INTERPRETATION

第479回 働き方・生き方

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

緊急事態宣言が首都圏では延長されました。私も東京近郊に住んでいるため、なるべく不要不急の外出はしないように心がけています。とは言え、通訳の仕事、とりわけ放送通訳の場合、リモートではなく放送局に出向いて通訳ブースで同時通訳をしますので、必然的に外に出ることにはなるのですよね。感染に気をつけながら引き続き業務に励みたいと思っています。

幼い頃からの自分を振り返ってみますと、私はどちらかと言うと「お一人様」を心地よいと感じるタイプでした。もちろんお友達とワイワイ楽しく過ごすことも好きでしたが、一人っ子だったこともあったからでしょう。幼少期は自分でお人形さん遊びをしたり、塗り絵やお絵かきをしたりしていました。お人形さんごっこでは声色を変えて演じるのが楽しかったので、今、思い起こせば「放送通訳で、つい声を変えたくなってしまう。その人物になりきりたくなってしまう」という衝動も、そうした幼児体験から来るのかもしれません。

小学校から中学にかけてイギリスで暮らした経験も、「一人で行動する」ということをより強化したように思います。イギリス時代によく聞いたフレーズが”It’s up to you.”です。選択に迷っているとこの文章を言われたのですね。「あなたが自由に考えて良いのよ」という意味ですが、その根底には「自分で考える=責任も自分で取る」というものだったと思います。子どもの頃から自分で考えさせる習慣を身に付けるというのは、とても良いことだと思ったものでした。当時はスマホやネットの無い時代でしたので、「いいね!」の数など気にせずに済む緩やかな日々だったのも大きかったのでしょう。

一方、中2で帰国してからは「集団行動」および「周りから浮かないのが良し」という日本ならではの方法に最初は戸惑いました。様々な場面でヒエラルキーがあり、たとえば学校であれば「生徒会長→学級委員長→班長」という具合にランクがありました。転入生だった私は何の役職にもつかない「平民(?)」でしたが、その一方で、こうした集団で組織が動くことが秩序につながるわけでしたので、それはそれで新鮮であり、日本の良さでもあると感じたのですね。

その後、大学を卒業するまで私は日本の生活にどっぷりつかることとなり、日本のやり方にも馴染んでいたと思っていました。しかし、会社員になり、朝から夕方まで内勤の仕事をしていくうちに、何となくムズムズするようになってしまったのです。

会社への不満はありませんでした。むしろ周囲も先輩も上司も良い方ばかりで、労働条件も素晴らしいものでした。オンとオフを切り替えることができるぐらい自分の時間もありました。福利厚生も充実しており、今思い返しても本当に良い会社だったと思います。

でも、眠っていた「お一人様願望」が芽生えてしまったのでしょう。同じメンバーの集団で日々を過ごすことが何となく窮屈に思えてきたのです。そこで私は留学という目標を設定し、それに少しでも近い仕事を探して転職し、貯金をして大学院へ進学したのでした。

その後、BBCという組織でフルタイム通訳に携わった以外はずっとフリーランスで現在に至っています。今回、思いがけないパンデミックが発生し、私たちの仕事も一変しました。スポーツや芸術活動などがどんどん中止となり、中小企業は苦戦を強いられるなど、世界全体の「仕事」が激変しました。一方の通訳業界ではAIによる自動通訳機の進歩がめざましくなっています。過日のビジネス雑誌の見出しに、「いずれ無くなる職種」として「通訳」が書かれていましたが、事実、それぐらい技術は進みつつあります。

そうした先行き不透明の中に置かれていてもなお、私はフリーで仕事を続けたいと考えます。幸い指導の現場にいることもあり、通訳業務だけでなく、次世代を育てる機会にも恵まれています。もちろん、今後の雇用や老後への不安が皆無というわけではありません。むしろその逆です。退職金も無く、体力と気力が資本であるフリーランサーにとって、自分がダウンしたり今回のコロナように世界を揺るがすような出来事が起きたりすれば、明日のわが身がどうなるかはわからないのです。

「それでもこの仕事やこの生き方を続けたい」と思うのは、ある意味で「賭けのような人生」でもあります。でもそれが自分の選択なのですよね。

世界を見渡せば、今回のコロナで命を失ったり後遺症を患ったり仕事を失ったりという方々が大勢おられます。紛争があったり、医療制度や経済が整わない中、今日一日を生きるだけで精いっぱいという状況に置かれた人たちもいます。日本が完ぺきとは言えないまでも、給付金などの制度を打ち出したり、ワクチン実施に向けて動いたりというのはありがたいことと私は考えます。

自分の生き方を尊重してくれる社会に私は感謝しています。だからこそ、誠意を持って仕事を続けていくことが私に課された宿命と思っています。

(2021年2月9日)

【今週の一冊】

「人生は凸凹だからおもしろい」枡野俊明著、光文社新書、2020年

著者の枡野氏は住職にして日本庭園デザイナーという異色の経歴の持ち主です。仏教の教えを非常にわかりやすくこれまでの著作でも述べておられ、私自身、ずいぶん励まされてきました。今回ご紹介するのは主に「禅」の教えです。コロナが長引く中、いかにして心を健やかに保てるかが本書には記されています。

人と動物の最大の違い。それは人間の場合、あれこれと過去や未来について考えて悩むことだと私は思います。過ぎたことを「ああすればよかったかな」「本当はこうした方が違う結果になっていたかも」という具合に悔やむことがありますよね。その一方で、「もし○○したらどうしよう」「万が一△△の展開になったら」と考え始めると、不安は尽きなくなります。楽しい過去や希望に満ちた未来に思いを寄せるのは、もちろん幸せな時間の使い方でしょう。けれどもその逆の場合、心は「今」を生きなくなってしまいます。

枡野氏は「わからないことは、いくら不安を感じようが、悩もうが、どうしようもない。どうにもならない」(p149)と説きます。「頓着することで自分が不安をつくり出してしまう」「不安は想像の産物」(p150)だからこそ、今を大切にして、自分ができるベストを尽くすのが良いのですよね。

もう一つ、私の心に響いたのは、「失敗(ネガティブ)=発見(ポジティブ)」(p195)というフレーズでした。これも禅の発想なのだそうです。失敗を通じて新たなことを発見できれば、たとえば再発防止策を見出したり、違うやり方を考えたりできれば、それが次につながります。悔やむのではなく、次につなげることが大切なのだと感じます。

コロナが長引く中、気持ちを元気にしてくれた一冊でした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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