INTERPRETATION

第622回 言い訳だったよね

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

コロナが落ち着いたころから、再び会議通訳の案件が増えてきました。オンライン会議もあれば、対面のセミナーなどもあります。人々が再び移動できるようになり、交流できるようになったのは喜ばしいこと。私自身、画面を見続けると首肩のコリがひどくなるため、現地集合でパネリストやお客様とお目にかかれるのは嬉しい限りです。

現在の私の業務は主に3つの柱からなっています。通訳、指導、そして執筆です。通訳のメインは放送通訳であり、言語の訳出方向は英語から日本語がほとんど。指導の際に教室で使うことばも日本語、執筆も母語です。よって、私からの「アウトプット」は断然、日本語が多いのです。

一方、スケジュールがうまく調整できれば、会議通訳やセミナー通訳も仰せつかっています。会議通訳の場合、テーマは毎回それぞれ。事前に資料を頂き、あらかじめ読み込み、単語リストを作成し、背景知識をインプットします。単発のセミナーであれば、長くても1日。たいていは半日です。その数時間に向けてとにかく準備万端にしておくことが通訳者には求められます。中学高校時代の「一夜漬け」のごとく、必死になって予習をするのですね。

それでも毎回会議通訳を終わるたびに、私は自分の至らなさを痛感して帰路についてしまいます。それは、

「自分の日→英の同時通訳レベル」

に関してです。どうしても日ごろの業務で日本語の割合が多い分、日英がスムーズに出ないことがあるのです。英日同時通訳よりも、日英同時通訳で「あ、単語が思い出せない」「構文がうまくいかない」「度忘れ」といった冷汗体験をすることが多いのですね。日英の同時通訳会議直後は、「ああ、もっと日英を勉強しなければ」と思わされます。

しかしその一方で、こうささやく自分もいるのです。

「まあ、私自身、日本人だし、英語ネイティブではないから仕方ないよね」

「普段の業務が日本語メインだものね」

「確か海外の通訳界では、『自分の母語に訳すことが望ましい』と言われているよね。日本では日本人通訳者が日英・英日両方をやっている。これって特殊ケースなのでは?」

などなどなど。要は、自分の不出来に対する「言い訳」モード全開になっているのです。

一時のメンタリティであれば、こうした言い訳も慰めにはなるでしょう。でも、長期解決にはまったくなりません。毎回このような後ろ向き全力疾走的な言い訳をし続けている限り、実力はつかないのです。

よーく考えれば、実にシンプルなことです。マラソンを例にすると、

「なぜフルマラソンが辛いか?→練習不足」

これと同じなのです。

「なぜ日英同時通訳が辛いか?→練習不足」

これ以上でもこれ以下でもないのですよね。よって、練習不足を自覚したらトレーニングをする。これだけです。

・・・とここまで書いてもう一つ思いつきました。生きていると人間関係で悩むこと、ありますよね。よって、

「なぜ人間関係が辛いか?→練習不足」

つまり、たった一つの人間関係で挫折したとしても、それは対処法の練習不足だったがゆえ。よって、失敗を教訓として、心を強くする訓練をすれば良いのです。「言い訳」で終わらせるのでなく、「自分の弱点に気づけて良かった」と考え、その弱点を洗い出し、補強していく。

これが通訳にも人生にも当てはまると感じています。

(2024年2月20日)

【今週の一冊】

「幸せになるには親を捨てるしかなかった 『毒になる家族』から距離を置き、罪悪感を振り払う方法」シェリー・キャンベル著、高瀬みどり訳、ダイヤモンド社、2023年

今週取り上げる一冊をご紹介する前にお断りしたいことがあります。もし読者のみなさんが、ご両親と心から慈愛に満ち、良好な関係を築いておられるのであれば、今週の私の以下の文章は読まないでくださいね。一方、この書名に感じることがある方に、少しでもお役に立てればとの思いで、今回は執筆しています。

本書が出版されたのはほぼ1年前。作者のキャンベル氏はアメリカの心理学者です。この本には彼女自身が経験したことが包み隠さず綴られています。従来の毒親本の多くは、和解の方法や自分の心の持ちようなどに焦点が当てられていました。しかし、本書は違います。「捨てる」、つまり、「絶縁」という非常につらい決断にゴーサインを出すという内容です。

家族というのは自分の生きる土台です。しかし、その土台と幸せな縁が築けず、それどころか「自分は愛されてこなかったのだ」という、とてつもないつらい現実を突きつけられる子どもが世の中にはいます。それでも何とか親を信じたいとの果てしない望みを抱きながら、子は苦しむのです。

子どもの方とて、積極的に親と絶縁したいわけではありません。しかし、そうせざるを得ないほど追い詰められている人たちがいます。悩みに悩んだ末、ようやく「絶縁しか自分には残された幸せへの道がない」と決断しても、正義感溢れる周囲に止められたりして、さらに傷口をえぐられます。これは二次被害でもあるのです。世にあふれる人間関係本には「自分を傷つける人から離れて良い」と謳うものが多いですよね。なのに、「なぜか親とは離れてはいけない」という根強い価値観は世の東西を問わず見受けられます。

「どうしても絶縁するしかない」との結論を導き出す前まで、当事者である子どもはありとあらゆる努力をしてきました。しかし、どれも実らなかった。だから絶縁する以外方法が残されていないのです。そうした状況に置かれている当事者に寄り添い、希望を持って生きていくことを許してくれる、初めての本と言えるでしょう。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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