INTERPRETATION

第571回 好みは変わる。それでいい

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳や指導の仕事をしていて悩まされること。それは慢性的な首や肩の凝りです。行きつけのマッサージ店のスタッフさんには、「頭のてっぺんからつま先までガチガチ」「背中が鉄板のよう」と指摘されるほど。自分でも血の巡りが悪いなあと痛感しているので、プロから見れば問題だらけの硬さなのでしょう。

先週の本稿でラジオ体操について書きましたが、私にしてはめでたく(?)三日坊主は突破して毎日続けられています。おかげで午前6時25分のテレビ体操番組までには毎朝起きるようになり、在宅ワークの日はラジオ体操3回(いずれも10分ずつ。午前・昼・午後に放送)、テレビ体操2回(午前および午後に5分ずつ)も楽しんでいます。丸一日家にいる時は、これで合計6回は体を動かしていることに。塵も積もれば、ですので、何だか嬉しくなります。

さて、先日、ふと思い立ちました。それは「話し続ける仕事をしていると、顔の筋肉もガチガチなのでは?」というもの。そこで昔お世話になった鍼灸院のサイトをチェックしたところ、美顔鍼コースを発見しました。

そのお店で私は昔、関節痛や首の凝りなどの際に鍼をお願いしたことがあるので、鍼にはなじみはあります。「そういえば随分前に、とある通訳者の方がテレビの密着取材を受けておられたっけ。鍼を施術されている様子も映し出されていたなあ」と思い出しました。そこでこのたび、美顔鍼コースをお願いしたのでした。

久しぶりの鍼灸院で受けたこの60分コースでは、最初に丁寧な顔マッサージがなされます。気持ちよくてうとうとしてしまいました。マッサージ終了時にスタッフさんから声をかけられた際、夢見心地でトンチンカンな返答をしたほどリラックス。気分も和んだのでした。

そしていよいよ顔に鍼の施術開始。私の顔全体がだいぶ凝っているとのことで、かなり多くの鍼を入れていただくことになりました。ところがところが!なぜかそこで私のマインドが「緊張状態」になってしまったのです。

自分でもよく理由がわかりませんでした。それまで何度も体の他の部位に鍼をしてもらったことがあるので、鍼への恐怖心はありません。なのに、なぜか今回ばかりは固まってしまったのでした。鍼を入れた後スタッフさんは、「少し長めの時間、このままで置いておきますね」と私に告げるや退室。その瞬間、うっすらと目を開けると自分の顔面にたくさんの鍼がピンピンと刺さって立っているのがわかります。「ひええええ」という心境でした。時間の経過が長く感じられ、なぜか首と肩があおむけ状態であるにも関わらず、緊張していたのがわかったほどです。

それにしても不思議。今まで慣れていたはずなのに、突然このようなマインドになってしまったのです。スタッフさんの施術自体は素晴らしいものでしたので、単純に私の「捉え方」なのだと思います。会計を済ませてからしばらくの間、「ハテ、なぜ今回はこのように緊張したのだろう?」としばし考えたのでした。

そこで見えてきたこと。それは「私自身の好みが変化してきた」というものでした。人の嗜好は変わるのですよね。たとえば私の場合、マイブームになるとそれを集中的に好むことがあり、たとえば今までもバウムクーヘンやモンブランなど、一旦気になるとそればかり食べることがありました。自分の中で満足すると、そこでパタッとおしまい。よって、鍼も「以前は好きだったけれど、今はそれ以外のリラックス法を好んでいるのかも」と思ったのでした。顔のリラックスであれば、普通のマッサージやお顔そりなどでも可能ですよね。

これは英語学習でも言えるでしょう。どれほど周りが勧める学習法でも、どれだけ通販サイトで星の数が多いテキストだとしても、当の本人との相性が合わなければ、それはその人にとっては適切でないのかもしれません。世の中の流行に乗っかる必要はないのです。

ただ、それに気づくためにはやはり自分自身が実際に試して確認することが必要です。私の場合、「美顔鍼は合わなかったけれど、顔のマッサージ自体は好き」であることが判明。よって、今回の施術も「失敗」どころか、「好みを見極める投資だった」ということになります。

またしばらく経てば好みも変わるかもしれません。立ち返ることもあるかもしれません。でも、それでいいのです。そのことがわかって嬉しかった一日でした。

(2023年1月24日)

【今週の一冊】

「『米留組』と沖縄 米軍統治下のアメリカ留学」(山里絹子著、集英社新書、2022年)

かつて私はオックスフォード大学日本事務所に勤めていた。そこでお世話になったのが千葉一夫・元駐英大使である。当時はすでに外務省を退官されていたが、若かりし外交官の頃に沖縄関連業務に携わったと伺ったことがある。多くを語らない方であられたが、亡くなられた後、実は沖縄返還に尽力されたことを知った。その様子は「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」(宮川徹志著、岩波書店、2017年)に詳しく描かれている。この本は後にNHKドラマ「返還交渉人~いつか、沖縄を取り戻す~」(後に映画化)として井浦新さん、戸田菜穂さん、佐野史郎さんを始めとする豪華キャストで映像化された。

以来、私の中では沖縄問題は大きな関心となっていた。しかし今回ご紹介する留学制度については全く知らなかった。と同時に私が長年抱いていた疑問が本書を通じて解き明かされた。その疑問とは、なぜ沖縄出身者に優秀な通訳者が多いのか、沖縄に通訳養成所が多いのか、というものである。

著者の山里氏によると、米国は沖縄占領中に政策の一環として若い琉球人を育成することを考えたという。具体的には琉球出身者に民主主義を学ばせ、沖縄の米軍駐留に理解を示せるような人材が欲しかったということになる。それゆえ、多くの若者に奨学金を与え、米国留学させた。それが「米留(べいりゅう)制度」と呼ばれ、出身者は「米留組(べいりゅうぐみ)」と言われたのであった。

しかし若者たちは、単にアメリカ一辺倒という理由で留学したのではないことが本書からはわかる。著者は複数の米留経験者から実際に体験談を聞き出し、オーラルヒストリーとして本書をまとめている。その発言の数々を読むと、各々が自らの意思、信念や目的がありアメリカで学んだことがわかる。

今の沖縄はリゾートの印象が強いかもしれない。しかし日本史・世界史の観点から沖縄の様々な課題を今こそ改めて考えるべきであろう。非常に示唆に富む一冊であった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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