INTERPRETATION

やらないことを決める

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 私たちの一日は誰もが平等に24時間しかありません。その24時間の中で、いかにやるべきことをこなすかが、私たちにとっては大きな課題です。書店へ行けば、時間管理の本や手帳術に関するハウツー本がたくさん並んでいます。それらを見るにつけ、時間の有効活用が大切であることがわかります。

 通訳の業務を請け負っていると、やらなければいけないことが本当にたくさんあります。たとえば会議通訳の場合、数日前に資料の山がどっさりと送られてきます。最近であれば、宅配便の代わりにPDFファイルで送信されてくることでしょう。私自身、通訳者としてデビューしたてのころは、大量の資料を目の前に茫然としてしまったのを覚えています。「こんなにたくさん読みこなせない!」「単語も覚えなくちゃ!」「でもその前に、内容自体がわからないから、参考文献を買いに行かなければ」などなど、やるべきことが無限にあるように思えてしまったのです。

 しかし人生、何事も経験です。何度も会議通訳や放送通訳を続けてくると、どこに予習のポイントをしぼるべきかがわかってきます。たとえば放送通訳の場合、以前なら新聞を隅から隅まで読んでも不安でした。でも最近は「そろそろサミットだから、これまでの過去のサミットを調べておこう」とか、「今日は世界エイズデーだから、エイズのニュースが出てくるかも」という具合に、予測できるようになったのです。これも仕事上の蓄積のおかげと言えます。

 このように、仕事に関しては、できなかったことも年月とともにできるようになります。これは私の経験から言えることです。

 しかしその一方で、仕事以外に関して時間管理上、私が心がけていることがあります。それは「やらないことを決めること」です。というのも、いったん「やらなくちゃ」モードに入ってしまうと、何もかもが重要に思えてしまい、結局どれもこなしきれず、ストレスだけが残ってしまうからです。心の中にモヤモヤがあると常にイライラしてしまい、家族にも迷惑をかけてしまいます。それで思い切って「やらないこと」を決めたのでした。幼少期から物事をきちんとやることが好きだった私にとって、これは大きなハードルでもあったのです。

 では、「やらないこと」の基準はどう決めればよいのでしょうか?私の場合、「自分よりも上手にできる人がいれば、その人にお金を払ってでもやっていただく」というのが一つのガイドラインになっています。たとえば洗車を見てみましょう。車は乗っていれば汚れますので、いつかは洗わなければいけません。しかし我が家はマンション暮らしなので、駐車場では洗えないのです。洗車専門のスポットで自分で洗うともできますが、洗い慣れていない分、時間もかかりそうです。それで「洗車はガソリンを入れたついでに自動洗車機でやる」と決めました。1回当たり1000円ほどですが、10分以内に終わりますし、やはりピカピカの車を見ると私もうれしくなります。

 他にも「クリーニング店を使う」「年に1回はエアコンフィルターや浴室の徹底掃除などを業者に頼む」などをしています。確かに自分でできそうにも思えるのですが、その分、プロの力を借りることでストレスもたまることなく、家事に関しては乗り切れるようになりました。

 自分ができないことは、決して敗北ではありません。むしろやらないことを決めて、貴重な時間を得意なことに費やした方がはるかに生産的だと私は思っています。

(2008年7月28日)

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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