INTERPRETATION

第412回 通訳席から老婆心

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

会議・放送通訳者の新崎隆子先生が「通訳席から世界が見える」(筑摩書房)を出版なさったのは2001年のこと。ご自身がどのような経緯を経て同時通訳者になられたかが綴られています。高校教員から30代にしてプロへと転向されたこと、通訳者になるための勉強法やご自身の辛い体験など、余すところなく綴っていらっしゃいます。通訳者をめざす方にぜひとも読んでいただきたい一冊です。勇気が出ます。

さて、今回の私のコラム。タイトルは「通訳席から」との書き出しですが、後ろに続くのは「老婆心」というキーワードです。私が通訳現場に入った際、心の中で「うーん、老婆心ではあるけれど、ぜひともこれは伝えたい」と感じたことをご紹介します。

1.参加者の椅子、大丈夫?
人数限定の集中講座でのこと。よーく見ると、座席に違いがありました。片やふかふかの肘つき一人がけ布張りソファチェア。もう一方は普通のパイプ椅子でした。参加者は一般公募。座席は参加者名簿のアルファベット順に並んでいます。パイプ椅子は一つの机につき4人分が、ソファチェアは机一つに2人が座るという配置です。

「同じ条件での参加なのに、これではパイプ椅子の参加者が狭くて疲れるのでは?」

会場を下見した際、私はこのように感じました。「でも、開催直後のあいさつで主催者が『会場の都合上、椅子に違いがございます。窮屈ではございますがご了承ください』とあらかじめお詫びをするはず」とも思いました。

ところが主催者から椅子についての説明は無し。たまたま名前の順で狭い椅子に座らざるを得ない人もいるという光景が通訳席から見えました。何となく理不尽・・・?

2.マイク使って~
別のセミナーでのこと。小さな会場でした。最初の講演者がマイク無しだったため、次のスピーカーも地声で話し始めました。ところがその方は話し方が今一つクリアではありません。逐次通訳をする身にとって、音が不明瞭というのは死活問題です。ほどなくしてスタッフの方がハンドマイクをその講演者に渡されました。

「ふー、これで聞き取りやすくなる」と思ったのも束の間。その方は身振り手振りでお話されるため、マイクが口元からそのたびに離れてしまいました。通訳者からすると、文章が途切れ途切れにしか聞こえなくないのです。さらにスライドが映し出されたスクリーンを向いたまま話されたりと通訳者泣かせでした。主催者のみなさま、ピンマイクの準備をぜひ!講演者のみなさま、聴衆を向いてくださいませ!

3.ご存知・・・ないです
セミナーでは質疑応答時間が頻繁に設けられます。実は同時通訳で一番難しいのがこの部分。レクチャー自体はあらかじめ原稿をいただけたり、予習をしていたりで臨めます。しかし質疑応答の場合、質問者が何を語るかはまったく予測できません。ゆえにQ&Aの同時通訳が通訳者の評価につながると言っても過言ではなく、まさに緊張する瞬間です。

あるセミナーでのこと。司会者が「ではご質問は?」と投げかけると、何とたくさん手が上がりました。ところが、最初に質問に立った方は自説を延々と展開していったのです。しかも早口!質問者にしてみれば、自分の経験・意見や知識を講演者に聞いてもらいたいというのもあるでしょう。けれどもその質問者のことを知らない私たち通訳者にとって、こうした展開は非常に難儀します。

ちなみにその方は質問の中で何度も「ご承知の通り」「ご存知とは思いますが」と講演者や参加者に向かっておっしゃっていました。一方、通訳者である私は「え?『ご承知』『ご存知』と言われても・・・。知らないのは私だけ???」と内心ツッコミを入れてしまったのでした。質問はコンパクトにお願いします(ホンネ)。

4.答えだけに集中したい
こちらもQ&Aセッションでのこと。なかなか鋭い質問が会場から出ました。マイクを使っての質問でしたので、通訳者にとっては聴きやすくて助かりました。

ところが!講演者が答え始めると、その質問者が頻繁に「はい」「ええ」「そうですね」と反応されるのです。もちろん、コミュニケーションですので、うなずいたり相槌をうったりすることは大事でしょう。ただ、こうなると講演者の答えと質問者の相槌が両方ともマイクに入ってしまいます。通訳者からすると、スピーカーの答え「だけ」に集中したいのですね。

質問者のみなさま、相槌の意志は「声」ではなく、「うなずき」というノン・バーバル・メッセージで反応していただけると助かります・・・.

以上、今回はドラマ風に言うならば「通訳者は見た!」と言ったところかもしれません。講演者・参加者・通訳者・スタッフ全員が気持ちよく関われて初めて、良き会議・有意義なセミナーになると私は思います。

(2019年9月17日)

【今週の一冊】

「みんなが知りたい地図の疑問50」真野栄一、遠藤宏之、志川剛著、サイエンス・アイ新書、2010年

仕事帰りに頭をリラックスさせたいとき、私は地図をよく眺めています。いつもカバンの中にポケット地図を入れているのです。好きなページを開いたり、あるいは乗っている電車のルートを地図上で追ったりなど、そのときの気分に応じて楽しんでいます。本や新聞、仕事用の資料などの「活字」を読むのはキツイときなど、地図をボーっと見ているだけで幸せです。

今回ご紹介するのは、地図に関する様々な質問に答えるという一冊です。たとえば、なぜ地図は北が上なのか、地図の作成にどれぐらいお金がかかるのか、地図記号は新しく増えるのかなどです。私自身、ギモンには思っていたものの、とりたてて調べることなく今に至る項目が並んでいました。

中でも面白かったのは、駅名に関する答え。地図上の駅名というのは、実は平仮名で書かれています。これは、駅名が地名と違うことを一目でわかるようにさせるためだそうです。一方、陸の地図の作成機関は国土地理院なのに対し、海の地図は海上保安庁です。国土地理院の前身が旧陸軍参謀本部陸地測量部であったことも、私は本書から初めて知りました。

最後に印象的だった文章を。

「(カーナビなどの進歩により)1冊の地図帳をじっと眺めて目的地のイメージをふくらませるという知的作業が減ったのも事実でしょう。使い手にやさしい地図環境は、他方では空間を認識する力を奪っていくという側面も指摘されています。」

これは地図に限ったことではありません。紙の新聞や紙辞書も同様です。紙の最大の特徴は一度に見られる範囲が広いこと。技術の進歩を享受しつつ、物事を鳥瞰図的にとらえることも大事だと私は考えています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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