INTERPRETATION

第457回 母

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

このコラムをお読みのみなさんは、「いずれ通訳者になりたい」「英語関連の仕事をしたい」「もっとレベルアップして通訳業務を増やしたい」と思われているケースが多いと思います。だからこそ、数ある英語学習や通訳翻訳関連のサイトから、このコラムを読んでくださっているのですよね。そのことに改めて御礼申し上げます。

読者のみなさんは、好奇心にあふれ、英語の勉強をしっかりと実行され、日々の生活を規則正しく計画をたてて過ごしているというケースが多いと思います。「頑張り屋さん」であり、今までの人生をそうした自分自身の努力で切り開いてこられた。難しいことに出会っても自分の力で克服しようとされた。「自分が踏ん張れば何とかなる」という気持ちで切り抜けてきたのではないでしょうか?たとえその困難な状況が自分のせいではなく、他者に源があったとしても、です。

私もそういうタイプです。

小さいころから計画を立てて実行し、それが達成されることに大きな喜びを抱いていました。努力は自分を裏切らない。頑張れば必ず報われる。そんな思いを、実践方法と共に何度も何度もおこなうことで、そのパターンが私の一部となっていったのです。

ただ、この手法が通用しないことが私の人生にはありました。

今まで書こうか書くまいか迷っていたことがあります。でも、読者の中には私同様の状況に置かれておられる方もいると思いますので、今回は書くことにします。

それは実母との関係です。

私は一人っ子であり、幼いころから両親の関心を一身に集めて育ちました。今も健在な両親はそうした思いを私に抱き続けて見守ってくれています。ありがたいことだと思っています。

けれども、母娘というのは一筋縄ではいかないのですよね。私が幼いころから母は母なりに人生における困難や課題を抱えて生きてきています。本来であれば夫婦間で解決すべき問題も母の思うようにいかず、その満たされない部分が娘への愛情という形になっていました。つまり、一言で「愛情」といっても、歪んだものであったのです。

幼い子どもというのは素直です。そのような母の様子を見るにつけ、「母を助けられるのは私しかいない」と無意識に思っていたのでしょう。「母を救ってあげる→母は喜ぶ」というパターンが私の成功体験となっていったのです。先ほど述べた「頑張れば報われる」ということですよね。

ここで終われば真の親子愛でとどまれたことでしょう。けれども、そうはいかないのが母娘関係の複雑さです。母は「母親」という役割の立場から、「良き母親」として私に接してきたのですが、言葉にはできない違和感をやがて私は抱くようになっていったのです。

つまり、客観的に見れば「いい人、いい母親」ではあるのですが、何か違うと私は感じとってしまったのですね。でも子どもであり、母の庇護の下で暮らす私にとって、正面から母にその違和感を主張することは、母そのものを否定し、悲しませることになります。よって、長年私はそれができずにいたのでした。

そのモヤモヤ感は年月とともにマグマのように私の中に蓄積されていきました。そして結婚を機に爆発してしまったのです。理由は「結婚により新たな価値観を知ったがゆえ」でした。自分がそれまで当たり前と思っていた母娘関係が、実はどうも違うように思えてきた。新しい価値観を私は自ら取り入れて、それに基づく人生を歩んでも良いということを知ってしまったからなのですね。

それから10年ほど、母と私の間は難しい関係が続きました。私自身、心を病み、何をどうやっても解決できない苦しい日々に直面しました。母に直訴しても理解してもらえず、けんかをしてもわかってもらえないのは非常に辛いものでした。苦悩することがしんどくなればなるほど、通訳の仕事に逃げました。通訳業務に邁進できたのは、母との大変な関わりがあったからです。そのおかげで通訳人生が確立できたというのは、ある意味、皮肉でもありますよね。

難しい日々の頃は、家族行事で母と会うだけで私は体調を崩すほどでした。よって出来る限り接触を少なくし、考えないようにする時期が続いたのです。

状況が変わったのは、ここ1年ほどです。私が年を重ねてきたことも大きいと思います。「相手を変えることはできない」と、ようやく達観できたのがきっかけでした。と同時に、私自身が良き人間関係に恵まれ始めたのを機に、自分の心が安定したことも言えます。それでようやく「ありのままの母」を受け入れられるようになったのです。

もちろん、今でも母の言動で「うーん」と思ってしまうことはあります。けれども昔のようなダメージは被らないようになったのですね。母は母、私は私。お互い確実に年を重ねているのだから、一緒にいるときはできるだけ楽しく過ごそう。そう思えるようになったのです。

母娘関係というのは、子どもが育つ上で非常に影響力があります。私の場合、かなりいびつな日々が続きました。自分がこの歳になるまで苦しみが続いたというのは、正直こたえました。でも、それが「頑張ることに生きがいを見出す自分」を生み出したのも事実。それが自分の仕事に貢献してくれたのも事実なのですよね。

読者の中には、私と似たような境遇の方がおられるかもしれません。少しでも参考になればと思い、あえてこのお話をさせていただきました。

(2020年8月25日)

【今週の一冊】

「余計なことはやめなさい!ガトーショコラだけで年商3億円を実現するシェフのスゴイやり方」氏家健治著、集英社、2018年

本書を読むきっかけも、これまた偶然でした。日経新聞夕刊で連載されている「人間発見」というコラムです。掲載されていたのは「営業部女子課」主宰の太田彩子さんでした。太田さんは株式会社リクルート勤務時代に「ホットペッパー」の営業担当者でした。その時に携わったのが、新宿御苑前にあるレストランでした。そのお店をオーナーと共に立て直したのが太田さんです。今ではガトーショコラ専門店として大いににぎわっています。

著者の氏家氏はこのショップのオーナー。いかにして倒産寸前だったところから年商3億円にしていったかが本書には綴られています。ジャンルとしてはビジネス書ですが、氏家氏の述べることばはどれも力強く、生き方論としても読めると思いました。

たとえば、「いい人」になり過ぎてしまうと雑音が耳に入り過ぎてしまい、目指す方向がぼやけてしまうとあります。これは経営に限らず、私たちの心の持ちようとして大切ではないでしょうか。「あの人にもこの人にも好かれたい、だから我慢する、あらゆる意見に耳を傾けて、周りから嫌われないようにする」というマインドになってしまうと、結局のところ、どっちつかずになってしまいます。氏家氏は「自分にとって本質的ではない友人関係」を整理したところ、「有意義な新しい出会い」が増えたと述べています。「惰性で続けることほどばからしいことはありません。世の中にはもっともっと素晴らしい出会いが待っています」(p94)は含蓄のある言葉と言えるでしょう。

他にも印象的だった箇所を3つ抜粋します。
*「『やりたくないのに、やらされている』といった義務感からは、何が本質かが見えてきません。」(p156)
*「本質的にやりたいことに向かって進むのか、周囲の目を気にしながらその場限りのことに調子を合わせて生きるのか、よくよく考えてみてください。」(p174)
*「大事なのは変化を恐れないこと、変化に貪欲であること。警戒すべきは変化ではなく、停滞です。」(p191)

生きていく上で何が大切なのか。一度限りの人生をどう生きるべきか。
このことを深く考えさせられた一冊でした。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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