INTERPRETATION

第439回 change agentでありたい

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

最近、京都に魅了されています。きっかけはお隣・滋賀県で19世紀末に起きた「大津事件」。ロシアの皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が大津巡業をした際、現地の警察官に斬られたという事件です。日露戦争前のことでした。ロマノフ王朝最後の皇帝となったニコライ2世は、日本に来た際、京都なども訪ねています。私は大津事件をきっかけに京都について調べ始め、そこからさらに派生して京都のレトロ建築や同志社大学創設者・新島襄へと関心が移っていきました。そして京都の街自体の大ファンになったのです。

数か月前に出かけた京都の街では、新型コロナウイルスもありお目当ての某ミュージアムは閉まっていました。そのまま引き返そうかと思ったのですが、偶然、近くには私好みのレトロ調建物がありました。見るとそこはファッション系のショップでした。スタッフさんと目が合い、「写真を撮らせていただいても良いですか?」と尋ねると、笑顔でご快諾。嬉しかったのと、せっかくですので店内に入ってみました。

そこは地元のデザイナーさんが運営するお店でした。近くに工房も有り、京都を拠点に活動されているとのこと。店内には素敵な服やジュエリー、バッグなどが並んでいます。ディスプレイも美しく、惚れ惚れするインテリアでした。聞けばそうしたディスプレイ用の台なども特注されたとのこと。お店の美意識が感じられます。

スタッフさんからはジュエリーの合わせ方やコーディネートなど、色々と教えていただきました。今まで知らなかったことを学ぶことができ、私にとっても大いに勉強になるひとときでした。こうしたご縁というのもタイミングなのでしょうね。一目ぼれしたピアスとスカーフ止めを購入してお店を後にしました。

帰宅してからもその「お買い物体験」は、私の中で心温まる旅の思い出となりました。そして改めて感じたのです。私はこれまで効率や片付け一辺倒で、身の回りのものと接してきたのではないか、と。

たとえばジュエリーのこれまでの保管法。

「小スペースに収める」という目的上、私が行きついたのはそれぞれのアイテムを小さなジップ付きビニール袋に入れることでした。100円ショップでビニール袋を買い求め、手持ちのアクセサリーを入れて収納してきたのです。確かに見やすくはなりました。けれども奮発して購入したリングも、格安で買い求めたピアスも同じような形で保管されるようになってしまったのです。名刺サイズのビニール袋に押し込められているという印象です。

けれども、京都のそのショップで見たのは、アクセサリーの美しいディスプレイ法でした。私が気になったアイテムをスタッフさんはそっとケースから出してくださった。その一連の動きがとても美しかったのです。

本来アクセサリーやカバンなどは、自分に幸せをもたらしてくれるはずです。それを収納効率一辺倒で保管して良いのだろうか?
そう私は考え始めました。

そこで思い切ってアクセサリー専用の引き出し型ボックスを先日、買いました。10段の引き出しからなるボックスで、ちょうど書斎の本棚に収まるサイズです。こちらに手持ちのアクセサリーを移し替えました。引き出しを開けるたびにお気に入りのアイテムが目に入ってきます。「明日の仕事ではどれを身につけようかな?」と考えることが、大いなる幸せを私にもたらしてくれるようになりました。

何かに情熱を傾けている人のエネルギーは、他者を動かします。英語で「変化の担い手」をchange agentと言います。あのショップのスタッフさんは、まさに私にとってのchange agentでした。

これからの自分の仕事人生において、私自身がそうしたchange agentになれればと思います。

(2020年4月14日)

【今週の一冊】

「街の公共サインを点検する」本田弘之・岩田一成・倉林秀男著、大修館書店、2017年

たとえば海外で1週間過ごして日本に帰国した際、私がついつい気になってしまうことがあります。それは「音の多さ」です。エレベーターやエスカレ―に乗るときの注意喚起メッセージ、電車の改札口のピンポン、近所を走る廃品回収車など、とにかく音があふれているのです。帰国後しばらくするとまた耳も慣れてくるのですが、できれば欧米のような静かな環境があればなあと思います。

今回ご紹介するのは、音ではなく、視覚的なお話。具体的には街中にあるピクトグラムやサインなどを紹介している一冊です。最近、私たちの身の回りでも日本語プラス多言語の表記が増えています。けれどもその一方で、様々な注意ポスターなどが乱立するため、日本語初心者の方にしてみれば、むしろわかりづらいのではないかということが本書には書かれています。

中でも興味深かったのが岩田一成氏の考察でした。恵比寿駅の中だけで25種類の注意喚起や禁煙表示があったのだそうです。「この駅の中だけで計30回以上の注意を受けながら出勤している」という視点は非常に興味深かったですね。

早速私も挑戦。我が家から最寄り駅へ至るまでの徒歩10分の間にどれぐらいの「禁煙」「駐輪禁止」「ふんは持ち帰りましょう」などなどといったメッセージが掲げられているか数えてみたのです。

で、その数は何と40個!これまでは風景の一部となっていましたが、もし日本語学習初心者の方がこれを一つ一つ読もうとしたら、それだけで膨大な活字量となり、脳への相当な負担になるはずです。

たとえば我が家の近所の例で言うと、小学校付近の看板があります。自動車の運転手向けに書かれた立て看板には「危険 通学路につき学童に注意」と出ていました。さらにその看板が括り付けられている電信柱の上の方には青い三角の横断歩道標識と黄色いひし形の通学路マークも。まさにトリプルパンチです。後者2点はピクトグラムなので一目瞭然ですが、「危険 通学路につき学童に注意」は縦長で漢字かな交じり。時速40キロで通り過ぎれば読む暇もありません。せいぜい「危険」が目に入るか否かといったところでしょう。

情報過多は「視覚汚染」であると説明する本書を通じて、公共デザインはどうあるべきかを考えさせられています。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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