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アースの皆既日食旅行記(4)

アース

通訳・翻訳者リレーブログ

サンノゼ空港に到着。

ジョンとサラの迎えが遅れたため、しばらくターミナルのすみっこで過ごしていたが、そのあいだ聞こえてきたのはほとんどスペイン語だった。さすがメキシコに近いカリフォルニア州San Jose(サン・ホセ)である。大半は観光客ではなく米国在住の人々のようで、スペインのスペイン語とも中南米のスペイン語とも違う、独特の響きが興味深い(圧倒的な英語の業務量に押され、自分でも忘れそうになるが、わたしはスペイン語翻訳者でもある)。

感動の薄い再会部分は省略する。恐ろしく緩やかなペースながらメールをやりとりしていたせいか、実はほぼ20年ぶりだというのに、お互いちょっと(?)老けたなぁ程度で、ほとんど感動がない。いいのやら悪いのやら。

市内での昼食後、すぐにポートランドに向けて出発するため、今度はサンノゼ空港の出発ロビーへ。日食の皆既帯に近いポートランドへのフライトということで、空港のスタッフも含めて、
「あなたも日食?」
「たのしみよねぇ~」
「いや、あんま興味ねーし」
「せっかくだからポートランド観光しないと!」
「あ~渋滞すごそう」
「ポートランドからずっと車が数珠繋ぎになるって誰か言ってたよ」
「仕事さえなきゃーオレも行くのによお」
「甥がちょうどいい所に住んでて良かったわ!!」
「1,000万人移動だってさ。マジか」
といったような会話があちこちで交わされていたように思う。

そうしたなか、アメリカ人の中でもフレンドリー度突出のジョンは、すぐに周りの人とうちとけて話し出す。しかもすぐに「こちら、日本人の日食トモダチのアース」と紹介してくれちゃうので、わたしもニコニコ笑顔をふりまかざるを得ない。

1994年のチリ皆既日食の時に知り合って、その後もカリブで一緒に日食を見たことがあり、今回が3回目だ・・と(ジョンがうれしそうに)説明すると、「まあステキ!」などと返す人が多いのだが、顔には『物好きなひとたちね・・』とはっきり書いてある。

まあいいさ。今回の日食で、あなたがたも立派な日食中毒症になること請け合いなのだ。

機内からは、カリフォルニアからオレゴンにかけて、あちこちで山火事の煙があがっているのが見える。山火事自体、大変な問題だけれど、いまの我々には、日食観察にどの程度の影響があるかが問題だ。

今回の観察地は、全米でも8月の「平均雲量」が特に少ない地域からジョンが選んでくれた。極端な話、空全体で、きれっぱしのような雲が一つしかなくても、それが太陽の前にある限り、日食は見られない。だから平均雨量が少ないことはもちろん、なるべく湿度の低い地域を探す。また平均湿度が低くても、一日の特定の時間に必ず霧が出るような地域もあるので、そういった点のチェックも必要である。

そうして選びに選び抜いた地域で待ちかまえていても、やはり曇る時は曇るし、降る時は降る。こればかりは文字通り、お天道さま任せだ。

だが、わたしは6戦6勝の強者である。つまり6回トライして、月が太陽を完全に隠す「皆既」の瞬間が見られなかったことはない。

2002年のオーストラリアの時は、全天で見れば「晴れ」でも、雲がいくつも浮かんでおり、皆既の10分前に太陽が隠れて、一時はやきもきした。だが皆既直前、奇跡のように、ほとんど重なった太陽と月が登場。

このときは非常に低い雲だったので、数km離れた場所では同じ雲が太陽&月を隠し、そのあたりにいた人は涙をのんだらしい。このときは、海に太陽が沈もうとする場面での日食で、最高に美しかった。

2009年に中国~奄美大島/トカラ列島~小笠原を皆既帯が抜けた時は、上海から日本列島に至る広い地域を分厚い雨雲が覆い、特にトカラ列島では暴風雨となった。だが小笠原近海にいたわたしは、快晴の空の下、ほぼ完全な凪の海の上で、日食を拝むことができた。(この時は、定期貨客船「おがさわら丸」を使ったツアーに参加した)

ジャンケン賭事くじ引き、すべて大変に弱いわたしだが、こと日食にかけては百発百中。人生のすべての運をここで使っているのかもしれない。それならそれでいい、とさえ思うのである。

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記事を書いた人

アース

金沢在住の翻訳者(数年前にド田舎から脱出)。外国留学・在留経験ナシ。何でも楽しめる性格で、特に生き物と地球と宇宙が大好き。でも翻訳分野はなぜか金融・ビジネス(英語・西語)。宇宙旅行の資金を貯めるため、仕事の効率化(と単価アップ?!)を模索中。

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