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しばらく休み、そうして感じたこと

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通訳・翻訳者リレーブログ

連夜、南アフリカで繰り拡げられている、鳥肌シーンの数々。
我が日本チームの凛々しかったこと! テストマッチなどでの、あの不甲斐なさ。だから、期待はしていなかったのですが…。でも大舞台でのこの大変貌ぶり。この僅かな期間で、彼等のこころの中に、いったいどういう変化があったのでしょう。あれこれ想像したくなります。

それにしても、相手へ向かっていく時の、あの凄み、あの闘争心。
持って生まれた才能と、それを発揮する為の、日々の絶え間ない努力。その結晶としての、あのうっとりするような、アーティスティックで美しいゴールたち。あの固いディフェンスに連結プレイ。これだけ日本国民を、いえいえ、世界中の人々を、感動させることができるなんて、半端でなく、とんでもなくカッコいいゾ!
(PK戦での決着は、はっきり言ってスッキリしないけれど、でも4年後のブラジルで、ベスト4入り、果たしちゃいましょう〜)

しばらく仕事を休み、日々のんびり過ごしていた私ですが、これで一気に目が覚めました。何かを思いきりやりたくて、ウズウズしています。

ところで、人はなぜ働くのでしょう……。
それは言うまでもなく、生活するため。自分の能力&労力&時間を提供し、それにより報酬を得るため。働くこと、それはすなわち、自分で自分の面倒をみること。自分の足でしっかり立つこと。
でもこの報酬とは、結果として、自然とついてくるもの。その為だけに、働くわけではないはず。“1枚書いた。OO円稼いだ。これで電話代が払える。1時間インタビューした。OO円稼いだ。これで年金が払える”。そんなことを考えながら、仕事しているのではない。そんな風に働きたいとは思わない。

では、人はなぜ働くのか。なぜ日々、それも時には辛く長い道のりを、ひたすら歩み続けるのか…。
なぜひとつのことに、飽きもせず熱中できるのか…。

それは——
人生、日々、自分を追い込んでいないと、ある程度プレッシャーを感じていないと、ダメになってしまうから。

プレッシャーのないところからは、何も得られない。脳の回路が詰まってしまい、身体の血のめぐりが悪くなってしまう。ワクワクするようなことは、何も起こらないし、新しいものは生まれない。

のほほんとした暮らしの中、心地好さ感じられるのは、最初の内だけ。気ままな日々が、当たり前になってしまっては、絶対にいけない…と思う。

平和すぎると、ボケてしまう。
何の束縛もない日々は、ひどく退屈。
ラクなのは、ある意味、とてもシンドイ。
自由とは、とても不自由なこと。

ある限られた枠の中に、自分を追い込み、奮起させながら日々過ごすこと。壁にブチ当たり、思いどおりにいかないからこそ、凛としていられるし、生きていることを実感できるのだと思う。

ざわざわ揺らぐ空気感、ひりひりした環境下に身を置き、そこで思い悩みながら、目の前のバードルを、ひとつひとつ飛び越えて行くこと。
明日朝イチの〆切がある、原稿を書かなければならない、今日は明け方まで眠れそうにない。OO時にOOで打合せ、だからOO時に外出しなければならない。嗚呼!
急き立てられ、追い込まれ、もうやるしかないというような状況。そういう中に身を置いていないと、逆にだんだんダメになってしまいそうで…。

忙しいとか大変だとか、不安だとか、身動きとれないとか、切羽詰まっているとか、がむしゃらにやっているとか、そういうパンパンな状態は、けっしてマイナスなことではない。

新しいこと、リスキーなことに挑戦すること。それは一歩一歩ステップを踏み、前へ進むこと。ひとつどころに、立ち止まり満足するのではなく。

戦い、挑むこと。
例えば翻訳作業の場合には、その相手は、外に存在するのではなく、自分の中に潜む。
“どうして上手く書けないのだろう”“もっとハマる単語があるはず”。悶々とした思い。それに打ち勝たない限り、前へは進めない。
“まあいいじゃん! 適当に書いて、さっさと終わらせちゃおうゼ!”。悪魔の囁き。ソイツに耳を傾けてしまったが最後。そんな生ぬるいものを入稿してしまったら、そこからはもう二度と、仕事は回って来ないでしょう。いや、そこだけではなく、その“生ぬるい原稿”の噂を耳にした他社・他者からも、仕事は来なくなるに違いない。

