INTERPRETATION

第428回 遅すぎることはない

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

1998年にBBC日本語部の放送通訳者として採用された当時の私は、テレビ局勤務がゼロでした。それどころかテレビ局自体、学校の社会科見学ですら訪れたこともなかったのです。BBCの社屋に入ったのが、「人生初・テレビ局」という状態でした。

もともと高校時代にジャーナリストに憧れていたこともあり、ニュース自体は好きでした。しかし、放送通訳者としての経験は皆無です。ジャパン・タイムズの求人を見つけたときは「とにかくロンドンで働きたい」の一点張りでした。ですので「放送通訳者として雇ってもらえるにはどうするか?」という観点で考え、自分なりに対策をした上での採用試験だったのです。思えばかなり無謀でした。

そうした中、いざBBCの仕事が始まるといきなり現場投入でした。研修も何度かありましたが、あとは実践あるのみです。自分の生放送・同時通訳が日本にそのまま流れるわけですので、最初の頃は緊張の連続でした。

中でも一番自分にとって苦手だったのはスポーツニュースです。BBC日本語部ではBBC World TVの番組に合わせてキャスター役の通訳者2名、さらに特派員役を数名あてていました。また、経済ニュース担当・スポーツ担当という形で同時通訳を分担していたのです。

分担シフトはイギリス人スタッフが事前に週ごとに決めてくれました。日本人通訳者がそれぞれ満遍なく色々な役割を担当できるようにと、ローテーションが組まれていました。ただし私の場合、いかんせん、スポーツが大の苦手です。翌週のシフトが発表された際、「スポーツ担当日」が割り当てられると暗澹たる気持ちになりました。

なぜそれほどスポーツが苦手だったのでしょうか?それは自分自身がスポーツ観戦をしてこなかったのが最大の理由です。私自身、体を動かすことはジムのレッスンを受けていましたので好きでした。しかし、BBCがカバーするのはクリケットやサッカー、ラグビー、オリンピック、NBA、NHL、MLBなど多岐にわたります。要は「世の中で起きているスポーツニュースはすべて網羅される」という状況だったのです。

渡英前の私のスポーツ観戦といえば、自分がバドミントン部にいた高校時代(弱小チームでしたが、地区大会には出ましたので、その「観戦」)と、友人に連れられて東伏見のアイスアリーナで観たアイスホッケー試合です。もっとも、「リンクの冷気が強くて観戦どころではなく震えていた」という状況だったのですが。

よって、まったく誇ることすらできない経歴でしたので、なおさらスポーツ担当・同通日の数日前から胃が痛くなったのでした。

帰国してCNNの放送通訳を始めてからも「スポーツ」はもれなく付いてきました。BBCで4年勤務した経験から、多少はチーム・選手名などを把握してはいました。けれども相変わらず各競技のルールはおぼつかない状況です。「とにかく日本の視聴者や競技ファンの方のお役に立てるよう通訳しよう」との思いは抱いていたのですが、食わず嫌いの部分があったのは否定できません。

しかし最近、私の中でパラダイム・シフトがありました。「スポーツ通訳は楽しい!」と強烈に思う出来事があったのです。

それは、新年に行われたテニス大会の中継でした。海外からの中継を日本の放送局で流し、私が担当するのは優勝選手のインタビューを同時通訳するというものです。CNNのスポーツニュースは試合結果やダイジェストのみですが、今回請け負った業務は私自身、大会が行われている時間帯にテレビ局入りします。控室で試合を観戦し、勝負がつきそうな頃にスタジオへと移動。実況アナとゲスト解説者のお隣に座り、優勝インタビューが始まるや即、通訳をするという形式でした。

その番組の特徴は、視聴者が中継を観ながら同時進行リアルタイムでコメントを書き込めるというものでした。よって、私が同時通訳をしていると、同時通訳に関するコメントもそのまま入力されます。本番中の私の画面は海外中継映像でしたのでコメントは見えなかったのですが、後で控室に戻り、コメントをさかのぼってみると視聴者がずいぶんと同時通訳に耳を傾けてくださっていた様子を知りました。

このことが私にとっては非常に励みになったのです。

日ごろの放送通訳や会議通訳では、自分のパフォーマンスに対するフィードバックはなかなか得ることができません。もちろん、同通ブースにお客様が足を運びお褒めの言葉をくださることも、あることはあります。けれども通訳者は黒子です。失敗をすればエージェントにクレームが入るでしょう。「完璧な通訳をして当然」というのが大前提なのです。

今回の大会。私が一番心がけたのは、「優勝した瞬間の選手の喜びを、何としても日本語に載せて通訳する」ということでした。全訳は目指しませんでした。むしろプレーヤーの嬉しさや緊張が解けた安ど感、また、共に観戦していた観客やインタビューアーのワクワク感などを日本語にしたかったのです。

コメントから視聴者の方がそうした通訳を受け入れてくださったことも知り、大いに励みになりました。非常に通訳者冥利に尽きる業務でした。今まで苦手だったスポーツ通訳ですが、とても魅了されました。何かを好きになることにおいて、遅すぎるということは決してありません。

(2020年1月21日)

【今週の一冊】

「世界で一番美しい劇場」エクスナレッジ、2015年

先週の本コラムでヴェルディの一冊をご紹介しました。私の読書遍歴というのは、一つのテーマを決めるとそこからとことん掘り下げて、かつ、広げていくようです。よって、今週の一冊はヴェルディから派生して劇場へと飛んでいます。

本書は世界各地にある美しい劇場が網羅されています。オペラ座やコンサートホールなど、日本であまり知られていない場所もあり、すべてカラー写真付きです。近代的なシドニーオペラハウスもあれば、絢爛豪華なイタリアのスカラ座ももちろん紹介されています。

私が人生で初めてオペラを観たのは小学校高学年のとき。オペラ好きの父に連れられて母ともども、ロンドンのロイヤルオペラハウスでヨハン・シュトラウスの「こうもり」を観たのでした。あらすじはあまりわからなかったのですが、音楽が親しみやすく、子どもなりに(居眠りもせず!)楽しんだことを覚えています。当時我が家はロンドンで暮らしていたため、今にして思うと、幼いころにそうした芸術に触れることができたのは本当に運が良かったと思っています。

余談になりますが、それから時計の針を進めること数十年。たまたま頼まれた通訳業務で私は指揮者ズビン・メータ氏のインタビュー通訳を仰せつかりました。私にとっての人生初オペラ「こうもり」をコヴェント・ガーデンで当時振ったのが若かりし頃のメータ氏だったのです。実家の父がプログラムを私に持たせてくれ、インタビュー終了後、メータ氏にお見せしたところ、とても懐かしがっておられました。嬉しい偶然でした。

本書に話を戻しましょう。

本の中で紹介されていた劇場で特に印象的だったのが、中国の広州大劇院。2010年にオープンした国立のオペラハウスです。設計はイラク出身のザハ・ハディド氏。そう、新国立競技場やマカオの「モーフィアス」など、独特のデザインで知られています。ハディド氏は残念ながら2016年に65歳で亡くなられましたが、こうした建物が残されているのは、私のような建築ファンにとってはありがたいことだと感じます。

他にもコンセルトヘボウやロイヤル・アルバート・ホールなどおなじみのホールも沢山紹介されています。本書を読んでからホールに出かければ、きっと新たな視点でその美しさを味わえると思います。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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