INTERPRETATION

第504回 現金と記憶力

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

子どもの頃、夢中になって何かを集める。おそらく誰もがそういった経験はあるのではないでしょうか?私の場合、シール、グリコのおまけ、切手、テレカなどが挙げられます。また、大人になってからも、駅の改札口にある「駅スタンプ」を見れば手帳の余白に押していますし、よく行くお店のポイントカードやアプリも好きです。あまり出かけない店舗の場合はお断りしているのですが、少なくとも月に何度か行くのであれば、持っていると楽しいなと感じるのですね。

同様に集めているのもクレジットカードのポイントです。クレカの場合、月に一回、まとめて銀行口座から引き落とされますよね。明細書を見ると、その利用額に応じてポイントがたまっていることが分かります。ある程度の数字になったら、景品や商品券などと交換できますので、お得感満載です。

コロナが始まってからは、現金よりもクレカや非接触型カードの長所が改めて注目されています。数年前にロンドンのバスに乗ったときは、かつての現金制度がなくなっており、非接触型のクレカしか使えない状況でした。知らずに乗り込んでしまい、しかもその日はオックスフォードまで用事があってどうしても行かなければならず、最寄りの長距離バス停まで市バスで目指していたのです。バス運賃が払えず、焦りましたが、親切な運転手さんが「うん、じゃ今回は気にしないで良いよ。オックスフォード行きのバス停近くでおろしてあげるから」と涙が出るような対応。本当に助かりましたね。

さて、話を現金に戻しましょう。

実はここ数年、クレカが使えるときはできる限りカード払いでポイント蓄積を狙っていました。けれども、ふとあることに気づいたのです。

それは、

「たとえ帰宅後に家計簿をつけたとしても、クレカで払った金額というのは、まったく現実感が無い」

ということでした。

もちろん、これは人によりけりでしょう。カード払いの際、会計画面に示された数字をしっかり見る方もいらっしゃるはずです。一方の私はと言えば、確かにその瞬間は数字を見ているのですが、お店を出ると「一体私はあの商品に今、いくら払ったかしら?」と、あっという間に記憶が無くなってしまうのです。

そこで最近は「あえて現金払い」をするようにしています。どうしても現金不可という状況以外はとにかくキャッシュです。

すると、「お財布を開ける→小銭を出す→お札も出す→使用金額がしっかりと記憶される」となったのですね。特に「50円玉」や「500円玉」のお釣りをいただきたいときなど、頭の中ではひたすら暗算をして、そうなるような小銭を出そうとします。それで余計に「使った金額」が記憶として定着するのでしょう。

では、これを英語学習に当てはめたらどうでしょうか?

要は「手間をかけた方が記憶に残る」という仮説に基づけば、ショートカットで勉強するより、あちこち寄り道しつつもコツコツと学び続けた方が実力として蓄積されるように私は思うのですね。

「紙辞書を引いて他の単語の寄り道をする」
「電子辞書のジャンプ機能を使って関連語を調べてみる」
「お気に入りのセレブに関するWikipediaをあえて英語版で読む」
「一度読んだことのある小説のオリジナル版または英訳版を探す」

このような具合で、ひと手間二手間かけた分、じわじわじっくりと頭の中に残ってくれるように感じるのです。

テレワークや外出自粛で家にいる時間が増えた分、「寄り道」を自分に推奨して、それを実力として蓄えたいと思っています。

(2021年8月17日)

【今週の一冊】

「捨て本」堀江貴文著、徳間書店、2019年

緊急事態宣言が続き、しかもうだるような暑さ。何となく気持ちもお疲れ気味です。そんな心境の方に是非お勧めしたいのが、今回取り上げた本です。出会いはたまたま書店で平積みしていたのをパラパラとめくったこと。堀江さんの本はこれまで何冊か読んだことがありますが、本書は自伝的な部分も多く、ご本人の物事のとらえ方、価値観がふんだんに盛り込まれています。

タイトルにある通り「捨てる」がキーワードですが、モノだけではなく、人間関係や仕事における人生の選択についても綴られています。ご本人は刑務所で月日を過ごした経験から、時間の有限性をとても意識しておられるのですよね。よって、過去や未来を憂うのでなく、今を生きる大切さを説いています。

印象的だった箇所をいくつかご紹介しましょう。

「気持ちさえあれば、制限された現実の環境を、自分の望む通りに変えることは、きっとできる」(p209)

「やれることをやって、いまより良い状況をつくり出すのは、自分の取り組み方次第」(p210)

「辛いことには違いないのだけど、落ち込んだり、挫けていたって、しょうがない」(p227)

確かにそうですよね。コロナ「前」の生活スタイルを懐かしんだとて、それが今すぐ再現できるとは限りません。「どーしよーどーしよー?」と不安になるだけでも先へ進めません。

一方、他者を盲目的に信用し過ぎることは依存となり、執着につながり、かえって自分が苦しくなるということも書いておられます。その通りだと思います。

最後にもう一つ:

「落ちこみに沈んでいるだけの選択は、知恵と想像力の放棄」(p228)

せっかく教育という機会を与えられ、本を読んだりネットで情報を得たりできる時代に私たちは生きているのです。自己憐憫や自己否定をするのは簡単ですが、それは「知恵と想像力」を「放棄」することである、との一文にとても勇気づけられました。前を向いて歩むことの大切さを感じています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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