INTERPRETATION

Vol.60 「通訳は同じ目標を共有できる仕事」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】

須山笑美子さん Emiko Suyama

中学時代から英語の勉強に励み、
日本の大学を卒業後、アメリカの大学に留学し宗教学と美術史を専攻。
その後アメリカの画廊で3年間勤務し日本に帰国。
帰国後はテーマパーク建設プロジェクト、広告代理店、メーカーの社長付通訳を経て、現在はフリーランスの通訳者としてご活躍中。

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Q1、まずは通訳者を目指したきっかけを教えてください。

私は日本生まれで日本育ちで、帰国子女ではありません。中学校で英語の授業が始まってから、英語が一番好きなで得意な科目でした。洋楽が好きだったのも、英語に興味を持ったのには、影響していると思います。小さい頃に一度だけインターナショナルスクールの夏季講習で、1か月間アメリカに行ったことがあります。それが初めての海外生活でした。

高校生になってからは、授業が終わった後に、受験勉強とは関係なく語学学校に2年間通いました。そのころはまだ英語が好きというだけで、通訳者になりたいとは思ってもいませんでした。

大学も日本の大学を選び、第一外国語は英語、第二外国語に中国語を選択しました。その頃もまだ将来なりたい職業は固まっていませんでした。ただ高校生の時に留学したいと思っていましたが、両親の許可が得られず断念しました。ただどうしても留学への思いが断ち切れず、大学卒業した時点で企業の内定を取り消して、両親を説き伏せ留学しました。当時は「留学しないとこの先自分の道はない」と強く自分に言い聞かせていました。

Q2、ご両親の反対を押し切っての留学はどうでしたか?

留学では得るものがたくさんありました。金銭的には大変な時期もあったのですが、最初は大学寮に入ってアメリカ人の女性と2人一人部屋で生活しました。日本にいる頃は沢山勉強もしたのですが、いくら日本でTOEFLの点数を取っても、現地ではネイティブのスピードについていけず、最初は何を言っているのか全くわかりませんでした。留学前に3ヶ月だけでも語学学校に行けばよかったと後悔しました。

Q3、何か当時のエピソードはありますか?

アメリカの歴史の授業を受けていたのですが、特別に許可をいただいて授業の内容を録音して後で聞き返して勉強していました。ある時の授業でナッツ(nuts)の話が出てきました。講義中に『10ナッツ』『20ナッツ』と何回も言っていたんです。何度聞き返しても意味がわからないので、教授に聞きに行きました。『それはナッツ(nuts)じゃなくて船の速さのノット(knot)だよ!』と言われたのが今でも忘れられません!そんなエピソードは山のようにあります。留学中の2年間は受験勉強以上に勉強しましたね。

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Q4、大学を卒業された後もアメリカに残られたのでしょうか?

卒業後は日本に戻って就職するつもりでしたが、ちょうどその頃日本は就職氷河期で厳しい時期でした。アメリカの大学は夏に卒業になりますので、翌年の春まで待ってエントリーをして、その後また1年待たないと就職できない計算になります。1年半のブランクを作るより、アメリカで仕事を探してみようと思いました。当時大学では宗教学と美術史を専攻しており、シアトルの美術館で1年間インターンをしていました。その美術館の学芸員の方に仕事を紹介していただき、シアトルにある日本美術の画廊に就職決まり、そこで3年間お世話になりました。今振り返ってみると、3年間の画廊での仕事を通して、英語がよりブラッシュアップされたと思います。ちゃんとしたコンテクストで話すというスキルが身に付きました。

Q5、ちょうどその頃通訳という仕事を意識されたのでしょうか?

そうですね、通訳という仕事があって『やってみたい』という気持ちが芽生えてきました。例えば日本の作家さんが画廊に来て展覧会を開く場合、画廊のオーナーがお客さんと作家さんの間に立って通訳をしていました。『日本人と外国人の間に立ってコミュニケーションのサポートをする』という醍醐味を感じました。後一回労働ビザを延長すればグリーンカード(外国人永住権)がもらえると言われたのですが、もともとずっとアメリカにずっといるつもりはありませんでした。逆に日本人としてのアイデンティティはアメリカに行ってから、より強く意識するようになったと思います。いつかの時点で日本に帰って、日本人として社会に貢献したいという思いが強くありました。

Q6、須山さんはそれからずっと仕事を休むことなく続けていらっしゃいますよね?

