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「テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャ、テュリャリャー♪」

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

日曜日。

指揮者の佐渡裕さんの「音楽夢大陸」というDVDを妻が図書館から借りてきた。夜に2人で見る。佐渡さんの師匠のバーンスタインの「ヤング・ピープルズ・コンサート」の形式を借りた音楽教育プログラムなのだが、クラシックをメロディーやハーモニー、リズムなど様々な切り口で子供たちのために説明し、演奏にも参加させ、楽器にも触らせてくれる。フォーマットはほぼ師匠の焼き直しらしいが、やはり佐渡さんというキャラクターがあって初めて生きるイベントだと思った。

私のような語学教員が、授業のヒント集という視点から見ても非常に面白い。指揮棒を三拍子でダイナミックに振らせる練習をして、それが後でラヴェルの「ボレロ」を振る布石になっていたり、図をうまく使ってメロディーやハーモニーを解説していたりと、実に心憎い構成だった。脱帽。「あっ、くやしーなー、上手いなあ」と言いながら見ていたら、妻にツッコミを入れられてしまったので、以降心の中で「あ、負けた。ここも敵わん」とつぶやきながら見ていた。

「フィンランディア」の背景解説も、まるで映画のように映像が心に浮かんだ。考えてみれば、自分の心に浮かんだものを、オーケストラのメンバーに、さらに聴衆に伝えるのが仕事なのだから、コミュニケーターとしても超一級なわけだ。フィンランディアも良かったが、個人的には佐渡さんが振る序曲『1812年』あたりも聞いてみたい。

図書館で偶然見つけて借りてきた、Raymond Chandlerの「The Long Goodbye」を読み始める。が、何だか思わせぶりな描写と台詞が続いて、おこちゃまな私には、ちょっととっつきにくいような。名人が作った絶品の煮物よりも、ファミリーレストランのハンバーグ定食の方がいいや、と思うような性質なもので……。

中学のときに、同級生が翻訳版を読んで「カッコいいぞー。俺をマーロウと呼んでくれ」と言うので、とりあえずの礼儀として後頭部に鋭い一撃を加えておいたのだが、斉藤君、元気だろうか。何にしても、初めて読む「フィリップ・マーロウ」シリーズが、シリーズの中でも名作の誉れ高いこの作品になるわけで、チョイスとしては悪くないはず。でも……It didn’t click.

月曜日。

息子と妻を送り出し、娘を保育園に送ってから、掃除機をかけたり洗濯をしたり。その間、昨日の佐渡さんのDVDを思い出しつつ授業の構成を考える。すぐ出発したかったのだが、先週借りてきた「のだめカンタービレ」のアニメ版DVDがどうしても見たかったので、1話見る。面白い。声優も上手いし、音楽もきれいだし、プロットも良い。続きを借りてこなくては。

自転車で大学に出発。ボディパンプの成果で太ももの筋肉がついてきたためか、かなり早く大学に着いた。片道9キロほどで、所要35分ほど。高校の時は片道十数キロの自転車通学をしていたが、その時はずっと土手を走っていたので、信号だらけの道を走っていたにしてはそこそこのタイムだろう。もちろん、安全第一で走ってはいるが、やはりタイムが縮まると嬉しい。

駐輪場から秋晴れの空を見ながら教室に行き、1コマ授業をして昼食をとり、すぐまた自転車で帰宅。スポーツクラブに行き、妻と一緒にボディパンプで汗を流す。ご飯を炊いて味噌汁を作り、妻が用意していた主菜を暖め直して一家で夕食。

明日のタクシーを予約して、布団に入って(いつもは妻が読んでいるので、たまにはということで)子供たちに絵本を読んだ後、あのまま放り出すのも何なので、The Long Goodbyeをもう少し読んでみる。ホームズ的な、天才的探偵が活躍する話かと思っていたのだが、主人公の探偵、フィリップ・マーロウはもっと平凡と言うか、人間臭い。そうか、そういう話なのか。

火曜日。

1時25分起床。2時15分のタクシーでNHKへ。仕事は比較的静かで助かった。休憩時間に学生たちが提出した英作文とスピーチの原稿を添削する。かなりバラつきが出てきた。上手くなってきた子は良いのだが、変化のない子をどうやって引き上げたらいいものかなあ。

通訳の調べものをしているうちに、いつもの癖で脱線してしまい、時間が押して焦った。しかし、その過程で「Hana’s Suitcase」という本の存在を知ることが出来たのは大きな収穫だ。詳しくは、NPO法人ホロコースト教育資料センターのウェブページを参照されたい。

http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/index.htm

劇にもなるようだ。

http://www.gekidandora.com/hanna/schedule.htm

う〜ん、劇も見たいし、本も読みたい。翻訳版も出ているけれど、最初は原文で読みたいな。

渋谷から池袋の移動の間、The Long Goodbyeを読む。おお、面白いぞ、これ。先が気になって仕方ないが、無理矢理ページから目を引き剥がし、教員室で学生たちが提出していた翻訳をプリントアウトし、添削を始めて頭を抱える。そりゃ、ちょっと難しめだったけど、こりゃないよ。調べものぐらいしなさいって、何度も言っているのに、何で伝わらないのかなあ。

