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大学における教養教育、リベラルアーツ教育

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

我が家の小学生の子供たちには毎日国語の教科書を音読する宿題(非常に良い宿題だと思います)が出ているのですが、中には大人が聞いても、非常に興味深い内容のお話もあります。

このところ息子が読んでいる「百年後のふるさとを守る」というお話も非常に良いですね。関西大学の河田惠昭先生が書いたものですが、今の和歌山県に生まれた、七代目濱口儀兵衛こと、濱口梧陵氏のことを扱った内容です。この濱口氏は、故郷である「広村」を津波から守った防波堤を築いた方です。

河田先生のウィキペディアページ。防災の専門家でいらっしゃるのですね。東日本大震災復興構想会議委員にも、名を連ねていらっしゃいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%94%B0%E6%81%B5%E6%98%AD

1854年の大津波を目の当たりにした濱口氏が、私財をなげうち、村人と協力して作った防波堤が、1946年に起きた大地震による津波を食い止める、というお話で、昨年の大震災のことを思い出しながら聞いていました。

調べてみると、「濱口儀兵衛」という名はヤマサ醤油の当主が代々名乗る名前で、和歌山県広村の支援のために、東京と銚子にあった店のうち、東京の店は閉店を余儀なくされたといいます。それでも、自分のヴィジョンをしっかり持って、偉業を成し遂げたわけです。

ウィキペディアによると、「広村の復興と防災に投じた4665両という莫大な費用は全て梧陵が私財を投じたものであり、のちに小泉八雲は彼を「生ける神(A Living God)」と賞賛している。」とのこと。ここで小泉八雲が出てくるのも、「へえ」と思います。

濱口梧陵氏のウィキペディアページ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E6%A2%A7%E9%99%B5

この濱口梧陵氏というのも、スケールの大きな方ですね。長年の夢だったアメリカ旅行中に、ニューヨークで客死されたとのこと。

さて、ここまでが長い前置きです。

この濱口梧陵氏は、設計や土木工事の専門家ではありませんでした。それでも見事に「百年後のふるさとを守る」ことができたわけです。

「専門家」と言っても、その専門知識が実地に応用できる局面は限られてくるわけで、それがゆえに、素人であってもポイントを押さえれば、専門家に準ずる成果が挙げられる「こともある」ということですね。

必要なことは、必要になったその都度、新たに学んで行けば良いと思います。そのためには、自分が吸収できる物事の幅、「知的間口」のようなものを広げておく必要があるでしょう。

そのための、教養教育、リベラルアーツ教育だと思います。

一方、「専門家」というだけあって、長年一定の分野を研究していらっしゃる方が積み上げたものは、やはり短期間では素人がどう背伸びをしても、とても太刀打ちできないものがあるでしょう。

だから、必要なときに必要な専門家の力を借りられるようにしておくことが大切だと思います。そして、そのためにも、やはり世の中にどんな学問分野があって、どんな専門家がどんな研究をしているのか、というようなことはザックリとで良いですから知っている必要はあると思うのです。

これも、教養教育、リベラルアーツ教育が必要である理由です。

外国語大学は、語学を専門にしているからこそ、語学以外のありとあらゆることに知的アンテナを張り巡らして行くことが大事になってくるでしょう。

私が大学に入学した20数年前あたりから、一般教養課程がどんどん軽んじられて、専門教育がどんどん1~2年生のカリキュラムに降りてきています。当時は私も、それが良いことだと思っていました。大学は「専門教育を受ける場」なのだから、早く自分の興味のある分野に特化したことを教えてもらえるのが「得」だと。

しかし、42歳になって振り返って痛感するのは、それは「得」でもなんでもなくて、むしろ大きなマイナスだったと思うのです。むしろブツブツ文句を言いながら履修した生物学や、発酵化学、倫理といった一般教養科目が、自分の学びを深化させてくれたと思います。

今では、大学によっては一般教養課程的な授業が、専門教育関連の授業と比べて軽んじられるところもあると聞きます。文科省が音頭を取っているグローバル社会に役立つ人材養成という観点から考えると、専門教育ももちろん大切ですが、それは幅広い教養に支えられたものであるべきだなというのが、私の考えです。

濱口梧陵氏が百年単位という長大なスパンで考えたように、私たちも「目先の損得」ということからそろそろ脱却して、もっと長いスパンで、さらには自分以外の、社会への貢献ということも考えに入れて、学びをデザインして行くべきではないでしょうか。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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