INTERPRETATION

第389回 「ホントかな?」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

大学の非常勤講師になってから数年が経ちました。教え子たちも巣立っていき、社会の一員として活躍していることを風の便りで聞くと嬉しくなります。大学時代に学んだことをどんどん生かして、幸せに歩んでくれればと願います。

教えることとは学ぶこととよく言われますが、まさに私もそのような感じで日々を過ごしています。たとえばイマドキの大学生というのは、私たちの世代とは異なる部分と共通点がそれぞれあるのですね。

たとえば共通点。

これは日本人としての共通点なのでしょうけれども、人を押しのけてグイグイと目立つ行為をすることにためらいを感じます。「質問は?」と授業中にこちらから問いかけても、何となく場の空気を読むのか、小学校低学年児童のような「ハイハイハイ!」という反応はありません。年齢とともに周りに気を遣ってしまうことなのかもしれませんね。通訳現場でも同様で、外国人のセミナー講師が話し終え、司会者がフロアに質問を促しても「シーン」ということが少なくないのです。

旧世代と新世代の大学生における共通点をもう一つ。

それは、「ガリガリと図書館で脇目も振らずに本を読むケースが少ない」という点です。いえ、日本の大学生を批判しているのではありません。これは欧米の大学と日本の大学の仕組みの違いゆえんです。アメリカやイギリスの場合、大学入学の門戸が広い分、卒業までの要件は非常に厳しいのです。日本のようなカレンダーに従った就職活動時期もありません。「大学生イコール勉学に励むべし」というのが海外なのでしょう。大量の課題図書を私も大学院時代に与えられ、翌授業まで読み切らないと授業には一切ついていけませんでした。

とは言え、バブル時代の日本の大学と比べれば、今の授業は出席にも厳しく、シラバスもしっかりしています。私の世代では休講も結構(?)ありましたし、サークルの先輩から代々受け継がれている「楽勝科目ノート」なるものもありました。そんな時代だったのです。でも今は講師の方も授業に工夫をしています。万年同じ授業というわけにはいかなくなっているのです。

では新旧大学生の相違点は?

私が気づいた例では、「今の大学生はプレゼンが上手」ということです。人前で話すことを臆さず、立派なパワーポイント資料を作って堂々と話を進めてくれます。大学生向けプレゼンコンテストなどにも積極的に応募し、入賞しています。

歌を歌うことにも違和感がないようです。私の世代など、よほどカラオケに慣れている人でない限り、人前で歌うなどとてもとてもという感じでした。おそらく今の世代は小中学校から歌が身近にあったのでしょう。ダンスもキレッキレで踊っています。素晴らしいです。

ここに挙げたのはごく一例です。これだけでも世代間には大きな違いがあるなあと私は改めて感じます。

だからこそ、上の世代というのは未来を担う若者についてよくよく考え、寄り添う必要があると思うのです。とりわけ政策立案者や教育関係者にはその責任があると感じます。

たとえば最近何かと話題になっている大学英語入試における民間検定試験の導入。どうも政府側のロジックとしては、
「日本人は英語が話せない→だから4技能を判定しよう→そのためには大学英語入試を変えよう→民間試験の導入だ」
というようなのですね。

けれども本当にそうでしょうか?

先日、青少年の交流事業で通訳をしました。スポーツ関連イベントで、参加していたのは日本と英語圏の青少年でした。そのコミュニケーションを見ていると、身振り手振りはもちろん、お互いスマートフォンを持っていますので、通訳・翻訳アプリを双方で使いながら、イイタイコトを伝えて(見せ合って)意思疎通を図っていたのでした。

流暢な英語を日本人青年が話せたわけでもなく、来日した青年たちが日本語を使いこなせていたのでもありません。けれどもどの子たちも楽しそうに和気あいあいと交流していたのです。この光景は非常に印象的でした。

そう考えると、頭ごなしに「日本人は英語が話せない」と決めつけて良いのだろうかと私は考えてしまいます。ペラペラと操ることができなくても、親交を深め、相手のことを知りたいという気持ちを、あの青少年たちは見せていたのです。

「コミュニケーション重視の授業」「英語の授業は英語で」「五輪にそなえて道案内やおもてなしの英語フレーズを」など、どれももちろん大切です。けれども、英語ができないから即4技能、即民間試験という流れに私は違和感を覚えてしまうのですね。

それよりも「相手を知りたい」「仲良くなりたい」という、人間として大切な好奇心や思いやりを育むにはどうすべきか。より大局観的な教育理念が必要なのではと考えています。そういう意味でも、新たな政策などを即刻受け入れるのではなく、一度立ち止まって「ホントかな?」と自問自答することも大事だと私は考えています。

(2019年3月26日)

 【今週の一冊】

「『完璧』はなぜ『完ぺき』と書くのか―これでいいのか?交ぜ書き語」田部井文雄著、大修館書店、2006年

仕事柄「ことば」にまつわることが好きです。たとえば印刷物を見れば「フォント」が気になりますし、お店で買い物をすればショップ用の紙袋に書かれている店名のデザインに目が行きます。地名を見てはその由来を調べたくなり、不思議な音の英単語を聞くと、語源が知りたくなります。こうして毎日、「ことば」と遊んでいるのですね。

今回ご紹介するのは、漢字表記に関する一冊です。先日のこと、出先で見かけたポスターに「驚がく特価」と書かれていました。一瞬「おどろがくって何?」と思いましたね。そう、「驚愕」の「愕」が平仮名になっていたのでした。

この単語に限らず、ニュースなどでも「ずさん」「ねつ造」など平仮名で書かれているものが結構あります。個人的には漢字のつくりや由来に私はとても魅了されていますので、たとえ難漢字であってもそのまま載せてフリガナを付けて欲しいと考えます。

ではなぜ読みやすいようなカナを付けないのでしょうか?その理由が本書には書かれていました。「印刷上の手間」が一つ、そしてもう一つは政府が定める「当用漢字表」が挙げられます。当用漢字表に含まれていないものは平仮名書きなのです。

著者の田名部氏は、漢字と平仮名の交ぜ書きをしてしまうと、単語の持つ本来の意味を不明にさせてしまうと警鐘を鳴らしています。私も同感です。本書ではあいうえお順に現在使われている交ぜ書き語が一覧として出ています。

ちなみに政府が定める当用漢字表以外に「人名用漢字」というものがあります。これは子どもの名前に使用して良い漢字の一覧です。ところが「驚がく(!)すべきこと」に2004年には「癌、糞、屍」などの漢字が追加されたのです。こうした漢字を我が子の名前に付けること自体、非常に理解に苦しみますよね。さすがに反論が多く出たため、政府は撤回したそうです。このようなエピソードも本書には出ています。

「書き順が難しかったり画数が多かったりという理由で漢字表に含まれない」というのならわかります。けれども「捏造」の「ねつ」はさほど難易度も高くありません。漢字とどのように付き合っていくか、改めて考えさせられる一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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