INTERPRETATION

第429回 向上のために必要なことは?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

英語学習セミナーの質疑応答時間で、必ずと言って良いほど受ける質問があります。

「おすすめのテキストや学習法はありますか?」

英語力を少しでも高めたい、通訳者になりたいという強い気持ちをお持ちで参加してくださる方が多いからでしょう。どのようにすれば実力向上につながるか、誰もが悩んでおられるのですよね。私自身、そういう時期がありましたので想像できます(もっとも私の場合、今も現在進行形で日々が勉強の連続なのですが)。

こうしたお尋ねをなさる方にしてみれば、何か確固たる正解が欲しいというお気持ちなのだと思います。「これさえやれば少しでも実力アップになるのでは?」といった思いです。仕事や家族など、多忙な生活を送る学習者にしてみれば、無理なく無駄なく勉強できることにこしたことはありません。

今の時代、周りを見渡してみれば様々なテキストや学習法が存在します。昔であれば無味乾燥なレイアウトで細かい活字の教科書しかなかったでしょう。それが今や、取り組むだけでもワクワクするような装丁のテキストが書店には並びます。

一方、学習方法であれば、かつては独学か、高いお金を払って授業をどこかで受けるかぐらいしか術がありませんでした。それが今やテレビやラジオで実施しているNHK語学講座(ちなみに放送大学でも語学講座は充実しています。無料の大学講座動画しかり)を筆頭に、オンラインやアプリなど、工夫を凝らした学習ツールが山のようにあります。本当に恵まれた時代だと思います。

では私個人にとって、一番効果があったのはどの方法でしょうか?色々と振り返ってみた結果、出てきた答えは次のキーワードでした:

「あこがれ」

これに尽きるのです。具体的にご説明しましょう。

私にとって、語学であれ通訳であれ仕事であれ、自分の力を伸ばしたいと強く思ったのは、いずれも「あこがれの人」の存在でした。年齢は問いません。過去をさかのぼってみると、私の場合、以下のようなシチュエーションがありました。

*中学2年生のロンドン日本人学校補習校の国語の先生: 指導法が非常にわかりやすかった。原稿用紙数十枚の論文を書くという過酷な課題があったが、がぜん「国語の世界」に私は目覚めた。今、通訳という日本語を使う仕事をしているのも、この先生の授業があったおかげと断言できる。

*帰国後、中学3年次に転入した公立中学校の音楽の先生: 当時は中学校が荒れた時代だったが、その先生は厳しさの中に優しさがあった。クラスの不良(?)男子たちもこの先生の授業だけは真面目に受けていた。音楽の楽しさを伝授してくださった先生。おそらく私のクラシック好きもこのあたりから。

*高校の物理(必修)の先生: 理系科目は入学当初から「捨てて」いたが、物理の先生はいつも楽しそうに指導しておられた。授業内容は私にとり難易度が高すぎたが、「自分が情熱を傾ける分野を人は持つべき」と思った。

*大学時代のサークルの先輩: 1年生の指導係を担当。いつも笑顔を絶やさず、1年生をまとめ上げてくださった。リーダーシップにおけるロールモデル。

*新卒で入社した企業の先輩: 「この会社をとにかく良くしていきたい」という気概のある先輩だった。目の前の仕事に全力を傾ける大切さが、先輩の雰囲気から伝わってきた。

*日本の通訳黎明期に尽力された先生: とあるセミナーでゲストとして登壇され、同時通訳を披露された。話者になりきっておられ、お声もお姿も私にとっては「美的に完成された美しい通訳」であった。

以上、ご紹介したのはごく一部にすぎません。ただ、共通しているのは、いずれも私の「学びマインド」に強烈なものを与えてくださっている点です。「あこがれの人に一歩でも近づきたい」という思いが、私を今現在に至るまで突き動かしてくれていると思っています。

向上のための方法。おそらくこれは人によりけりでしょう。けれども私は今後も「あこがれ」を探し追い求めながら、少しでもお客様や受講生の皆さんのお役に立てるような仕事をしていきたいと思っています。

(2020年1月28日)

【今週の一冊】

「近江商人の哲学『たねや』に学ぶ商いの基本」山本昌仁著、講談社現代新書、2018年

本との出会いというのは、まさに「ご縁」であると感じます。今回ご紹介する一冊も、そうしたふとしたきっかけから読んだものでした。

昨年末、高校ラグビーを観戦すべく大阪の花園へ。せっかくですので延泊して、かねてから見学したかった滋賀県豊郷町へ向かいました。そのことについては数週間前の書籍紹介で取り上げています:
https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/16853.html

この豊郷訪問以降、どうも私自身「滋賀県」を意識していたからなのか、興味深いことが続きました。

年が明けて間もなくのこと。某テレビ局でテニス関連の通訳業務を請け負いました。そのとき、差し入れでスタッフさんがくださったのが小袋に入ったバウムクーヘン。いつものごとく原材料名や会社名をチェックすべくパッケージをひっくり返すと、製造元に「滋賀県」とあったのです。

ちなみにそのテニス関連通訳は数日続いたのですが、合間に普段の放送通訳業務もあったため、どう考えても自宅に帰るのは無理でした。よって自分で新橋のビジネスホテルを予約。何とホテルのすぐ近くには近江牛のバルまでありました。何とも近江・滋賀県三昧となっていたのです。

さて、バウムクーヘンに話を戻しましょう。このバウムクーヘン、初めて見かけるメーカーでした。そこから気になりネットで調べたところ、「たねや」という和菓子店がヒットしました。滋賀県近江八幡市に広大な敷地を有し、そこで自然を生かした店舗展開をしているのです。その「たねやグループ」の現CEOが本書の著者、山本昌仁氏です。創業家の10代目にあたります。

もとは和菓子店からスタートしたお店ですが、斬新なアイデアを実施し続け、今では全国からこの「ラ コリーナ近江八幡」を訪れる人々が大勢います。なぜここまで成長できたのか、どのようにすれば顧客の心に響くのかを綴ったのが本書です。

近江商人といえば「三方よし」で知られます。売り手・買い手・地域への貢献です。たねやも正にそれを体現しており、その具体的な方法が本書には満載です。頁をめくると、新事業を打ち出す際の思い切りの必要性と共に、うまくいかない場合の引き際の見極めなど、大切なことがたくさん書かれています。失敗を引き延ばさず、常にチャレンジしていくマインドは、読んでいて非常に励まされます。

通訳の仕事も常に難しい課題に挑む連続です。そうした観点からとても大きな元気をもらえた一冊でした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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