分担して週に2~3日働くことにしました。

 

工藤:最初に通訳現場に行かれた時はどうでしたか?

 

松林:事前に工藤さんから膨大な資料が送られてきたのですが、まずその資料の多さに圧倒されました。短期間で全部覚えることはできないし、資料を現場に持ち込むこともできず、不安を抱えたまま当日を迎えました。従業員スタッフが乗るバスに、一人で乗って現場に向かったのを覚えています。

 

工藤:不安だったんですね。今振り返ると本当に申し訳ないことをしました。同行すればよかったと思います。今は通訳者とクライアントの初顔合わせと仕事の初日には必ずコーディネータ―が同行しています。当時はあまりに忙し過ぎて現場に付き添うだけの余裕はありませんでした。行先だけ伝えてどんどん現場に送り出していましたね。

 

松林:最初に私が担当した方は、岩だけを専門にされている外国人のロックアーティストでした。岩の種類を現場の職人に伝えるための通訳でしたが、固有名詞が分からず顔面蒼白になりました。ざらざらしたとかツルツルしたとか形容詞でしか伝えられず、大きな挫折でした。現場が終わると帰り道に工藤さんから電話いただいて「今日の現場はもう明日は来なくていいって」と告げられました。たった1日でクレームが出たんです。しかし工藤さんは「でも次の案件があるから大丈夫。明日から次の現場に行ってください。次は屋内だし楽だと思う」と続けて依頼してくれたんです。

 

工藤:後にも先にも松林さんにクレームが出たのは、この時だけです。次の現場ではうまく続きましたよね?

 

松林:そうですね。楽しく大学卒業までお仕事させていただきました。大学卒業後はイギリスの大学院に進学しました。大学院卒業後は日本に帰国し、社会人の経験を積むために一般企業に就職しました。仕事はそれなりにやりがいもあり楽しかったのですが、もう一度通訳をしたいという思いが日に日に自分の中で大きくなっていきました。きっと大学時代の通訳体験が忘れられなかったのだと思います。

 

プロの通訳者を目指したいけれど、具体的にどうやったらその道に進めるのかわかりませんでした。その時ふと大学時代にお世話になった工藤さんのことを思い出したんです。独立されたことをお聞きしていたので、ご相談に伺いました。工藤さんに相談してみようと思ったのは、学生の時にクレームが出てもすぐに次の仕事をご紹介いただいたことで、とても安心感がありました。

 

 

工藤:連絡をいただいた時はとても嬉しかったです。まだオフィスを立ち上げたばかりで、最初の広尾のオフィスにいらしていただいたんですよね?もう23年前になりますね。

 

松林:時の経つのは本当に早いですね。私もあの日のことはよく覚えています。工藤さんは「何ができるか分からないけどとりあえず仕事を探してみる。何か見つかるまで、うちでコーディネーターの仕事を手伝いませんか?」と誘っていただきました。

 

工藤:そうでした。あの当時は社員が少なくて仕事が全く回らなったので、アルバイトしてくれて本当に助かりました。英語で未入金の督促とかもやってもらいましたよね。

 

松林:はい、通訳の仕事が見つかるまで、お給料も前借させてもらいました(笑)

 

工藤:そうだったかしら?本当のことを言うと当時松林さんがこのまま残ってコーディネーターになってくれたらどんなにうれしいかと心の中で考えていました。しかし同時に通訳者になりたいという夢も叶えてあげたかった。

 

松林:最初にご紹介いただいた仕事は携帯事業の会社でした。こちらの案件も私一人でクライアント先に顔合わせに行きました。

 

工藤:まだ余裕がなかったんですね。顔合わせや初日に同行するという発想はありませんでした。ただある通訳者に「現場にコーディネーターが同行しないということは、テンナインさんは営業しなくても大丈夫なんですね。」と言われてハッとしたんです。通訳現場にコーディネーターが顔を出すということは、次の機会の営業になるんだと思いました。それから体制を整えて必ず同行できるようになりました。

 

松林:そうですね。今では必ずコーディネーターの方が同行していただけるので、安心です。

工藤:松林さんとは長く一緒にお仕事をしていますが、とにかくバランスが取れた方ですよね。常に前向きで、明るくて、メンタルも安定しているし、どんな現場でも臨機応変に対応してくれます。頼む側もたとえ過酷な現場でも、松林さんならやってくれるのではないかと思ってついお声をかけてしまうようです。要はとても頼みやすいんです。これって実はとても大事なことなんですよ。またクライアントからのフィードバックも良いので安心して任せられます。ところでお子様が生まれてから働き方は少し変わられましたよね?

 

松林:だいぶ変わりました。子供が生まれる前はすべて自分の都合で仕事の準備やスケジュールをコントロールすることができました。しかし子供が生まれてからは、とにかく時間が限られています。自分が完璧だと思えるまで時間をかけて取り組むのには限界があります。納得感がないまま次のタスクに移らなければならないというのが結構多かったかなとは思います。

 

工藤:それでもほとんど産休も育休も取られてないですよね?

