INTERPRETATION

第393回 反面教師も大事

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

以前、古美術商の方のインタビューを読んだことがあります。それによると、古美術商になるために大事なのは、本物をひたすら見るということ。偽物を見続けてしまうと、本物を見分ける勘が養われないからなのですね。とにかく一流品を、良い物を見ることで目を養うべしという内容でした。

通訳者デビューを目指して勉強していたころ、私は展示会やセミナー、国際会議と名の付くイベントに足しげく通いました。同時通訳者・逐次通訳者のパフォーマンスを勉強するためです。言葉の選び方や立ち居ぶるまい、身に付けているもの、声の出し方など、ありとあらゆることを吸収したいと思ってのことでした。当時住んでいたのは実家のある川崎だったのですが、そこから東京ビッグサイトや横浜みなとみらい、海浜幕張の展示場などへ出かけました。交通費だけでもかなりの額になります。通訳学校の授業料も安くはありませんでしたので、主に無料セミナーに狙いを定めて通い続けました。

何度も足を運んでいくにつれて、自分が理想とする通訳者像が出来上がりました。「自分がお客さんならどういった通訳パフォーマンスが好みか」が判断基準となったのです。「声が明るい、活舌が良い、話し方がわかりやすい、流れるような文章、てにをはがしっかりしている、言い直しがない」など、自分なりの好みが明確になりました。

特に衝撃を受けたのが、サイマル・グループの創設者、小松達也先生の同時通訳でした。小松先生はすでにそのころNHKの語学番組に出演しておられ、声には聞き覚えがありました。そのセミナーとは英国ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長の講演会。小松先生はブランソン氏になり切って美しい通訳をなさっていたのです。ブランソン氏の著作はすべて頭に入っていらしたのでしょう。原稿なしで講演なさるブランソン氏よりも早く、小松先生が内容を同時通訳しておられたほどでした。まさに芸術そのものの通訳にすっかり魅了されたのです。

もうお一方は米国大使館専属通訳者でいらした西山千先生でした。当時私が通っていた松本道弘先生の私塾にゲストでいらしたのです。西山先生も本当に美しい通訳パフォーマンスで、以来、私にとって目指すべき通訳者の理想像が完成しました。今でも私は通訳業務の際、試行錯誤を続けており、自分のアウトプットに反省したり落ち込んだりを繰り返しています。それでもなお、止めずにここまで来られたのは自分が理想とする目標があるからだと感謝しています。どのような仕事であれ、「本物」に触れることは大切だと感じます。

けれどもその一方で、「反面教師」にも意外な効果があります。

以前、とあるスポーツレッスンに初めて出た時のこと。私の理想とは異なるインストラクターさんが担当したことがありました。もちろん、人には好みがあります。私が敬遠するタイプであっても、他の人にはそう映らないことは往々にしてあるのですよね。ただ、その日私は「うーん、せっかく時間を割いて参加したのに今日はハズレかも」とレッスン早々に思ってしまったのです。「60分のクラスなのに楽しめそうにない。わかっていたなら来なければよかった」とすら感じていました。心の中は「お家帰りたいモード」全開です。

けれどもその時ふと思ったのです。「今、私が嫌だなあと感じているのは理由があるはず。ではその先生のどこが私の価値観とは合わないのか、レッスン中にきちんと考えてみよう」ととらえることにしたのですね。そのようにして1時間参加してみると、たくさんの気づきがありました。

たとえば「笑顔がない。レッスンの動きが私にはハードすぎる。同じ動きを延々とやっていてバリエーションが少ない。励ましの言葉がない」などの項目が浮かんできました。単に「イヤ」と思ったままではストレスがたまりますので、「反面教師として自分なりに学ぶ」というクラス参加にしたのです。

この作業は私に大きな気づきをもたらしてくれました。と言いますのも、指導現場にいる私にとって、実は私が上記のように感じたことを私自身が知らず知らずのうちに教え子たちにやってしまっている恐れが無いとは断定できないからです。たとえば通訳の授業でのシャドーイング。私にとって5分程度のシャドーイングは普通に思えても、初心者の場合、苦しく感じるかもしれません。先のレッスンを通して私は自分の授業でも「もっと励ましの言葉をかけよう」「難しそうな表情をしている受講生には別オプションも提供しよう」と思いいたりました。お陰で自分の理想とする授業像が思い描けたのです。

そう考えると、件の60分クラスは私にとって本当に大きなきっかけとなりました。参加していなければ、永遠に自分なりの授業を進めてしまったかもしれません。「反面教師」は悪いことではなく、むしろ自分の糧になります。良かったと思っています。

(2019年4月23日)

【今週の一冊】

「吾輩は猫画家である:ルイス・ウェイン伝」南條竹則著、集英社新書、2015年

以前イギリスを旅した際、幼稚園の前を通りがかりました。かわいい木製のゲートがあり、そこから階段を上がると建物に通じます。門の横には幼稚園名がありました。その時ふと気づいたのは、日本の幼稚園と異なるということでした。

日本の場合、幼稚園は一目でわかります。うさぎやネコ、パンダやクマなどの動物がかわいいイラストで表示されているからです。一方、イギリスのその幼稚園は園名と対象年齢だけが書かれていました。もっともイギリスの場合、外観や看板への規制が厳しいということもあるのでしょう。

とは言え、思い起こしてみると、我が子がロンドンの保育園に通っていた際、室内の表示イラストは日本と違う雰囲気を醸し出していました。当時、確かに動物の絵もあったのですが、イギリスのはもう少しリアルだったのですね。ちなみに息子が通っていた幼稚園の内装はこのような感じでした:
https://fennies.com/croydon/

動物の描き方や幼稚園・保育園の雰囲気というのも、国によりけりなのだなあと改めて感じます。

今回ご紹介するのは、猫を専門に描き続けたイギリスの画家、ルイス・ウェインに関する一冊です。新書ですがオールカラーで非常に読みやすく、楽しめる内容です。ウェインは19世紀から20世紀にかけて大きな人気を博し、夏目漱石にもインスピレーションを与えています。

どのページにもかわいい猫が描かれており、見ていて飽きません。擬人化されているため、当時のイギリス社会を垣間見ることができます。中でも印象的だったのが、「叱られて」という作品。教室の前に立つ猫が先生から叱られている様子が描かれています。先生猫が手に持つのは長い物差し。おそらく当時は体罰もあったのでしょう。

日本にも「鳥獣戯画」のように、動物を擬人化した作品があります。生き物としての動物だけではなく、社会や文化を絵画から学べるのは貴重なことだと思います。1910年にイギリスでは「日本展」が開催され、着物を着た猫も本書には紹介されています。猫好きな方、歴史愛好家など、幅広い読者にお勧めします。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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