INTERPRETATION

第442回 耐久時間は?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

わずか数か月前まで、私たちは仕事や趣味、食事会、旅行など、様々な形で自由に移動し、楽しみを味わってきました。制限のない世界でメリハリのある暮らしをしてきたのです。あまりにも当たり前なことを意識もせず享受してきた日々。それが新型コロナウイルスにより、一変しました。目には見えないウイルスはつかみどころがありません。恐怖や現状否定、楽観、悲観など、今や様々な思いが錯綜する世の中です。

昨年の晩秋に敬愛する指揮者のヤンソンス氏が亡くなって以来、「聴いておけるコンサートには出かけよう」と私は考えるようになりました。本物の作品が見られる美術展にもちゃんと足を運ぼう。大スクリーンで観られる映画は上映中に観ておこう。そうした気持ちが沸き上がり、どんどん予定を手帳に書き込んでいました。その矢先でのコロナです。

次々とイベントやコンサートが延期・中止となり、その都度、手帳の予定を二重線で消していきました。買っておいたチケットの返金が銀行口座に続々と入ります。楽しみにしていた宿泊先も、ネット画面上でキャンセルをしました。「はい、次」「はい、次」という具合で、手帳上の予定項目がむなしく消えていったのです。その一方で、指導先の開講日がどんどん後ろ倒しとなっていきました。すべてが予測できない状況です。

さりとて、モヤモヤしていても先へは進めません。自分自身が今、置かれた中で動かない限り、もっと埋没してしまうでしょう。そうなれば悪循環です。そこで私が考えたのが、スケジュールを立ててそれに従って日々を過ごすというものでした。今まで通り、夜明け前に起きて読書や執筆をする。日中は家事や仕事の傍ら、運動も定期的におこなう、という具合です。

そうした中、実は面白い発見がありました。きっかけはワークアウトの動画でした。

これまで週に数回通っていたジムもお休みになってしまったため、私は動画サイトでエクササイズ・ビデオを探してみました。幸い好みのものが複数見つかり、体を動かすことが家でもできるというのは、新たな発見となりました。

動画サイトというのは本当に便利です。キーワードを入れて絞り込めば、より自分好みのものがヒットします。しかも動画の長さまで指定できます。たとえば”5 minutes workout”と入力すれば、5分の動画ばかりがヒットしてくるのですね。気が付けば、筋トレやクールダウン、燃焼系など、楽しい動画に随分巡り合えました。

話を「面白い発見」に戻りましょう。具体的には「人間の耐久時間」具体的には「集中できる時間」に関して、私は新たなことに気づきました。

人というのは、どれぐらいの時間、集中できるのでしょうか?ジャーナリストの千葉敦子氏は自身の集中時間について著作の中で説明しています。いわく、「かつて自分にとっての最長の集中時間は100分だと思っていた。これは学生時代の授業時間と同じ。しかしワープロを買って以来、集中できるのは14時間だということに気づいた」のだと。取扱説明書を見ながら練習をしてすべての機能を覚える際、14時間連続で練習していた、というのです。

私自身、自分の好きなことであれば席を立たずに何時間でも楽しく続けられます。一方、苦手なことの場合、数分でも苦痛です。では現代人の平均的な集中時間というのはどうなっているのでしょうか?もしかしたら時代と共に変わりつつあるのでは、というのが私にとっての発見です。

とある勉強用アプリのCMで「たった3分!」を宣伝しているものがありました。一日3分ぐらいなら時間を割けそうですよね。30分、1時間となると腰を据えて「学び体制」に入らねばなりませんが、3分ならば微妙に丁度良い長さです。「やらないための言い訳」が成り立たない絶妙な長さと言えます。

実際、私自身も筋トレやヨガなどの動画を検索する際、キーワードで入れていたのは「3分」か「5分」です。いえ、別に筋トレとヨガが嫌いというわけではありません。けれども他のことを後回しにしてでも長時間やりたいかというと、今一つなのです。ゆえに私にとっての耐久時間はせいぜい5分ということなのでしょう。

コロナウイルスにより、教育機関も通常の授業ができなくなっています。動画配信に切り替えている所もあります。その対象科目が好きか嫌いかによっても、各学習者が動画の再生時間に感じる思いはそれぞれということになります。

人間の学びにおける耐久時間が今後どうなっていくのか。対面授業が減ることで変わっていくのか、興味を持って見守りたいと思っています。

(2020年5月5日)

【今週の一冊】

「増補新装 カラー版 世界デザイン史」阿部公正・監修、美術出版社、2012年

「通訳者というのは常に黒子である。」このような指導を通訳学校で受けて以来、私の中では「業務中はなるべく目立たないように」という意識があります。テレビ通訳や会議通訳後の写真撮影などでも、なるべく映らないように心がけています。当事者以上に通訳者が目立ってはいけない、というのが私の持論です。

その一方で、通訳者というのは縁の下の力持ちでもあります。たとえ無名であっても、その会議やニュースを支えていることに変わりはありません。このようなことから、私は黒子というものにとても惹かれます。

生活の中にあるモノは、まさにその類です。椅子、食器、車、パッケージなど、どれも私たちの生活に欠かせません。それぞれに工夫を施した美が潜んでいます。けれどもひとつひとつの商品にデザイナーの名前は書かれていないのです。それが普通です。たとえば今、これを書きながら私は自宅でコーヒーを飲んでいるのですが、使っているマグカップの形状や柄が一体誰によって作られたのかは不明です。まさに黒子による仕事ということになります。

今回ご紹介するのは、世界のデザインを歴史的に網羅した一冊です。すべてカラーで、「デザイン」がどのような歴史を経て発展してきたかが体系的にわかるよう工夫されています。家具、ポスター、文字の装飾、橋、カメラなど、あらゆる「モノ」がデザインの観点から分析されており、時代の流行がいかに変遷してきたかわかります。

新型コロナウイルスが大きな問題となっている中、私は1918年から19年まで世界的パンデミックとなったスペイン風邪に注目しています。今回、この本を読む際にもスペイン風邪の蔓延時期のデザインがどうなっていたかに関心がありました。1917年にはロシア革命が起きており、ドイツでは1919年にワイマール憲法が制定されています。一方、美術と工業技術の融合を目指して同年にドイツで設立されたのが「バウハウス」です。バウハウスについては「学校教育という共同体を介したデザイン運動として、同時代の芸術思潮のなかでも独自な意味を切り開いてゆくことになる」(p78-79)とあります。その後の世界にも大きな影響を及ぼしています。

スペイン風邪は終息するまで数年かかりました。まさに長期戦です。けれどもその間も芸術やデザイン、そして人々の生活や社会は動いていました。コロナウイルス下で生きる私たちも、ただただ立ち往生や思考停止をしてしまうのではなく、その中でどう前に進んでいくべきかを考えねばならない。こう私は本書を通じて考えさせられたのでした。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END