 

松林:そうなんです。出産の10日前までオフィス勤務していました。実は入院中もベッドの上で翻訳をしていたんです。子供を保育園に預けるためには仕事の稼働実績が必要だったので、御社に仕事をくださいと伝えたところ、案件を精力的に頂くこともできました。

 

工藤:それにしても、産後すぐに翻訳を依頼するなんて!配慮が足らずにすみませんでした。ただそれぐらい松林さんは私たちにとって頼みやすい存在なんです。出産後翻訳は在宅でできると思いますが、通訳の仕事の時はどうされていたんですか?

 

松林:幸いパートナーが在宅で仕事をしていたので、「息子が泣いたら、抱っこか、おむつか、ミルクをあげてね」とお願いして預けました。

 

工藤:弊社にも子育と仕事を両立しているスタッフが数名います。スタッフが忙しくて余裕がないと松林さんに悩みを相談したところ「大変な時は、外部に食事や掃除を頼んだらいいよ」とアドバイスをいただいてすごく気持ちが楽になったと感謝していました。

 

松林:仕事はお金を頂いている以上絶対妥協はできません。そうなると手を抜けるのは家事ですよね?離乳食は出来あいのものを使用したり、本当に大変な時期は外部の委託サービスを積極的に使って乗り切りました。

 

工藤:勉強や事前準備の時間はどうやって確保されていましたか?

 

松林:寝かしつけた後の時間を勉強に充てていました。例えば3時間ごとに授乳が必要な時期は、3時間ごとに仕事内容を決め効率よく勉強するようにしました。

 

工藤:お子様が何歳くらいの時が一番大変でしたか?

 

松林:うーん、毎年今が一番大変だと思いながら子育てしています。でも毎日楽しんで生活していますよ。

 

工藤:通訳の世界でもリモート会議が増えましたね。

 

松林:そうですね。一つの会議時間は全体的に短くなったと思いますが、会議数は増えました。対面であれば気軽に立ち話で確認できるようなことも、リモート会議を設定するようになったことも影響しているかもしれません。

 

工藤:対面で通訳を行う場合と違って、リモート通訳ならではの工夫をしていることはありますか?

 

松林:リモート通訳の場合は、画面をオフにして声だけで会議に入っています。完全に音声だけになるので、なるべく滑舌をよくすることや、音声がクリアに伝わるようにマイクの位置を配慮しています。また使う言葉は聞いていてすぐに分かるような言葉を選ぶようにしています。例えば、同じ漢字で2つ意味を持っている言葉がある場合は、耳障りがよく分かりやすい言葉を選んで訳します。他には、経済新聞に書いてあるような文章ではなく、自然に聞こえるような話し方にしたり、スピーカーが変わる時は、どこで変わったのかわかるように訳出時に切れ目を作っています。なるべくテンポよく、スピード重視で、今誰が話しているのか聞き手に分かりやすいように、発言者の名前を最初に入れるなど工夫して通訳しています。

 

工藤:また企業内で通訳者として働く場合は、周りのスタッフの方々と良好な人間関係を築くことがとても重要だと思います。松林さんはその点が非常にお上手だと思うのですが、何か意識していることはありますか?

 

松林:仕事の線引きはなるべくしないようにしています。通訳者として正確に訳出しすることは大切だと思いますが、それ以上に参加者全員が満足して会議自体を気持ちよく成功に導く、そのために自分は何ができるかなという視点でいつも行動しています。

例えば、通訳者として会議には参加するのですが、会議室のレイアウトがまだ完成していなければ、自分もそこに加わって一緒にテーブルを運んだり、終わった後には、もう1回現状復帰まで手伝うこともあります。誰かのお茶がなくなっていたら、そっと事務局に伝えます。本来の通訳者の仕事ではないかもしれませんが、会議を成功に導くために必要だと思うことは、自然と体が動きますね。

 

工藤:本当に素晴らしい姿勢だと思います。聞いていると簡単そうだけど、実際にそこまで行動に落とし込むことができる人は希少だと思います。逆に他の通訳者さんから反発を受けることはありませんでしたか?

松林:実はインハウス通訳時代に通訳以外の雑用を手伝っていたら、「そういうことをすると、私たちにも迷惑がかかるからやめてほしい」と同じチームの通訳者から抗議を受けたことがあります。「ご忠告ありがとうございます」とは伝えましたが、自分のスタイルは変えませんでした。私が動くことで、より現場が円滑に動くというのを知っていたからです。

 

工藤:私は松林さんの実力を考えて、何年も前からフリーランスになるように勧めてきました。でも企業側から強力な引き留めにあったんですよね?