で、添削作業から戦略的撤退を行い、気晴らしに授業直前までマーロウ君の調査に同行する。

通訳の授業は、学生さんたちがなかなか頑張っていた。「ハンナのかばん」の話もする。少々極端な例えだが、「我々が、ハンナちゃんを殺したんだよ」と言って、「?」という顔の学生さんたちにいろいろと思うところを語った。内容は長くなるので割愛。

このクラスは実に面白い人材が集まっていて、韓国からの留学生もいるし、スロバキア人(だったかな?)をお母さんに持つハーフの学生もいるし、カンボジアの子供たちに文具を届けるプロジェクトに関わっている学生もいる。ハンナちゃんの話をするとそういった学生たちが自分たちの国での経験や家族から聞いたこと、プロジェクトを通して現地を訪れて感じたことなどを、次々に語ってくれる。

こういう学生さんたちの「道具」としての英語を鍛えるために、自分は教壇に立っているんだよなあ、としみじみ感じた。このクラスは最高だ。

帰宅の道中は、翻訳を添削し、辛くなるとマーロウ君の頑張る様子を暫く見守るということを繰り返す。

帰宅して「ハンナのかばん」を早速アマゾンで注文。千円ちょっとですので、興味のある方はぜひ。それにしても、差別問題と言うのは根が深い。障害者差別などもそうだ。

今でも思い出すと申し訳ない気分になるが、5年ほど前、A大学で非常勤講師を始めて間もないころ、リスニングのクラスでスクリプトを配った後に、ある学生さんが手を挙げた。目に障害があって、この字の大きさだと読めない、ということだった。

率直に

って、最初に感じたのは「面倒くさいなあ」という感情だった。当時は非常勤講師の仕事そのものに慣れていないうえ、初めてのCALL教室での授業、さらにはシステムが不安定でしょっちゅう技術スタッフの手を煩わせていたので、正直一杯一杯になっており、学生に対して細やかに対応し切れなかったのだ。

もちろん翌週からスクリプトの文字の大きさには気を配ったが、あの時の自分の心の動きは、今でものどに刺さった小骨のようになっている。R大学の立て看板に、「算数も教えられるし車椅子も押せる。それが教師だ」みたいなことが書いてあったが、その通りだと思う。やはり余裕を持つことが大切だろう。自分が精一杯だと、他人を思いやる気分になりにくい。そこらあたりを上手く利用したのが、ナチスによるユダヤ人迫害だったろうし、その他の様々な差別の基本構造だと思う。

さて、子供たちの迎えと夕食とお泊りは、近くに住む両親に任せて、妻とマリス・ヤンソンスという指揮者のコンサートに出かけた。一年に一度のお楽しみで、もう3年ぐらい続いている家庭内行事だ。そもそも妻が彼のファンだったのだが、今では私もすっかりその華麗な指揮に魅了されている。指揮台の上で舞うようなその姿は、それ自体が一つの芸術だなと思う。

もう一ついつも感じることがあるのだが、彼が振るオケのメンバーは、いつも楽しそうに演奏している。火曜日のコンサートもオーボエとフルート、特にオーボエのお兄さんが実にノリノリだった。いろいろな指揮者のいろいろな指揮方法があるのだろうが、それぞれのオーケストラが持つ音を、伸び伸びと出させてあげることが出来るのがヤンソンスなのだろう。

曲目はブラームスの3番とムソルグスキーの「展覧会の絵」。ブラームスのほうは馴染みがなかったが、第3楽章は聞き覚えがあるメロディーだった。展覧会の絵は、中学校のときにブラスバンドで吹いていた楽器、テューバ(一番大きなラッパ、と言えば分かるだろうか?)が思った以上に活躍していて、何となく嬉しかった。実際にホールで聞くと、意外な楽器が意外なところで演奏していたり、自分が想像していたのとは違う楽器がメロディーを奏でていたりして面白い。アルトサックスとソプラノサックスまで使っていた。アンコールは3曲。

CDを買うとサインがしてもらえるというので、妻がサイン会に参加することになり、それに付き合った。我々の2〜3列後ろの男女が偉く興奮状態で、特に女性がオーバーヒート気味。最初は

