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ことばより先にあるもの

ガットパルド(gattopardo)

通訳・翻訳者リレーブログ

某テレビ番組のための大量翻訳、編集前の長時間ドキュメンタリー映像の言語の起こし作業に苦しむこと、2週間。
内容については詳細は省かせていただきますが(ほんとはいろいろ書きたいのだけど、許可がおりないので・・・ごめんね)、ともかく、かなり美しく興味深い、複数の人たちへのインタビュー、というものが、そのなかに含まれておりました。
いえね、もう、収録した画面を見てるだけでよだれが出そうにきれいな人たちなのですよ。しゃべってる言葉なんかどうでもいいから、一日中お顔を見ていたいわ〜〜〜、と思うような。しかし、仕事である。彼ら、彼女らが話す内容を、一語一句もらさず日本語に直さなくては。ちなみに、原語はフランス語。
そして、ふと・・・ある事実に気づいた。
私が起こした日本語原稿は、テレビ局内の字幕製作者が字幕を作るためのたたき台にするので、内容に厳密を期さなければならないのはもちろんだが、そこに、数秒毎にタイムコードを入れておかなくてはならない。
すでに映像中に記録されているカウンター表示を、話し手の文脈の区切りに照らし合わせて、なるべく字幕製作者にわかりやすそうな箇所を選び、ワープロ打ちしている原稿に記していく。まあ、非常にメンドウクサイ作業ではあるのだが。PAZIENZA(=やるっきゃないね)。
カウンターでは、0.01秒の単位までが表示される。パソコンのマウス操作で、言葉の区切りを探りながら画面を止めたり、コマ送りしたり、という手順になる。そして、ほんの0.1秒、あるいはそれ以下の瞬時の違いでも、画面を止めながら見てみると・・・写っている人物の表情にたいへんな変化があるのだ、ということが判明した。
「いま泣いたカラスがもう笑った。」どころの話ではない。まさに世界記録級の「タッチの差」で、笑顔が疑いの表情になり、心細さが満足の表情に変わる。百面相、千変万化、百花繚乱の趣である。
このインタビューは、日本人がフランス語で現地人に職業上の質問をし、相手がそれに答える、という形式だったため、インタビューされる側の主たる反応としては、「質問の内容を(ネイティブでない人間の言語から)できるだけ正しく汲み取ろうとする姿勢」「反応して自身のことを語る姿勢」「映像収録中にクルーが機材を調整したりする時間に、手持ちぶさたそうに、あるいは不安そうに待つ姿勢」・・・ぐらいだったわけだが、まばたきするよりも短い時間でその表情を切りとってみると、恐ろしいぐらいにその人の心の変遷がみえる。
インタビューをうける興奮、質問への懐疑と納得、答えることへの不安、傲慢、一瞬の満悦、それをかき消す新たな疑問、笑顔、冗談、心が解放されるとき、そして次の緊張。夢を語る眼差し、それを抑える節度、その奥にある本心・・・すべてが「丸見え」だ。
この発見をどう表現したらいいだろう。
まるで、砂漠の砂の一粒一粒に、すべてちがった形と色があったことを知った、に等しいぐらいの驚きだった。
我々は「反応」する。言語に、そして、その奥にある「相手の真意」を探ろうと、好意からは観察眼を、不安からは疑いの目を、容赦なく相手に投げつける。抑えようとしても、隠そうとしても、不可能だ。げにおそろしく複雑で深いもの、それは私たちの心。
言葉など、そのほんの一部分を、数々の誤解と、真実への未到達というリスクを背負って、やっとこさっとこ表現するための道具でしかない。
言葉、音声、匂い、目に飛び込むもの・・・たった10分程度のインタビューの時間の間にも、こんなにいろいろな外部からの刺激に、ひとりの人間が反応しながら、しかも同時に自身の神経の均衡を保とうと無意識の調整をして生きているのが普通なのだとしたら、私たちの日々は、なんとストレスに満ちていること!!
「あの人は表情が豊かよねえ。」と評される人物だけに天下を与えるのは、大間違い。
みなさん、コンマ1秒毎に、ご自分が違う人間になっていることを、どうぞご理解くだされ。

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記事を書いた人

ガットパルド(gattopardo)

伊・仏・英語通翻訳、ナレーション、講師など、幅広い分野において活動中のパワフルウーマン。著書も多数。毎年バカンスはヨーロッパで!

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