INTERPRETATION

第443回 それでも広く視野を持ちたい

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

朝のウォーキングの際、季節の花や空、雲、音などに注目しています。数日間、同じコースを歩く日もあれば、気温や天候に応じて長さを変えることもあります。長年続けてきた散歩であるため、近所の裏通りもほぼ制覇したように感じます。

お気に入りの樹木、家の形、車、通りそのものの光景など、自分にとって心が和む箇所はいくつもあります。コロナで世の中が大変とはいえ、それでも心穏やかに過ごせる朝です。ささやかなひとときは私に活力をくれます。

放送通訳のニュースで頻繁に取り上げられるのは戦争、自然災害、政情不安などといった暗い話題ばかりです。もちろん、日本国内に目を向ければ、沢山の社会問題はあるでしょう。けれども世界に目を転じると、愛する人を失い、住む場所も奪われ、恐怖の中、自らの命を守ることで必死に生きる人がたくさんいます。そうしたことを考えると、自分の不満や愚痴がいかに些末なことであるかを痛感します。

高校時代の私は、小さなことでよく悩んでいました。親に聞いてもらったり、友達と語り合ったりしていました。当時の同世代の友達というのは、「悩みをシェアすること」が「友情の証」であったように思います。打ち明けることで、相手に心を開く自分がいる。そうした弱い自分をお互いに受け入れ合うことで、「友達」であることを確認する。そんな感じでした。ですので、悩み告白タイムにおいて語り始める内容自体も、本来は大して深刻なものではない、ということもありました。けれども自分で喋るうちに自己陶酔してしまい、どんどん肥大化していきました。

そんな3年間の高校生活に別れを告げるころ、私はふと感じました。「このまま大学に行き、またこんな感じで愚痴大会をしながら4年間を過ごしていくのだろうか?」と。しかも当時はまだ日本の景気も良い時代で、表面的な豪華さを身にまとうという環境でした。そうしたうわべだけの世界に私は抵抗も感じていました。せっかく合格した大学なのに、入る前から希望も萎えてしまい、自称「三月病」の状態でした。

以来、私の中では「悩み、迷い、愚痴」といったものとどう向き合うかは永遠のテーマとなっています。こうした苦しい状況というのは、思いがけない境遇によって自分に課せられるものもあるでしょう。一方、自分の選択や行動結果ゆえに生み出してしまうものもあります。「一人では解決できない」ともがき、誰かにすがりたくなるぐらい、出口が見えないこともあると思います。

それでも、ニュースの通訳をするようになって私自身、若かりし頃よりは踏ん張りがきくようになったと感じます。どれほど突破口が見出せないような問題が目の前にあったとしても、少なくとも今、この日本を見渡す限り、ニュースに出てくる国外に見られるような悲惨な光景は展開されていません。

尊敬する精神科医の神谷美恵子先生は、ハンセン病患者を前に「なぜ私たちではなくあなたが?あなたは代って下さったのだ」と詩に遺しています。ニュースの一つ一つから私もそのように感じます。

5月も半ばとなりました。今年は五月病どころか、新型コロナウイルスで先が見えない状況が続いています。仕事や勉強、自分の健康など、不安を一つ一つ挙げ始めれば押しつぶされそうです。けれども、そうした今であるからこそ、なるべく広く世界へ目を向け、今の自分の立ち位置を確認し、感謝すべき部分を意識していきたいと思っています。

(2020年5月12日)

【今週の一冊】

「徹底例解ロイヤル英文法 改訂新版」綿貫陽他著、旺文社、2000年

英語学習をする上で避けて通れないのが「英文法」。かく言う私は海外で幼少期を過ごしたため、あいまいな言い回しに直面すると、いくつかのパターンを口にしてみて「何となくフィーリングで正しそうな言い回しを選ぶ」ということを続けてきました。高校の授業で英文法の時間はあったのですが、文法用語そのもので早くも挫折。今も決して得手ではありません。

今回ご紹介する書籍は、英文法のバイブルとも言える「ロイヤル英文法」。英語の達人や大先輩方の多くがお勧めしています。理由は、詳細に渡って説明があること、索引が充実していること、例文が豊富であることが挙げられます。私が持っているのは、上記の版より少し前のものなのですが、基本的な内容はあまり変わっていません。私の版を見ても800ページ近い大著ですが、索引が非常に充実しています。わからない文法に遭遇しても、この索引さえ引けば調べられます。

随分前のこと。「やはり通訳者のプロを目指すなら、ロイヤルぐらいは制覇せねば!」と意気込んで勉強し始めたことがありました。かなり向こう見ずな計画でしたが、そうでもしなければいつまでたっても英文法を積み残したままになると危惧したのです。

しかし残念ながら計画は頓挫。第2文型あたりで音を上げました。考えてみれば、そもそもこの文法書は百科事典のように「わからない箇所を調べるためにある」のであって、第一ページから通読するものではないのですよね。そう考えたら気分的にも楽になりました。

一方、最近始めたのは本書の中の例文音読。文法説明そのものの記述は読まず、代わりに、オモシロ例文、ツッコミどころ満載例文を探すというプロジェクトです。「え?こんなシチュエーションはありえない」などとツッコミを入れつつ、例文の状況を頭に描いては楽しく音読しています。

このように例文を「いじる」という使い方は、本来であればご法度なのかもしれません。けれども英語学習者であれば一家に一冊(?)は揃えておきたい素晴らしい文法書です。これさえあればどんな文法の疑問にも答えてもらえると思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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