INTERPRETATION

第275回 やらないことを決める

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

随分前に読んだ本で興味深い一文に出会いました。老いについて書かれていたのですが、人間というのは、20代ぐらいのメンタリティを維持したいと思うのだそうです。おそらく社会人となって数年経ったあたりで自分の価値観が確固たるものとなるからなのでしょう。その「20代メンタリティ」はその後かなり長い間続くとそこには書かれていました。

確かに私自身、今振り返っても大学時代はついこの間のことのように思えますし、ベルリンの壁崩壊や9・11事件なども記憶に新鮮なまま残されています。けれども月日というのは着実に進んでいるのですよね。周りには平成生まれの世代がたくさんいますし、自分自身の体力面を考えても年月の経過を感じます。

人間は生まれた以上、誰もが年を重ねていくのですが、20代の気分でいてしまうと、思わぬところで壁にぶつかります。具体的には「体力の壁」です。踏ん張りがきくからと無理をしてしまうと、あとでダウンしかねません。年齢を経るごとに責任も増えるわけですので、体調管理を怠ってしまえば、多くの方に迷惑をかけてしまいます。私も数年前、無理がたたって声が出なくなってしまい、関係各方面にひたすら謝ったことがありました。体力を過信してはならないのですよね。

となると、一日に与えられているのが誰にとっても24時間である以上、もはや「やらないこと」を決める以外ありません。何か新たなことを取り入れたなら、それまでおこなっていた「何か」を辞めるか縮小するしかないのです。私の場合、仕事やプライベートの面では以下のことを「やらない」と決めています。少しご紹介しましょう。

まず、「悩むこと」をやめました。もちろん、人間ですので迷いはどうしても生じてしまうのですが、なるべく悩まないよう自分に言い聞かせています。これは仕事や人間関係、体力などの悩みから、日々の小さな迷い、たとえば「レストランでのメニュー選び」などにまで至ります。特に活字大好き人間の私にとって、レストランのメニューなどは実に魅力的です。活字と写真を眺めながらあれこれ選ぶ時間も楽しいひとときなのですよね。ただ、私の場合、「お楽しみタイム」が「お悩みタイム」に転じてしまうと、何を選ぶべきか決めあぐねてしまうのです。そこで最近は、「メニューを開いて最初に目に入ってきた一品を頼む」という具合に、勘を頼りにするようになりました。

もう一つ「やめたこと」は買い物時の悩みです。ウィンドーショッピングもワクワクするのですが、こと私に関して言うと「家事や仕事準備をしないための言い訳」として買い物をしかねないのです。よって、ここ数年は「必要なものを必要なときだけ買う」を信条にしています。ちなみに超多忙だった時期に導入した「レジかごサイズのマイバッグ」は今では私にとって不可欠のアイテムとなり、レジ支払い時にそのままセットして店員さんに商品を詰めていただいています。これで大幅な時間短縮となりました。

ネット環境に関しては、あえてスマートフォンを(この期に及んで!)持たないままでいます。おかげで積読状態になりがちな紙新聞や書籍などを通勤かばんに詰め込んでは、移動中ひたすら読むようにしています。ガラケーでもインターネットはできますが、私の料金パックの場合、別料金が発生するのであえて使っていません。私にとってはおびただしい時間を費やすことになってしまったフェイスブックも、数年前に退会しました。

「やらないこと」を決めるのは容易ではないかもしれません。けれども、夢や目標があったり、あるいは新しいことをしたかったりということであれば、あえて「今まで取り組んでいたことをあきらめる勇気」も必要だと思うのです。その取捨選択は他の誰でもない、自分しか下すことができません。自分のライフステージに応じて私自身、これからも「やることとやらないこと」を見極めながら生活したいと思っています。

(2016年9月12日)

【今週の一冊】

「日本ボロ宿紀行」 上明戸聡著、鉄人社発行、2011年

最近は勤務先の大学図書館をよく利用しています。かつては大型書店が好きで頻繁に出かけていたのですが、お気に入りの某書店が過日閉店となってしまい、新たな店舗を開拓しないままになっています。ですので、なじみのある大学図書館はありがたい限りです。

大学図書館と書店の大きな違いは、分類方法です。図書館の場合、書籍は細かく分けられて分類用の数字が割り振られて配架されます。ですので、出版社ごとの配列ではなく、あくまでもテーマ別、それも大テーマ、小テーマと細かい分類で並んでいるのです。棚の端から端まで歩くにつれて少しずつテーマが変わっていきますので、実は本を探しやすいのですね。一つのトピックを探していて、お隣の棚を見るとそれに付随する内容の本が見つかりますので、リサーチするにはもってこいの環境です。

今回ご紹介する一冊は、地理関連の棚にあった本です。日本十進分類法では291とありますが、これは「地理、地誌、紀行」テーマ内の「日本」関連図書の数字です。

著者の上明戸さんはフリーライターとしてビジネス雑誌などに寄稿なさっているそうですが、日本各地の「ボロ宿」に魅了され、ブログで連載をしていらっしゃいます。本書はそれをまとめたものです。

「ボロ」という言葉からはややもすると「衛生面でちょっと・・・」という雰囲気も感じられてしまいますが、本書に掲載されているのは、外観や内装がレトロな宿ばかり。いい加減な経営のところは一つも出ていません。見てくれは古いものの、経営者はどなたも心暖かな方ばかりで、そうしたオーナーたちとの交流や道中の体験談が本書には綴られています。

色々な宿が取り上げられていますが、一番私にとってインパクトが大きかったのは、栃木県那須町にある喜楽旅館。廃墟のような宿ですが、温泉もあり、食事もたっぷりです。客室や階段などの写真からは時代を経て生き残っている様子が醸し出されています。温泉の臭気が強いため、壁もボロボロになってしまったのだそうです。

まだまだ日本にも私にとって見知らぬ場所がたくさんあります。本を通じて旅ができる幸せを感じます。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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