「ねえねえ、握手してもらっちゃおうかなあ」
「もらえばー?」

ぐらいのノリだったのだが、数十分待つうちに

「キスしちゃおうか」

などと言い出し、2人のやり取りを強制的に数十分聞かされていた周りの人たち(含む私)から、

「おいっ!」

という無言のツッコミが入っていた。

それはともかく、間近で見る巨匠は柔和なおじいちゃんで、「また聴きに来ます!」という妻にニコニコと言葉を返してくれた。

水曜日。

子供たちのお弁当を両親宅に届けて出勤。少々尾篭な話で恐縮なのだが、このところトイレに永井荷風の「あめりか物語」を持ち込んで読んでいる。買ったまま久しく放りっぱなしになっていたのだが、読み始めると実に面白い。

文体も個人的に好みだし、二十歳そこそこの荷風が、いろいろなものを新鮮に目にしている息遣いが伝わってくるようで良い。表面的には大きく変わってしまったものも多いが、その根っこの部分、人間の生き様の根本のようなものは、今でも変わらないな、と思う。

今のところの一番のお気に入りは「おち葉」。セントラルパークの秋の夕暮れの描写は、イギリスに留学したばかりの頃の、不安と期待が入り混じったような気分を思い出す。ベルレーヌの詩の訳文も良い。上田敏の「秋の日のヴィオロンの……」も良いけれど「秋の胡弓の咽び泣く……」なんていうのも良いなあと思う。

馬車に乗って行過ぎる女性を見ながら、空想にふける様子もまた良い。少々引用する。

「自分は麗しい英文で何か著作をする、それを読んだ女が、作者の面影をしたって尋ねてくる。人生を語る、詩を語る、ついには互の秘密をかたる。いつか、自分は結婚してしまって、ロングアイランドか、ニューゼルシーの海辺あたり、ニューヨークからは汽車で一、二時間くらいで往来の出来る田舎に家庭を作る。小さいペンキ塗りの板屋(カツテーヂ)で、そのまわりには、桜や林檎の果樹園があり、裏手の森を抜ければ、ひろびろした牧場から、ずッと遥かに海が見える。自分は春や夏の午後、秋の日暮れ前、冬の真昼なぞ、窓際の長いすに身を横たえて、読書につかれたまま、居眠るともなく居眠りする、と、隣の室からは、極く緩やかな、リッストのソナタのようなものがよい、妻の弾ずるピヤノの曲に、はっと目覚むれば……自分はここに初めて、夕暮れの冷たい風に面を吹かれて、ベンチの上なる現実の我れに立ち返るのであった。」

いいなあ。留学中、寒い冬を越えて春になって一気に花が咲き乱れる日々が訪れた頃、暖かい日差しが差し込む寮の部屋で本を読みながら、私も似たような空想に浸ったものだった。考えてみれば荷風さんといくつも違わないころの話だ。いや、お互い年を食いましたねえ、と2人でお酒でも飲んでみたい。もちろんそれこそかなわぬ夢だが。

さて、荷風先生には失礼ながらトイレの番をしていただくことにして、通勤のお供は私立探偵マーロウ君だ。いや、これは面白い。評判になるわけだと思う。昼も教員食堂で定食を食べつつ読み続けた。というよりは、読むついでに食べたような態だった。

D大で4コマ、A大で2コマ教えて帰宅。時間を気にしつつ、ついつい捜査にお付き合いする。

木曜日。

先週水曜日の件だが、大きな関門を突破したという連絡が入った。夢のような話なのだが、それこそ夢のようで実感があまりわかない。自分を取り巻く環境がかなり大きく変化することになるだろうと思う。午前中は授業の準備や添削などをして、午後からR大で授業。

学生の一人がナチスドイツの収容所の生存者にインタビューして、それをまとめた3分ほどのミニ・ドキュメンタリーを作った。卒業制作と言うことで、字幕などについてコメントが欲しいと言う。授業の予定を早めに消化して、20分ほど時間を作った。

クオリティーは非常に高く、字幕も手直し程度。しかし良い機会なので、クラス全員からコメントを出してもらった。ほとんどは私もチェックしていたポイントだったが、何人か私も気付かな

かった指摘をするひともいて、実に良かった。三人寄れば文殊の知恵というけれど、その何倍か集まってたからね。

帰って夕食を作る。親子丼もどき。夜に、先日注文したHana’s Suitcaseが届く。早速読み始めるが、結末を知っているだけに、最初の方の幸せそうな描写が読んでいて辛い。考え込みつつ子供たちの絵本を読んだら、明るい話なのに何だか深刻な雰囲気になってしまった。すまぬ。

金曜日。

マーロウ君の捜査も気になるが、それどころではなくなった。結末は分かっているが、それでも最後まで見届けねばいけない。そんな気分でHana’s Suitcaseを読み進む。午後はNHKで通訳シフトだったが、本番直前までページをめくるのがどうしてもやめられなかった。

