INTERPRETATION

第386回 新たな学びの季節

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「こんまりさん」こと近藤麻理恵さんの片付け方法にのっとり、2月上旬に大々的な片付けをしました。その結果、ずいぶんとスッキリしましたね。本にあった通りの順番で始めてみると、本当に要・不要の決断力が研ぎ澄まされてきます。これは私にとって大きな発見であったと同時に、今や自分にとっての「培われた力」となりましたので大いに感謝しています。

この様子に少し刺激を受けたのか、我が家の娘も先日、大々的に片付けをしていました。こんまりさんの方法を順守したわけではないのですが、娘なりのやり方で丸一日かけて片付けをしていました。大量のごみも出ましたし、本人なりにモノとお別れができたようです。

「もう使わないから」と処分したものの中には、小学校時代の習字や絵の具セットなどもありました。

確かにこうしたものは、年齢が上がるにつれて使わなくなります。趣味で書道や絵画をやっているなら別ですが、そのまま死蔵していても場所はとりますし、何よりも絵の具など、中の材料がカピカピになっています。「本人の学校教育において助けになってくれたのだ。だからありがとう」という気持ちを大事にしながら思い切って処分して良いアイテムだと私は思っています。

とは言え、人によっては「物を捨てる=記憶を葬り去る」と感じる方も世の中にはいるようです。処分することに罪悪感を抱いてしまうがゆえに、モノとお別れできず、結局モノだらけになってしまうのです。

世代・時代的なものもあると思います。たとえば戦争経験のある世代の場合、モノが圧倒的に不足するという経験を人生において苦しみとともに味わっています。ゆえにモノを捨てることへの罪の意識も生じてしまうのでしょう。また、捨ててしまうイコール所有者の分身を捨てるようで忍びない、という思いもあるのかもしれません。

けれども、豪邸暮らしならいざ知らず、限られたスペースで暮らす以上、すべてをため込むわけにはいきません。散らかった状態で暮らしていれば、「ああ、片付けなければ」としょっちゅう視界を通じて「リマインド」を受けることになります。「やらねばリスト」が増えていき、取り組めない自分に苛立ち・・・という状態では精神衛生上よろしくありません。

だからこそ、モノとは潔くお別れした方が良いというのが私の考えです。

娘の絵の具や習字セットを見ると、幼かった娘の姿がよみがえってきます。大きなランドセルを背負い、片手にサブバッグ、もう片方の手に習字や絵の具セットを手にして元気よく登校していた様子が浮かんできます。

でも、そうした日々があったからこそ、ここまで大きくなることができたのです。心身ともに成長することができたのです。そう思えば、モノに感謝してさようならをするタイミングは今で良いのだと思えてきます。

人によっては、そのまま45リットルの半透明ごみ袋に捨てるのが忍びないという方もいらっしゃるでしょう。私にもそのような思いはあります。よって今回私は古新聞を床に広げ、処分するお習字セットをまるでデパートのギフトのごとく丁寧に包みました。そして最後に「今までありがとう」とつぶやいて捨てた次第です。

処分するという行為に変わりはありません。けれどもこのような工夫と「儀式」を加えることで踏ん切りも付くと思うのです。

仕事で使った書類も同様に感謝をささげて先日一気にお別れしました。物理的スペースも頭の中のスペースもクリアにして、さあ、新たな学びの季節です。

(2019年3月5日)

【今週の一冊】

「スモールハウス」高村友也著、ちくま文庫、2018年

目下私の中では「片付け」「断捨離」「整理収納」というキーワードがマイブームです。大々的に片付けをして以来、どのようにすればすっきりした生活を続けられるかが気になるのですね。

今回ご紹介するのは「スモールハウス」。副題は「3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方」です。3坪と言うと、それこそ畳数枚といったところでしょう。でも実際に海外でそのような生活を営む人たちがいるのです。そうした方々を取り上げているのが本書です。

アメリカやオーストラリアというと、どの家も大きく、どれだけモノがあってもたっぷり収納できるという印象ですよね。けれどもその一方で、モノだらけで心がくたびれてしまったと本書で述べている人もいます。ゆえに大々的に所有品を見直し、こうしたスモールハウスに移ったとのエピソードは、いずれも興味深く感じられます。

私はずいぶん前、イギリスでナローボートを借りて旅をしたことがあります。ナローボートもこぢんまりとした作りで、搭載できるモノには限度があります。イギリスの住宅も日本と比べて大きいのですが、イギリスでもあえてモノを持たず、ナローボートを終の棲家として暮らす人も少なくないそうです。本書に出てくるスモールハウスと共通点があります。

あえて「器」を小さくしてしまえば、中に入れるモノにも限度が出てきます。むしろそうしてしまった方がモノに縛られず身軽になれるのですよね。逆説的ですが、そのように割り切った方が、かえって清々しい人生を歩めそうに私も感じています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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