INTERPRETATION

第486回 理想の教師像

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

中学2年生でイギリスから帰国直後に編入したのは、日本の公立中学校でした。家の隣にあった学校に最初は転入したのですが、「帰国子女の受け入れは初めて」というマンモス校で、先生方もどう対処して良いか戸惑っておられたようです。横浜市とは言え、かなり郊外(=田舎!)にありましたので、外国帰りというのは珍しかったのでしょう。休み時間になるたびに、

「ウチの中学にガイジンが来たんだって!!」

と言っては、多くの生徒たちが見にやってきました。上野動物園のパンダ状態でした。

それまで通っていたイギリスの学校は同学年の生徒数がわずか60人ほど。それに対して編入した学校は約50人X13クラスという、めまいがするような規模でした。転校生ゆえ、何とか教室内の最後列に席を確保するも、黒板も先生も遠かったことを覚えています。

それで嫌気がさしてしまい、月曜日から金曜日まで通って「学校行きたくない宣言」を出し、慌てた両親が急遽土曜日(当時の市役所は土曜日もやっていました)に教育委員会へ行き、「帰国子女協力校」なる公立中学を探し出し、翌月曜にはそちらに通うことにしたのでした。

自宅からは1時間ほどかかりましたが、初めての通学定期に喜びを感じ、担任やクラスメートにも恵まれ、川崎に転居するまでの半年間は本当に幸せな日々を送ることができました。

そのとき思ったこと。それは児童生徒にとって大事なのは「良き師や友人との出会い」なのです。担任の先生が人格者だったお陰で、クラス内のまとまりも良かったのですね。その先生は一見ものすごーい強面だったのですが、決して贔屓をせず、誰に対しても平等に接しておられました。どれほど幼い子どもでも、たとえ中学生であったとしても、先生が特定の子だけを可愛がったりすれば鋭く察するものです。

中でも印象的だったエピソードが二つあります。

一つ目は理科のテスト。化学の原子を日本語で書く問題だったのですが、私は正しい日本語がわからず、英語でhydrogenやらpotassiumなどと書いて提出したのですね。担任の先生は理科が専門だったのですが、私の答案を「0点」にはせず、赤で横線だけ引き、さらに日本語で書かれた原子関連のプリントを返却時に渡してくださいました。そして一言、「これを見て勉強しなさい」とおっしゃったのです。

あの光景は今でも強烈に覚えています。先生は細かいことをゴチャゴチャ言わず、それでいて私のとった行動を否定せずに受け入れてくださったのです。

もう一つの出来事は、掃除時間中にあったちょっとしたいざこざでした。その日、私の班が担当した体育館で、班員同士が口論(別に激しいものではありませんでしたが)となりました。すると監督していた副担任の先生が、状況を誤解されてしまったのです。どちらか一方が悪かったのではなく、けんか両成敗状態だったのですが、「連帯責任」ということで、その副担任から私たちはげんこつ体罰を受けたのです(今の時代では考えられませんが、当時はそういう世の中でした)。

あまりにも理不尽だと私は思いました。

当時、担任の先生は、出席番号に基づいて生徒たちと交換日記をして下さっていました。たとえば出席番号が「1番」なら、毎月「1日、11日、21日、31日」に先生に提出する、という仕組みです。

件のげんこつがどうしても私は納得がいかなかったため、担任の先生に日記で説明して提出すると、先生はすぐに動いてくださり、その件に関わった生徒たちや副担任からもきちんと話を聞いてくださったようです。そして後日、副担任は私に謝って下さったのですね。そのとき私は「謝ってくださるのであれば、私だけではなくて、げんこつを受けた班員にも謝って下さいますか?」とお願いしたことを覚えています。

あれから本当に長い年月が経ちました。当時の仲間とは疎遠になり、先生方がどうしておられるかはわかりません。でも、あのとき私が14歳にして体験したことが、私自身の「めざすべき教師像」になっているのは確かです。

(2021年4月6日)

【今週の一冊】

「70歳のたしなみ」坂東眞理子著、小学館、2019年

小学校2年生から4年生まで私はオランダのアムステルダムに暮らしていました。そのとき、毎月楽しみにしていたのが小学館の月刊雑誌です。1年生から6年生向けに当時発行されており、親戚に頼んで船便で送ってもらっていたのでした。数か月遅れで手元に届くため、プレゼント懸賞などは応募できなかったのですが、マンガや読み物、付録などがとても待ち遠しかったのを覚えています。

ちなみにそのとき読んでいたのは「自分の1学年上の雑誌」だったのですね。つまり小2の時には「小学3年生」を、3年に上がったら「小学4年生」という具合です。なぜそのようにしたのかはあまり記憶が定かではありません。ただ、少しだけ背伸びをしたかったのだと思います。親も「自分の学年のものを読みなさい」などと言わなかったので、そのまま読んでいたのでした。

そうした習慣(?)があったからなのか、10代の頃は「20代のための〇×」というタイトルの本を読んでいましたし、社会人になってからは自分より一回り二回り上の年齢層向けの書籍に手を伸ばしていました。というわけで、今回も「70歳」とあるのですが、読んでみた次第です。

著者の坂東氏は総理府勤務、埼玉県副知事などを経て昭和女子大学の理事長を現在務めておられます。昭和女子大を大いに飛躍させたことで知られており、今では多くの卒業生が世界各地で活躍しています。

自分より上の世代向けの書籍を読むと、自分がいざその年齢層に到達した際、どのような心構えでいれば良いのかが分かります。たとえば本書に書かれている「今日が一番若い日」「自分の人生を肯定する」などは、どの世代にも当てはまることでしょう。

中でも共感したのは「失った若さや体力を数え上げるより、今持っている力を数えて感謝する、人に少しでも役に立つように行動する」(p4)という一文です。どれだけお金や体力、財産やモノを持っていても、あの世まで一緒に持っていくことはできませんよね。「今」という時に感謝をして穏やかに生きていきたいなと改めて思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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