NHK内の書店で、絶版本フェアをやっていたので、横田敏勝氏の「漱石の疼痛、カントの激痛」と、大塚英志氏の「『おたく』の精神史 千九百八十年代論」を購入。

しかし、その2冊を読むどころではない。歩きながらHana’s Suitcaseを読む。違和感を全身から撒き散らしながら、二宮尊徳状態で渋谷のセンター街を進んでいくのは恥ずかしいのだが、どうしても読みたいんだから仕方ない。ついに電車の車内で読了。子供向けの大きな活字の薄い本(100ページあまりしかない)とは言え、内容は実に濃い。

どうしようもないことなのは重々分かっているのだが、ハンナちゃんを救えなかった自分に腹が立って仕方がない。ジョージさんとハンナちゃんの兄妹が、自分の息子と娘にダブってくる。野坂昭如の「火垂るの墓」を読んだときにも似た感情だった。

一体、こういう悲劇の再発を防ぐために、自分に何ができるのだろうか。平和を守る「戦い」とよく言うが、戦いは別に銃を取らなくても出来る。と言うよりは、私にとってこのような悲劇を知り、他人に伝え、教え子に考えさせることそのものが、私にとっての平和を守る戦いだと思う。

……というようなことを、夕食後妻に話していたのだが、「ねえねえ、この絵、見てー」と寄ってくる子供たちを「ちょっと大事なお話してるから!」と追い払ってしまい、妻から「ウチの子供たちにも、もっと優しくしてやって」と言われてしまった。ぎゃふん。しばしイジケモードに入る。

土曜日。

妻は午前中、資格試験を受けに行く。そんなわけで、掃除機をかけた後、洗濯物を干して、風呂とトイレ掃除。まあ、そういう作業をやりながら、いろんな考え事が出来るので、これはこれで楽しい。

10時半に子供2人を連れて高田馬場に行って妻と合流。駅の中のお蕎麦屋さんにどうしても入りたいと子供たちが言うので、4人で昼食をとった。

3人と別れてD大学の講演会へ。東京理科大学の中谷安男氏の「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を目指して」というテーマだった。学習ストラテジーを活用させると言う内容で面白かった。初級から中級レベルまでの学習者には非常に効果的だろう。

ただ、通訳クラスで導入するとなると、ちょっと難しいかもしれない。学習ストラテジーが身についているような人たちが通訳を学ぶわけで、そういう人たちが無意識に行なっている学習ストラテジーを改めて意識化させようとすると、ブレーキになってしまいかねないだろう。

中谷先生によると、それはその通りなのだが、上級者にも「ディスコース・ストラテジー」などが使えるということだった。

コンピューターに例えると、ストラテジーはOSのようなもので、データにあたるものは中高の英語教育でインプットされているから、それを学習ストラテジーというOSを導入することで、効果的に活用できる、と言うことらしい。なるほど、それならば、上級者における効果があまり見られなかったのも納得が行く。すでにOSをインストールしてあるPCに、もう一つOSをインストールしようというようなものだ。

日曜日。

妻が先々週申し込んだ、「バスカメラ」に一家で乗りに行く。これはバスの客室を暗室にして、窓をふさぎ、光の入り込む小さな穴を開けると、車内を縦断するようにつるしたスクリーンに、ピンホールカメラの要領で外の光景が映りこむ、というものだ。文字で説明するのは難しいけれども。この企画を行なっているRay Projectのウェブページは、以下の通り。

http://www.geocities.jp/buscamera/

子供たち、特に息子もエンジョイしていたが、一番楽しんだのは私かもしれない。いや、間違いなく私だった。

まず、体に感じられる動きとは逆の方向に、上下逆になった窓外の風景が動いていく、というのが理屈ぬきで面白い。

次に、店内の蛍光灯の光や、信号の光など、肉眼で見るよりもより鮮明できれいに見える。ピントがちょうど合うように、スクリーンの位置を調整しているのだろうが、実にクッキリとした映像だ。

それから、車体の左右の風景が一枚の半透明のスクリーンに映し出されるので、映画の特殊効果のような感じで左右の映像が重なり合うのがきれいだ。特に左右に曲がるときには動きも加わるので、見ていて飽きない。

さかさまになった街は、水中に沈んだ古代都市のようであり、バスの天井付近を車や電車が走って行くのは、何だか神秘的だった。

夜景などもきれいなのではないかと思うのだが、どうだろう。

バスから降りた後は、駅前の美術館の屋外展示を鑑賞したり、子供をグルグルと振り回して遊んだり。世の中には面白いことを考える人がたくさん居るものだな、としみじみ感じて帰途についた。

一日がかりでお風呂をたいて、一日がかりでお風呂に入ったりはしませんが、これが一週間と一日の仕事(?)です。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END