INTERPRETATION

第377回 内向的でも構わない

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

自分の人生に強烈な影響を与えてくださる人との出会い。それがあるだけで、人は生きる勇気を得られると私は思います。物理的な出会いもあるでしょうし、書物を通じて過去の偉人と触れることもできます。有名無名を問わず、自分の生き方に何らかの刺激を与えてくれる人が現れれば、その人を人生の師と仰ぎ、苦しいときもその方が道しるべとなってくれるのです。

私の場合、これまで大きな影響を受けた人が何人かいます。筆頭に挙げられるのは精神科医の神谷美恵子先生です。ハンセン病患者のために尽くした方として知られています。存命中は多くの書籍を著し、中でも「生きがいについて」は皇后美智子さまのご愛読書としても有名です。戦後、男女同権が今ほどではなかった当時、共働きで二人の息子さんを育てられた神谷先生の凛とした生き方に私は影響を受けました。

もう一人はジャーナリストの千葉敦子さん。乳がんに見舞われるも最期まで日本のことを英語で発信し続けました。病に果敢に立ち向かい、晩年はニューヨークで暮らし、自分らしく生き抜いた方でした。時間の使い方や学び方など、その著書から多くのことを私は学ぶことができたのです。

慈善活動を生涯続けた佐藤初女さんからも私は大いに影響を受けました。悩める人を手料理でもてなし、控えめな雰囲気をお持ちの一方で、人のために尽くすということを人生と生活の全てにおいて体現された方でした。「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」というドキュメンタリー映画にダライ・ラマ法王と共に紹介されています。

千葉さんは職業柄、さまざまなことに対して精力的に問題提起をしておられました。その一方、神谷先生や初女先生はどちらかと言えば目立つことを避けておられ、物静かな内向的なタイプだったと思われます。けれども、社会に対して素晴らしい活動をされている方を世間は放ってはおきません。人ができないことを世のため人のためにして下さる方というのは、どこかで必ず応援者が現れるのです。

「強烈なリーダーシップを発揮していなくても、そうした素晴らしい活動をする人に世間は注目する」ということを、アメリカの元弁護士スーザン・ケインさんはTEDトークの中で紹介しています。ケインさんの書籍「内向型人間の時代」はベストセラーにもなりました。

この動画で特に私が惹かれたのは、声が大きいことや外交的であること「だけ」を評価ポイントにすべきではないという部分でした。今の時代はプレゼンテーション能力の高さや雄弁さ、外見や立ち居ぶるまいが大きな要素となっています。けれども内向的な人や控えめなタイプにも秘めたるものがある、というのがケイン氏の主張なのです。

通訳の授業や学習法セミナーなどを行った際、質疑応答で出てくるのが「人前であがってしまう」「緊張しやすいタイプで悩んでいる」といった相談です。「自分はoutgoingでは元々ないゆえに通訳者に向いていないのでは」と考えてしまうのですね。

確かに大きな会場で数百人を前に逐次通訳をしたり、姿こそ見られなくても通訳ブースから1000人規模の聴衆を相手に同時通訳をしたりということは、この仕事においてつきものです。放送通訳であれば、不特定多数を相手に自分の通訳を公共の電波に乗せることになります。私自身、この仕事をずいぶん続けてきましたが、もちろん今でも緊張します。授業であれ通訳業務であれ、一日の終わりに「ああ、今日は完璧だった」と満足した日は一度もありません。

けれども大学卒業後、紆余曲折を経ながら「好きな英語で社会のお役に立てるとすれば何だろう?」と絞り込んでいった結果、行き着いたのが今の仕事なのです。他の分野で自分がお役に立てるという自信はありません。年齢的に見て、今から何か新たな分野に参入するのは難しいでしょう。その一方で、通訳業務ではいまだに緊張もしますし、誤訳をしてしまうこともあります。知らない分野のことの方が多く、一日の業務後に自分の実力不足をひしひしと感じることもあります。

それでも、ささやかながら社会の一員としてお役に立てればとの思いは強くあります。そう考えれば、たとえ内向的であれ、人見知りをするのであれ、何らかの役割は果たせると思うのです。

2018年も残りわずかとなりました。まだまだ私自身、勉強途上です。毎日を大切に過ごしつつ、2019年も怠ることなく学び続けたいと考えています。

(2018年12月18日)

【今週の一冊】

「(超訳)エマソンの『自己信頼』」ラルフ・ウォルドー・エマソン著、三浦和子訳、PHP、2013年

19世紀に生きたアメリカの思想家エマソンの名前は、上記でご紹介したスーザン・ケインさんのTEDトークで出てきました。調べてみると、オバマ大統領の愛読書が「自己信頼」だったとあります。さかのぼれば「ウォールデン」の著者ソローや宮沢賢治、福沢諭吉もエマソンから影響を受けたそうです。今でこそ様々な自己啓発書が出版されていますが、すでに数百年も前の時点で人々に対し正しい心の在り方を説いていたのがエマソンでした。

エマソンの主張で一貫していること。それは、「自分らしく生きること」「他人に振り回されないこと」です。一匹狼として協調性を二の次にするというのではありません。むしろその逆です。自分をしっかり見つめ、自分の心に正直に生きれば人はより謙虚になり、幸せになれるというのがエマソンの考えなのです。

印象的だった箇所を引用します。

「とにかく今、正しいことをせよ。見た目ばかりを気にしないようにしていれば、常に正しい生き方ができる。」(p47)

「人間は、ものごとを一日延ばしにしたり、済んだことを思い出したりする。今を生きず、過去を振り返って後悔したり、身の回りの豊かさには気づかないで、背伸びして未来を先読みしたりする。時を超越して自然とともに今を生きなければ、わたしたちは幸せで強い存在にはなれない。」(p66)

「人のまねなどしてはならない。生まれつきそなわった才能は、人生経験を重ねることで、いつでも発揮できるようになる。だが人まねをしただけの能力はその場限りで、あまり身につかないものだ。」(p105)

たくさんの情報に囲まれ、どのようにして良いか見えづらい今だからこそ、シンプルなことばで語りかけるエマソンに耳を傾けたいと思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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