でもそんな緊張感もまた、絶対になくてはならないもの。それは心地好いとか、楽しいとか、そんな分かり易い感覚のものではなく。うまく表現できるような言葉が、見つからないのだけれど…。

……とまぁ、とにかく、あの声この声、あのハードルこのハードル、それ等を克服して初めて、新しい世界が見えてくる。目には見えないけれど、でも新しいこの確実な何かを、手に入れられる。
そうしてその時、身体と脳味噌中に広がる、少しばかりの気だるさと疲労感。それすべては心地好く爽快であり、“ああ、自分はいま、ここで確実に生きているぅぅぅ〜!!”と実感する。
あの感覚は、何にも変えられない。

働く理由、もうひとつ——
仕事をしている時の、アドレナリンがビュンビュン流れるあの感覚。ちょっとでも離れていると、あの感覚が無性に恋しくなってくる。それはジムで身体を動かした時の感覚に、ちょっとばかり似ている。自己満足…という点に於いても…。

でもひとつだけ、圧倒的に異なる点がある。それは、外と繋がっているという、あの感覚。前者にはそれがあり、後者にはそれがない。身体を動かすのは、あくまでも自分の為であり、他との繋がり感は希薄。繋がっていなくても、問題なくやっていける。

つまるところ、この“外との繋がり感”がないと、ダメなのだと思う。

本を読むこと、映画を観ること。素敵なものを見て、美味しいものを食べること。自分磨きとやら言うそれ等。確かに、そうやって感性は磨かれ、何かを感じるこころは育まれる…と思う。
しかし人生、それだけではつまらない。楽しいし、心地好い。だけれど、何かが足りない。絶対に無くてはならない、この何かが…。

そう、自分ひとりの世界で、満たされるだけではなく、外へ向かって、何かを発信すること。表現すること。その行為をとおして、他と繋がっていくこと。それが無くてはならないのだと思う。

ひとり相撲は、いずれ飽きてくる。

好きで好きでたまらないサッカーでも、ひとり家でボールをいじっているだけでは、あまり面白くはないでしょう。
最初はそれでも十分、幸せ感じられても。

でもサッカーに夢中になればなるほど、その奥深さに触れれば触れるほど、その感動を語れる相手、プレイする喜びを共有できる相手が、欲しくなるもの。そうして願わくは、自分のプレイを観て、あれこれ助言したり、感想を言ってくれるような誰かが、欲しくなってくるはず。

“表現したいものがあるから、表現しているだけ。誰かに聴かせたいと思って、曲を作っているわけではない。誰かが聴いていようといまいと、世間に受け入れられようと受け入れられまいと、自分には関係ない”。
こう断言してしまうミュージシャンもいる。特にアルバムの売れ行きが芳しくない場合に、よく聞かれるコメント。でもこれけっして、彼等の本音ではないという気がする。
自分のやっていることを、他者に知らせたい、聴かせたい。そうしてみんながどう感じているか、知りたい。みんなのこころに触れたい。思いを共有したい。大部分のミュージシャンは、そう思っているはず。その思いに支えられてこそ、創作活動を続けられるのだと思う。

自分のできること、得意とするその何かを通して、外と繋がっていたい。自分のやっていることの先に、大勢の人のこころがあるという状況。その安心感。
自分のやっていることにより、誰かが何かを感じてくれる…。
それが実感できていないと、こころがガサつき枯れてしまう。優しさや余裕を失ってしまう。

そう、仕事をとおして、働くことによって、程よいプレッシャー&外との繋がり感が得られる。それは自分磨きや、ひとり遊びなどでは、けっして実感できないもの。これ等を感じていないと、人生、どうも物足りない。何だか淋しくなってくると思う。

と言うわけで、ぼちぼち仕事再開であります。あっでも、完全復帰するのは、このワールドカップ終了後…に違いないが……((+_+))

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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