TRANSLATION

第78回 サービスとしての翻訳

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは。年初から5回にわたって具体的な演習を続けてきましたので、ここらで一休み。きょうは「サービスとしての翻訳」という根本的なところをちょっと考えてみたいと思います。

(以下の例は本当のところ、大袈裟だなぁどっちだっていいじゃん、という話ではあるのですが、あくまで「こういう視点もある」という取っ掛かりとして捉え、他のケースに敷衍して考えていただければと思います)

例えば前回、本講座で取り上げた図表のタイトル
Figure 2. Growth Equities Historically Have Performed Well in Periods of Slower U.S. Economic Growth
を直訳してみると、
図表2:成長の株式は、歴史的に見てより遅いアメリカの経済成長の期間にうまくやってきた
になります。でもこれではあんまりですので、
図表2:歴史的に見てグロース株は、米国の経済成長が鈍化する局面で良好なパフォーマンスを示してきた
としてみます。「より遅い成長」でなく「成長の鈍化」、「期間」でなく「局面」、「うまくやってきた」でなく「良好なパフォーマンスを示してきた」、「成長の株式」でなく「グロース株」(「成長株」も可)と、随所に金融翻訳ならではの表現が用いられ、日本語も自然、これぞ「意訳」である……確かにそうかもしれません。

しかしこの訳を、あるレポートの中の参考として挙げられている「図表のタイトル」として見た場合、どうでしょう。最近では、英語をそのまま訳したような(文章型の)タイトルにしているレポートも一部にはあるようですが、日本人が一から作ったレポートの場合は、例えば
図表2:米国企業の売上高と経常利益はどのように変遷してきたか
ではなく
図表2:米国企業の売上高と経常利益の推移
のように、もっとキレの良いタイトルにしているケースがほとんどのように思います。そのため、前回の訳例では「図表2:グロース株:米国の景気減速局面で良好なパフォーマンス」と体言止めにしました。Historicallyが訳出されていませんが、図表や本文を見れば過去の話であることは明白ですので、それよりはキレの良さ(端的な表現)を優先しました。

重要なのは、日本の読者もこういったタイトルに慣れている、ということです。「タイトルとはこういうものだ」と考えたことのある人は少なくても、長くて締まりがないなぁと感じる人がいるかもしれません。内容以外の部分に反応するということは、「どこかに違和感がある」ということ。違和感があれば読むスピードは必ず落ちます。文学ならば、分かりにくさもまた楽し、じっくり読んで分かりにくさを「味読」してね、と言えますけれども、我々が翻訳対象とするのはビジネス文であって、「過不足ない情報の伝達」という基本的な役割を果たしたうえで、「ビジネスパーソンが読んで違和感を感じない成果物」を作成することが至上命題です。

しかし実際のところ、直訳ほどひどくはないけれど、英語をただ日本語に置き換えているだけで、日本語話者向けに「ローカライズ」をする努力をまったくしておらず、結果として読者が読み解く努力を強いられている、あるいはそこまで行かなくとも、「意味は分かるけど、日本語の記事でこれってどうなのよ…」と言いたくなるケースが多々あるように思います。

キレが悪くても良いから、英語を逐次反映することを目指すのなら、それはそれで翻訳者の選択です。ただ、正確さを貫くと言えば格好は良いのですが、このケースのように、大勢に影響のないところで一対一の対比にこだわり(あるいは手抜きして)、結果として状況に合わない(今回の場合、図表タイトルとして不適な)日本語になってしまうのはどうなのだろう、と思います。

我々が提供している「翻訳サービス」の最終的な目標は、「翻訳文を作ること」でも「翻訳文を翻訳会社に渡すこと」でもなく、「読者がスムーズに理解できる文章を提供すること」のはず。訳文さえ翻訳会社に渡せば、あとはもう関係ないわ、という考え方もあるのでしょうが、どうせならば読者のことを常に念頭に置き、最終的に社会の役に立つ翻訳文を作りたいものだ、と考えるわけです(野菜農家さんが「売って終わり」ではなく、最終的にそれを食べる人のことを考えながら野菜を育てるように)。

もちろん、
・報酬に比してどこまで時間をかけるか
という大問題はあります。我々も趣味で翻訳をやっているのではない以上、一定程度以上の報酬は確保せねばならず、となれば、いちいち訳文をこね繰り回してはいられない、人工知能(AI)と対抗できない…という主張があることも承知しています。しかしAI翻訳をポストエディットする方式が拡大している今だからこそ、「人間としての翻訳力」を磨き上げなければ、それこそ早い時期にAIに取って代わられてしまうでしょう。

わたしとしてはとりあえず、自分が働いている間くらいはそうした事態を避けたい。そのためには「人間の翻訳者ならばここまでやってくれる」という総意が社会に形成されるくらいの状態にはしたい。だからみなさん、一緒にがんばりましょう(笑)。

※今回の例文で言いますと、すでにAI翻訳の代表格DeepLは我々人間にかなりのところまで迫っています。以下、①は記事本文中に出てきたという想定で最後にピリオドを入れ、②は最初にFigure 2を入れてピリオドなしにしてみました。そうしたら、こうなりました。

①Growth Equities Historically Have Performed Well in Periods of Slower U.S. Economic Growth.
成長株は、歴史的に米国の経済成長が鈍化する時期に良好なパフォーマンスを発揮してきました。

②Figure 2: Growth Equities Historically Have Performed Well in Periods of Slower U.S. Economic Growth
図2:成長株は米国経済の成長率が低い時期にも高いパフォーマンスを発揮してきた

DeepLの意図(?)はどうあれ、「ですます」と「である」を使い分けているのは驚きです。さらに驚いたのは、②ではわたしの訳と同じようにHistoricallyを訳し落としていること。DeepLはときどき大きなポカをやるので、単なるミスかもしれませんが、ちょっと怖いです。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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