仕事は楽しいものだという気持ちが根本にあります。日本に帰ってからは、美術品とか趣味の商品を通信販売する会社に入社しました。今は減ってしまいましたが、昭和のころはすごく栄えていたビジネスでした。(笑)本社がアメリカだったので、商品開発のプロセス会議などでアメリカとやり取りでよく英語を使っていました。その後テーマパーク建設のプロジェクトにフルタイムの通訳者として採用されました。当時通訳のトレーニングは受けたことがなかったのですが、周りの上手な通訳者のパフォーマンスを見て、自分もきちんと専門的なトレーニングを受けようと決心しました。その頃たくさんの先輩との出会いが、すごく刺激になりました。なにも形がないところから、ひとつのものを作り上げていくというのは、本当に素晴らしい経験でした。

Q7、弊社に登録されたのも、ちょうどその頃でしたよね?

そうです、懐かしいですね。その後通信会社で通訳者として勤務しました。和気あいあいとした雰囲気の中で仕事が出来たのですが、ただすごく忙しくて、よく工藤さんに「もうこんなのやっていられませんっ」って電話しましたよね。(笑)

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Q8、はい、よく覚えています。私も「もう少し様子を見ましょう」ってよくはぐらかしていました(笑)その後が広告代理店ですよね。

はい、私が広告代理店に入った頃は、海外の代理店とジョイントベンチャーを作ろうというところに向かって進んでいました。100%日本会社から、海外との出資比率の交渉から始まって、どういう形で会社を作るかっていう話になっていたので、仕事の流れとしては面白かったですね。派遣契約ではなく、直雇用だったこともあり、プロジェクトに深く関わることができました。新会社を設立し、単体で親会社から独立するという流れが、毎年毎年状況が違うので通訳者としてのやりがいも感じました。海外出張も年に2,3回は行っていたと思います。当時よく工藤さんにそろそろフリーランスにならないかとお声をかけていただいたのですが、プロジェクトが面白かったので、もう少し続けてみようと思っていました。ただ社内通訳者として仕事をするということは、通訳以外の仕事もある程度することになります。例えば翻訳の仕事もありますし、でもその中で『やっぱり通訳が自分には一番楽しい』というのが明確になってきました。そして翻訳の仕事を減らして通訳の仕事を100%にするには、どれぐらいのパフォーマンスが必要だろうかと考えるようになりました。この頃から通訳学校にも真剣に通うようになり、『このタームで自分はどのくらいのスキルまで上げられるか?』と意識するようになりました。そして自分が通訳としてもっと特化できる場所があるかもしれない?と考えるようになり、その後あるメーカーの社長付き通訳を2年経験して、フリーランスになる決心をしました。

Q9、フリーランスとして仕事をされる上で不安なことはありますか?

不安だらけです。でも「もっと、もっと通訳に特化していきたい」という気持ちが高まってきたので、すごくいい形でフリーランスに移れたと思います。今までお世話になった会社から不定期ですがプロジェクトベースでお声をかけていただけるというのも、心強いです。必ずしも『フリーになりたかったから』というわけではないんです。私にとって通訳という仕事は、何回も場を繰り返してチームの人たちと気心が知れるようになって、『同じ目標を共有できる』ところに一番やりがいを感じます。ビジネスの中身に興味を持つこともありますが、やっぱり一番は『人』ですよね。『この人たちすごく頑張っているな!』とか『こういうことをしようとしているんだな』という中で、通訳者としてスピーディーかつ的確なコミュニケーションを心がけて貢献し、『目的を共有する』というところがこの仕事の醍醐味です。通学学校の先生から『通訳の神髄はスピリットを共有することだ』という言葉をいただきました。その時私はそれが楽しくて通訳の仕事をしているんだと改めて気付かされました。気持ちを共有して、同じところに向かって進んでいく時に、私は気分が掻き立てられるんです。通訳する前は可能な限り、どういうニュアンスで伝えればいいのかとか、お客様とはどんな関係で、どこまで持って行きたいのかなど、単なるビジネス上の数字だけではなくて、エモーショナルな部分まで共有した上で、なるべく気持ちを伝えようと思いますね。フリーランスの通訳者として働くということは、高いスキルを持っているという点で自分との距離感を感じていたのですが、それ以上に日々のフリーのお仕事を受ける中でどうモチベーションを高めていくのかというイメージがなかなか掴めませんでした。周りの人がどんどんフリーになっていった時には焦りもありましたが、同じ波に乗ってもおそらくそれは違うだろうなという感覚がずっとありました。

