INTERPRETATION

第425回 暗譜

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

幼稚園に行くようになって間もなく、私はピアノを習い始めました。おそらく3,4歳ぐらいであったと思います。私の母は、自分自身がピアノを弾きたくて仕方がなかったものの、戦後の貧困期に生きたこともあり、それがかないませんでした。母曰く、「小学校の音楽の教科書の裏表紙に2オクターブ分ほどの白黒鍵盤が描かれていた。それを指で触りながら、ピアノを弾く真似事をしていた」のだそうです。それぐらい母にとってピアノは憧れでした。

そう考えると、戦後の混乱期も終わり、平和な日本において育つことができた私は実に恵まれていたと思います。もちろん、今ではアップライトピアノどころか電子ピアノなど、どんどん手軽に買える時代です。私が子どもの頃はまだピアノも高価なものでしたが、それでもピアノを買い与えて子どもに習わせるのが当時は一種のステータスだったようです。

そのようなきっかけで始めたピアノ。幼稚園時代は園に音楽教師が週一回来てくださり、私は放課後にピアノのお稽古をしていました。卒園後は自宅近くの個人教室へ通うようになりました。そして8歳でオランダに引っ越すまでそれが続きました。

当時の日本では、「暗譜」が絶対的でした。楽譜を見ずにスラスラと弾けるようになることがゴールだったのです。そのころ私が通っていた教室の先生は優しかったものの、指導自体には厳しさがありました。ミスタッチせず最後まで弾けて初めて、次の曲に移ることが許されたのでした。

オランダやイギリスでもピアノの学習は続けました。イギリスでは国が主催するグレード検定試験があったのですが、その試験の時だけは確か暗譜でした。しかしそれ以外は特に暗譜を求められることはありませんでした。そのような指導法の違いが当時の欧米と日本の間には存在していました。

時計の針をさらに進めて、ロンドンのBBCに勤めていた90年代終わりのときのこと。指揮者ゲオルク・ショルティ氏を称えるコンサート・イベントがありました。ショルティ氏は1997年に亡くなったばかりでした。プレトークに登壇されたのは、ショルティ氏の妻ヴァレリーさんで、生前のマエストロのエピソードをいくつか語っておられました。その中の一つに暗譜の話題がありました。

ショルティ氏は指揮者になる前はピアニストでした。とあるコンクールに出た際、意気揚々と暗譜で臨もうとしたものの、自分の番になり舞台袖に立った途端、頭の中が真っ白になり、曲のすべてを忘れてしまったのだそうです。それ以来マエストロは、「どんなに知っている曲であっても、指揮をするときは必ずスコアを譜面台に置くと決めていた」とヴァレリーさんは述べていました。

私はこの話にとても感銘を受けました。どれほど頭の中で知っていても、暗譜していても、それ自体が偉いという評価基準ではないのです。「頭の中が真っ白になり、焦った状態でタクトを振ること」よりも、譜面台に置いたスコアを本番中に見る・見ないは別として、指揮者が本来すべきこと、すなわち「作曲家のメッセージを届けること」という指揮者本来の役目こそが重要だからです。

このエピソードは私の中で今でも大きな支えとなっています。現に先日、教育関連のセミナーで同時通訳をしたのですが、朝からハードな通訳をし続けた結果、午後になると頭がどんよりしてきていました。「先生」「生徒」という単語の瞬時変換すら、怪しくなっているように思えてきました。そこで迷わず手元の単語リストに、「先生=teacher」「生徒=pupil」と書き込みました。

昔の私であれば、「こんな簡単な単語すら書き出すなんて」と妙なプライドに凝り固まっていたと思います。けれどもそのような見栄で肝心な単語を訳せなくなるぐらいなら、プライドなど捨てて単語リストにメモをしておいた方が良いのです。誰のための通訳なのかを考えれば、それはお客様のためであります。私の我慢比べでも記憶力テスト大会でもありません。