松林:フリーになりたい気持ちはずっとあったのですが、なかなか決断ができませんでした。本当に自分の実力がフリーランスで通用するのかわからなかったし、派遣先からは条件や待遇を考えてくれて、希望の部門への異動も提案されました。ただ条件だけで残った訳ではありません。私が抜けた後が心配でした。非常にお世話になったクライアントだったので、きちんと次に繋がる形で卒業したいと思っていました。また医療業界だったので、内容も大変やりがいを感じていました。医薬品や医療機器、コンタクトレンズ、消費者部門など幅広いヘルスケア領域を扱っており、役員付通訳のポジションでした。全社的な戦略や事業部門の現場にも行くことができて、医薬部門のセクターの話もできるし、医療機器の手術の話もできるというのは、毎日刺激があって大きな学びになりました。シンポジウムやアドバイザリボードで先生方が集まる場合は、事務局から資料がある程度早く上がってくるということが多く、しっかり前準備もできました。オーディエンスは専門家やドクターが多いので、専門性の高い単語で話すということを意識して、入念に準備していました。インハウスの場合は、年間のサイクルがある程度予測できるので事前準備もスムーズにできるのが利点です。

 

工藤:そしてやっと4月からフリーランス通訳になる決心をされたんですよね。松林さんから最初はテンナイン専属のフリーランスになりたいと申し出があった時は、とてもうれしかったです。もちろん専属になっていただけたら、私たちはいくらでもお仕事をお願いでますが、私は完全なフリーランスになることをお勧めしました。正直すごく悩んだのですが、これからの長い将来を考えたら完全なフリーランスを経験した方がいいと思ったからです。

 

松林:フリーランスになろうと本格的に考えたのは去年からです。素晴らしいフリーランスの通訳者がたくさんいらっしゃるので、私にコンスタントに仕事があるだろうかと不安でした。ただ工藤さんもそうですが、インハウスの時に一緒に組ませていただいていたフリーランスの方々に「早くフリーランスになったらいいですよ」と背中を押していただきました。また製薬会社の勤務もすでに12年ぐらいになるので そろそろ独立する時期なのではないかと決意しました。

 

工藤:実際にフリーランスなっていかがでしたか?

 

松林:御社や別のエージェントからもお声がけいただき、ありがたいことにほとんど毎日仕事が入っています。フリーランスになってまだ数週間ですが、久しぶりに新しいクライアントの仕事をして、口から心臓が出るのではないかと思うくらい緊張しました。インハウスを続けたかった理由の一つが、チームワークの中で仕事ができるということです。自分がチームの一員として貢献できているという達成感があったのですが、フリーランスで通訳に入った時も、現場の中でチームワークができることを感じました。

 

工藤:通訳業界のお仕事はクライアントから「前回の方、いつもの方でお願いします」というように通訳者をリクエストしてきます。だからフリーランス通訳者であっても毎回新しいお客様の通訳をやっている訳ではないんです。リピートのクライアントのお仕事もたくさんしているんですよ。

 

松林:コーディネーターの方はどのような基準で通訳者の人選をするのでしょうか?

工藤:クライアントが求めている要望をきちんとヒアリングして、最適な通訳者をアサインするのがコーディネーターの仕事です。実は通訳者とコーディネーターの連携もとても重要だと思います。例えば同じぐらいのスキルの通訳者が2人いたとしたら、コーディネーターは一緒に仕事を組みやすい通訳者に依頼すると思います。

 

松林:テンナインでアルバイトしていた時も、通訳者として最初に現場に入った時も本当に気持ちよくお仕事させていただきました。製薬会社で12年間働いた時も、毎回更新のご連絡をいただく度に「本当ですか?ありがとうございます。次の契約更新の時に改善できるポイントがあれば、フィードバックをお願いします」と聞いていました。仮にネガティブフィードバックをもらっても、次の案件から改善できるアドバイスとして受け止めたいと思っていました。自分の足りないところを補えれば、レベルアップすることができます。フィードバックがなくなると、安心するというより、クライアントの役に立てているのか不安に感じます。批判的なコメントは褒めていただく時と同じぐらい大事にしています。

 

工藤:通訳をやっている中で、楽しい瞬間はどんな時ですか?

 

松林:スピーカーの発言をニュアンスまで落とさずに、同じスピードで同じような形で伝えられているなと感じる時は達成感があります。無になって、入ってきた言葉に集中して通訳をしている瞬間を楽しんでいます。プレッシャーを感じると同時に、リラックスできるし、ランナーズハイのような満足感と高揚感に満たされます。また、テンナイン自体がすごく懐が広くあたたかい感じがします。困った時は親身に相談に乗ってくれるので安心しています。

 

工藤:最後に通訳を目指している方へアドバイスをお願いします。

 

松林:インハウスからフリーランスになるのは、その人その人のタイミングがあると思います。自分が「今」だと思った時が一番よいタイミングです。インハウス通訳で、今の環境ではよく学んだけれど、最近ルーチン化しているなと思う瞬間が増えてきたら、フリーランスに挑戦する時期なのかも知れません。

 

工藤さんから「万が一フリーランスがうまくいかなかったら、またインハウスにもどればいいのよ」と言われて、自分を追い込むことなくフリーランスになれました。こんなことを言ったら誤解されるかもしれませんが、誰でも訓練を受けたら通訳者にはなれます。社会人になってから通訳学校に半年通いましたが、私以外のクラスメイトはほとんど胃潰瘍になっていました。授業では「こんなパフォーマンスでお金もらえると思わない方がいいわよ」と厳しいコメントを先生がされる場面も多くありました。でも、通訳になるにはめげない心というか、ある意味鈍感力が重要です。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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