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趣味で習っている「長唄三味線」

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三味線の「三つ道具」

Q10、まさに今がその時期(フリーランスになる)なんですね。

そうですね。ビジネスを通じていろいろな方々とチームの一員としてプロジェクトを遂行してきました。ビジネスシーンでは、みんな命を懸けていて一つの目標に向かって日夜仕事に打ち込んでいる姿を目にします。外部から通訳が来て、大切な場ですべてのコミュニケーションを通訳者に託さなければならない。どういう風にお互いの心に響く通訳が出来るか、共感し信頼関係が生まれてくるような、お互いが心を結べるような、通訳が出来るか、それは私自身の通訳力にかかっています。毎回難しいと同時にやりがいを感じる点です。

Q11、通訳をしていて辛いと思うときはありますか?

厳しい話は厳しい話で、私自身にその矛先が向かうことはないので、精神的につらいと感じることはないのですが、厳しく訳さないとちゃんと伝わらないのでそういう時は辛いですね。その中でお互いが理解しあえればそれは前進だと思っています。ただ通訳者を辞めようと思ったことは、一度もありません。

Q12、今後はフリーランスとして活躍されると思いますが、将来的にはどのような通訳者を目指していますか?

学生の頃に、ネスカフェのCMで国際会議の同時通訳ブースに入った素敵な女性がバリバリ通訳をやっていて、『ちょっとコーヒーブレイク』みたいなシーンを観て『素敵~』と思ったんですけど(笑)、今はあまりそういうのは目指していないんです。もちろんその中でも『目標を共有する』といったことはできると思いますが、私は同じ机に座って、同じ方向を向いて仕事をするのが楽しいと思っています。私は日本のビジネスレベルを上げていく中で『通訳者として』貢献したいと思っています。投資家やエクイティの方がいろいろな日本企業とお話をしていく時に、私は日本のビジネスを応援しようと(笑)日本がどんどんいい立場でいい競争性を持ってビジネスを展開できるように通訳という一つの『パーツ』としてなっていければいいなと思います。」

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Q13、なかなかフリーランスになれる勇気がないという通訳者の方も多いのですが、その方々に向けて何かアドバイスはありますか?

私は焦らないほうがいいと思います。企業内通訳ができるのであれば与えられた機会の中で自分を高められる方法はたくさんあります。自分ではいつも同じ会議に入って同じことをしていると思っていても、もっといい表現がないかとか、もっといい通訳ができないかとか、考えられることは沢山あります。自分を伸ばすチャンスはどこにでもあるので、そのチャンスが今見えないからっと言って焦ることはありません。もちろんただ待っているだけではなく、先輩や通訳のエージェントに会って話を聞くのもいいと思いますし、新聞を読んで『自分はどんな業界に行きたいか』考えるのも一つの手ですし、『今チャンスがない』というのであれば、『どういうところにチャンスがあるのか』、『自分はどういう方向を目指しているのか』自分がどういうところにエッジをつけていくか、今の環境の中でいろいろ探したり磨いたりして、自分の方向を見つけるのが近道だと思います。私自身も素晴らしい先輩方がいる中ではまだまだですが、『楽しい』と思っている限りは間違いなく適正はあるので、今自分が駆け出しでなかなか満足がいかなくても、楽しいと感じられる限りは積みあがっていけるし、必ず道が開けてくると思います。だから諦めないで頑張ってください! このお話をいただいたときに『まだフリーの経験もないし、お話しできることも…』と思っていましたが、皆さんにメッセージを伝えられるならと思ってお引き受けしました。みんな人それぞれタイミングがあるし、通訳にかける思いも人それぞれでいいと思います。

Q14、最後に話しは変わりますが、以前須山さんがおしゃっていた『企業には英語ができる人もビジネスができる人もいるけれど、両方できる人が少ない』という話しが印象に残っています。

私が付いていたエグゼクティブの方の言葉です。『ビジネスセンスがあって英語が問題ないという方もいるけど、やっぱりまだまだ圧倒的に少ない。どんどん日本人には外国に出てビジネスでリーダーといえるポジションを担ってほしいけど、力があっても英語が不十分だったりと、とにかくビジネスと英語のバランスが取れた人材が足りない』とおしゃっていました。これからの日本の課題ですよね。

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通訳の七つ道具

編集後記

須山さんは社内通訳者として沢山の経験を積んで、本当に自分が納得できるいいタイミングで、フリーランスの道を選ばれたと思います。これからのますますのご活躍を心より期待しています!

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記事を書いた人

ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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