INTERPRETATION

第551回 法則

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日何気なくネット記事を読んでいたところ、興味深い数字に出会いました。

1:2:7

「いち・たい・に・たい・なな」です。ちなみに私は放送通訳業に携わっているため、数字の読み方にも日ごろからかなり敏感です。たとえば航空機のボーイングの場合、「B747=ボーイング・なな・よん・なな」ですが、エアバスなら「A380=エー・さんびゃくはちじゅう」。会社によって日本語の数字読みも異なるのですね。

で、先ほどの数字ですが、これは「1:2:7の法則」と呼ばれ、人間関係についてのものです。仮に自分の周りに10人いた場合、「自分を嫌う人は一人、自分を応援してくれる人は2人、どちらでもない人が7人」という内訳になるのです。説によっては「自分を嫌う人は2人で、応援してくれる人は一人」というものもあります。

この数字を見て私は非常に納得しました。と言いますのも、集団という場に身を置いた場合、何をどう努力してもこちらを嫌ってくる相手が一人は存在するからです。逆に、何があったとしても見捨てずに寄り添ってくれる人は二人いるのですよね。

つまりこういうことなのです。「嫌ってくる一人」という、いわば望み無き相手に対して理解を求めたとて成功する確率は低いでしょう。それどころか、その人物に対して不毛な努力を続けることで自分自身が疲弊しかねません。そうなってしまえば、本来大切にすべき「応援者2人」へのエネルギーも残されなくなります。自分が心身のバランスを崩してしまえば、寄り添ってくれる相手を邪険にしてしまい、大切な関係をも破綻させる恐れすらあるのです。

この法則によれば、そんな「相互理解実現0%」を相手にするより、応援者2人を大切にすべきなのですよね。さらに残りの「どちらでもない7人」が自分の味方になってくれるような人間関係を構築するのが良いとのこと。なるほど、と思いました。

実はこの数字は同時通訳現場でも当てはまると私は感じます。少しこじつけのようですが、具体的には「1=完全なる誤訳」、「2=正しい訳語」、「7=完璧ではないけれど概ね意味としては合っている訳語」です。

私が日ごろ担当するCNNのニュース現場では、ブースに一人で入ります。つまりサポートをしてくれるパートナーがいないのですね。よって、担当する時間帯の訳語の責任はすべて自分一人で担うことになります。その場合、絶対に避けたいのが「完全なる誤訳」。つまり、不注意や勘違いにより間違えた訳語を口にすることはできないのです。

一方、理想は2の「大正解の訳語」です。いちいち辞書を引くことなく、聞いた先からどんどん同時通訳で正しい語に置き換えることです。自信をもって訳出していくことが肝心です。

とはいえ、「ヒト通訳」は機械ではないため、様々な要因で訳語が出てこないもの。ちょっとした瞬間に集中力が途切れたり、咳き込みやくしゃみ、空腹などの生理的現象で脳内訳出モードが停止したりすることもあります。だからこそ、「まあ間違ってはいないよね」という意訳で乗り切ることも大切なのです。

「1:2:7の法則」は人間関係を表すものですが、私にとって「1:2:7@同通現場」はいわばエネルギー配分のようなもの。「2=正しい訳語」に集中しつつ、「7=概ね正解」の部分にも注力できるよう、体力を使いたいと思っています。間違っても「1=完全なる誤訳」の罠に引きずり込まれぬようにしつつ・・・。

(2022年8月9日)

【今週の一冊】

「60年前と現在の世界地図 くらべて楽しむ地図帳」関眞興(編著)、二宮書店(協力)、山川出版社、2021年

ロンドンの大学院に留学していた頃、息抜きと称する現実逃避をしていました。場所は美術館です。その時に出会ったのがフェルメールの作品でした。日本でも人気のフェルメールの絵には、背景に古地図が描かれているものが多くあります。壁にうっすらと写し出される世界地図を見ると、まだ測量法など無い時代に人々がどう世界をとらえていたかがわかります。

今回ご紹介するのは地図の比較本。60年前とは1962年であり、日本が高度経済成長を遂げていた時期です。60年前の地図を見ると、アジアにはまだ「ビルマ」が存在し、インドのムンバイは「ボンベイ」という表記です。アラビア半島ではイエメンとの国境線が曖昧であり、ヨーロッパとソビエト連邦の間にはくっきりと赤い線が引かれています。ウクライナもベラルーシ(白ロシア)もソビエトの一部だったのです。

地図そのものの比較と解説も非常に興味深かったのですが、それ以外にも年表やデータに私は関心を抱きました。特に「60年間に起きたおもな戦争と紛争」(p131)を見ると、第二次世界大戦以降いかに多くの戦いを人類はしてきたのかに気づかされます。あの大戦での反省があったにも関わらず、今日に至るまで対立は続いているのです。

一方、「資源・エネルギー」の分布図を見ると、石油や鉱物などはかつては一国あるいは一地域に生産地が集中していました。しかし今やそれが多様化し、世界中で流通していることがわかります。グローバル化の恩恵でもあるのですよね。

次の文章が心に残りました:

「国の数は増加傾向にある。2度の世界大戦とその後の社会の変化を通して、植民地だった国々などが独立を遂げた結果だ」(p157)

本来であれば国が独立し、人々が暮らしていけるのは喜ばしいはずです。けれども昨今の世界情勢を見てみると、今なお世界のどこかで紛争が起きているのです。過去から学び、少しでも平和な世界地図が将来描かれるようになることを願ってやみません。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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