TRANSLATION

第2回 「日本語の練り上げ」とは

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは、アースです。今回から、実際の金融翻訳について見て行きます。

前回は、長々と理由を挙げたうえで、金融翻訳では「日本語の練り上げ」が特に重要ですよ、というお話をしました。

ただし「日本語を練る」といっても、文学ではありませんので、特に凝った表現をする必要はありません。個性も不要です。しかし不特定多数の人が一度読んで理解できる(二度読みさせない)ような、平易で分かりやすい文章、しかし依頼元の企業様の格調を落とさぬよう、それなりに品位ある文章に仕上げなければなりません。

また「平易で分かりやすい」とは言っても、もちろんある程度、専門用語や時事用語は使う必要があります。定番の用語は定石通りに訳さないと、むしろ誤解を招きかねないからです。それは、他のどの分野でも同じかと思います。

それでも対象読者のレベルによっては、難解な専門用語や、日本人にはあまりなじみのない用語や概念、新語などに補足をつけたり、また場合によっては、経済的な考え方そのものに関して注釈を入れたりすることもあります(原文にbond prices to fallとあったら、「債券価格は下落(利回りは上昇)」と補足を入れるなど)。

特に新語は、翻訳時点でその日本語が一般化しているか(個人のブログ等でなく、証券会社のレポートや報道文などで見かけるかどうか)を十分検討してから使う必要があります。新語だけでなく、ごく普通の言葉であっても、一般での使用頻度が低くないか、砕け過ぎていないか、専門的過ぎないか等も、手を抜くことなく調べます。金融翻訳ではその手の確認作業が特に多いように思います。

※例えば「利食い売り」と「利益確定の売り」はほぼ同じ意味ですが、以前、「このレポートで”利食い売り”はちょっと…」と言われた経験があります。(いまはなき)「場立ち」や「株屋」を連想させ、砕け過ぎである、ということなのでしょう。

また、どの用語や概念に補足を入れるかは、読者が機関投資家か一般投資家か等によっても違いますし、依頼元の方針によっても変わります。特に詳しい人々を対象とする文章であれば、例えば略語でも、日本語を併記せず、最初から略語のみ表記というケースもあります。

どうすれば分かりやすい文章になるのか、わたしなどもまだまだ発展途上で、案件、段落、文章ごとに悩んでいる感じですが、基本的には

・長過ぎる文章は避ける。特に主語と主動詞の間が遠くなり過ぎないようにする。

 修飾句の長さも重要。

・修飾語(句)の係り位置が明確に分かる

・一文単位ではもちろん、段落単位や全体を通して見たときに流れが感じられる

ことでしょうか。特に英語の場合、関係代名詞や分詞構文で、後ろにどんどんとつなげていくことが可能ですが、それを学校英語に沿って正直に訳し上げると、恐ろしく直訳チックな文章になってしまうことは、皆さんもご承知かと思います。従って、例えば2文に分けるとか、訳し上げず、前から後ろに向かって訳して行くなど、ありとあらゆるテクニックが必要となります。

例えば、以下の原文をご覧ください。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(…)(2015年8月発行分)

これは、ある資産運用会社が様々な経済トピックを取り上げ、週次で発行しているマーケットコメントの冒頭部分です。

運用会社などが発行するレポートは、当然ながら株や債券、為替市場の動向、ファンドの運用成績、今後の投資行動などがかなりの部分を占めますが、市場に影響するマクロ経済についての文章も多くあります。

「ハウスビュー」(会社としての見解)などの形で単独で発行される場合もありますし、ファンドなどの運用報告書の冒頭部分に、「(市場)概況」として取り上げられることもあります。前の期(週、月、四半期、年など)に起きた出来事のうち、世界全体や特定のファンドの投資対象となっている国・地域の経済に関連する事柄(「イベント」「材料」「要因」)や、それに対する市場の反応について分析する部分です。

例えば上記の原文は、原油価格の動向について述べている文章で、イランの核問題を受けて、原油価格が今後どのように推移していくかを分析しています。(原文は2015年8月時点のものです)

今回はここまでとしておきますので、お時間と気力のある方は、次回までに翻訳にチャレンジしてみてください。「不特定多数の人が一度読んで理解できる(二度読みさせない)ような、平易で分かりやすい文章、しかし依頼元の企業様の品位を落とさぬよう、それなりに品位ある文章、さらに当然ながら金融業界の人が読んで違和感のない文章」が目標です。

次回以降は、具体的に原文を見て行くことにします。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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