11月末に敬愛する指揮者マリス・ヤンソンス氏が亡くなって以来、氏のコンサート動画を私はよく見ています。その映像を見ると、やはりヤンソンスにとっての十八番の曲でさえ、きちんとスコアが目の前にはあり、めくっている様子が映し出されています。

暗譜や記憶力を絶対視するのでなく、本来の目的は何なのか、そのことを考えながら通訳の仕事を丁寧に続けていきたいと改めて思います。

月4回掲載している「通訳者のひよこたちへ」。2019年は今日が4週目ですので、次回のアップロードは2020年の年明けとなります。今年もご愛読いただき、誠にありがとうございました。新たな年がみなさまにたくさんの幸せをもたらしてくれますことを、心よりお祈りしております。

(2019年12月24日)

【今週の一冊】

「オーケストラ指揮者の多元的知性研究―場のリーダーシップに関するメタ・フレームワークの構築を通して」宇田川耕一著、大学教育出版、2011年

敬愛する指揮者マリス・ヤンソンス氏が亡くなって以来、動画を見たりCDを聴いたりという日々が続いています。そうしたことを継続する中、ふと気づいたことがありました。それは私自身が指揮者という職業についてまったく知らなかったという点です。ヤンソンス・ファンとしてそのタクトさばきや人間性については大いに魅了されていました。しかし、指揮や音楽がどのような世界なのか、知らないまま訃報を迎えてしまったのでした。

そこで大学図書館から借りたのが今回ご紹介する本書です。著者の宇田川氏は新聞記者として活動する中、大学院の博士号を取得しています。その博士論文に加筆修正をしたものが、2011年に発行されたこの書籍です。

本書の根底にあるのは、巨大組織(オーケストラのメンバーというのは100名近くいます)を率いる指揮者の在り方を、ビジネス的観点でとらえるというものです。非常に興味深い比較・着眼点だと感じました。

ビジネス理論自体に私自身はあまり詳しくないのですが、本書にはカラヤンや小澤征爾、尾高忠明など国内外の著名なマエストロの名前が沢山出てきます。そうした方々のエピソードを読むだけでも大いに楽しめる一冊です。

中でも興味深かったのが、高関健氏のことばです:

「指揮を教えるというのは、とても難しいことです。-中略-教わる側に『心構え』が無いと通じない。教える身になって、それを痛感しました。」(p. i)

これはどのような世界においても言えるでしょう。かつて通訳業界では大先輩の背中を見ながらその技を盗むという方法もとられていました。徒弟制度とまでは言わないものの、どのような業界であれ、弟子となって師匠の在り方を学ぶ方法が主流だったのです。今のようにスクールが充実していなかったからです。

一方、現在は学ぶ場所もたくさんあり、意欲があればだれでもそのスクールの門をたたくことができます。しかしそれと同時に大事なのは、「漫然とした意識で通い続けても決して技術力向上には結びつかない」という点です。まさに高関氏の言うような「学ぶ側の心構え」が必須ということになります。

もう一つのエピソードで印象的だったのが、名指揮者カルロス・クライバーの手紙です。佐渡裕氏がPMF音楽祭にクライバーを招聘した書簡への返事でした:

「私はバーンスタインの教育活動とその情熱はとても評価しています。でも私は車でいうとロールスロイスのような車をほんの少しアクセルを踏んで運転することに喜びを感じる人間です。エンジン部分から自分で組み立てていくという車マニアではありません。つまり私は全く教育には関心がありません」(p.145)

この内容に佐渡氏はむしろクライバーの凄さを改めて感じたのだそうです。

指揮者と言っても教育者タイプもいれば、企画型タイプもいます。指揮者自身が自分の得意分野や特徴を自ら把握することも大切なのです。それは通訳者も企業のトップも同様と言えます。そうしたビジネス的観点で「仕事」を知ることのできた興味深い一冊でした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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