INTERPRETATION

やらないことを決める

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 最近書店に出かけると、実におびただしい数のビジネス書が並んでいます。「○○術」と題するもの、「△△しなさい!」といった命令形のものなど、いずれ読み手にアクションを起こさせようとするものばかりです。かつて大学生などは教養書を読み、大人も古典を紐解くような時代がありました。けれども今は「ハウツーもの」が売れる時代。私自身、本を出そうと思って以前、企画書を出版社に持ち込んだのですが、「もっとハウツー的な内容であれば出せるのですが・・・」とやんわり断られた経験があります。

 そうしたハウツー本に共通しているのは、いかにしてやる気を持つか、どうやって目標を立てて具体的な計画に落とし込んで日々実行していくかといった内容である点です。どの書籍にも「お、これなら取り入れられそう」というヒントが満載ですので、複数のビジネス書を読めば読むほど、「自分にとって実行できそうなアイデア」がたまっていくわけです。

 ハウツー本を読んで「ふんふん、なるほどね。いつかやってみよう」と思いつつ何もやらないこと。実はこれが一番ストレスをためない秘訣なのかもしれません。けれども「真面目にやろう」「やっぱり実践せねば」と思うタイプである人ほど、そうした本に書かれていることを忠実に実行しようと思いがちです。私がまさにそういうタイプです。私は以前、勝間和代さんの本に大いに刺激されました。本の中で勝間さんが「かつては私もダメ人間でした」「私だってできたのです」といったニュアンスのことを書いていらっしゃったので、「ならばやっぱりやらないとなあ」と鼓舞されてしまったのです。

 それで結果としてどうなったかと言いますと、良かれと思って取り入れたヒントそのものに今度はいっぱいいっぱいになってしまったのですね。目の前の生活をエンジョイするよりも、常にガツガツガツガツする日々が続いてしまいました。

 私の中に崇高な目標があり、それを達成するために修行僧のような生活を一定期間送るというのならまだわかります。けれども目標自体がかすんでしまい、「ストイックなルーティン生活」そのものが目的化してしまうと、次第に心は疲れてきてしまうのです。

 ではここで何ができるでしょうか?私がとった方法、それは「やらないことを決める」ということでした。

 まずは昨年から続けていた食事記録(ダイエット目的)とジョギング回数記録(マラソン出場のため)をやめてみました。放送通訳という仕事柄、新聞を読むことも大事な業務なのですが、それもできないときは無理せず、たまった新聞はザーッとめくってから捨てるようと決めました。子どもたちの連絡帳も、かつては項目一つ一つをチェックして「あれは揃えた?明日は○○があるけれど大丈夫?」と声掛けをしてから「見ましたサイン」をしていました。けれどもこちらについても「お母さんはサインはするけれど、持ち物は自分でそろえるように」と宣言し、子どもたち自身が責任を持つように伝えました。

 やらなくてよいことを少しずつ自分に許すのも、自分自身の心身に必要なのだと今は思っています。

 (2010年5月24日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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