INTERPRETATION

第186回 それでも人から買いたい

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私は大学卒業後、外資系航空会社に入りました。社内での第一希望は機内誌の作成。当時は日本語の機内誌が日本支社内で作られていました。ぜひともそれに携わりたいという熱い思いがあったのです。

一方、配属されたのは貨物部。「え?スーツケース以外にも運ぶの?」というのが最初の反応でした。実は航空会社にとって貨物は大きな収入源なのですね。輸送する物はメーカーのパーツから最新の自動車、競馬レースに出る馬や駐在員が帰国の際に一緒に連れて帰るイヌなど多岐にわたります。旅客部では航空機に乗る乗客の「人数」をおさえますが、貨物部の場合、「コンテナ」や「パレット」の数で計算します。

そのような業務経験があるからかもしれません。今でも私は貨物輸送や物流全般に興味があります。日経新聞には専門誌の広告も出ているのですが、そこに紹介されている「ロジビズ」という月刊誌にも時々目を通しています。

ところで物流といえば、ここ数年、日本において大きな変化が見られます。大手ネット通販会社が送料無料を掲げるようになり、宅配便会社の取り扱い個数が大幅に増えているのです。以前は一定金額以上の購入であれば送料がタダになりましたよね。今では小さなものでも少額のものでも迅速かつ配送料ゼロ円で送ってもらえます。消費者にとってはありがたく便利ですが、このままでは爆発的な個数をさばくのに限界が生じ、優秀な宅配便ドライバーを確保するのも難しくなると言われています。

それでも宅配便会社は色々と斬新な計画を立てているようで、消費者のニーズに合ったきめ細かいサービスを将来的には導入するようです。今のままでも私などは十分満足しているのですが、これから物流の世界がどのように変化していくのか楽しみでもあります。

とは言え、「それでも人から買いたい」と私は考えます。あえて手間暇をかけて実店舗まで行き、商品を自分で手に取り、レジで会計をするという一連の流れに魅力を感じるのです。その理由はいくつかあります。

まず「自分でじかに確かめられること」が最大の利点です。本であれば中身をざっとめくってみる、衣類であれば生地の肌触りを確認できるなど、自分の目や感触で把握することができます。「広告で得た印象と違っていた」ということを避ける上でも私にとっては大切なプロセスです。

もう一つは「思いがけない出会いがあること」。ネット上の書籍サイトでも「あなたが興味ありそうな本」を表示してくれますよね。その分野に関連した様々な本をリストアップしてくれます。けれどもリアル書店であれば、「自分の後ろの棚をふと見てみたら全く異なる分野の面白そうな本があった」という意外性を体験することもできます。

さらにもう一点。「店員さんとのやりとりに学べること」が挙げられます。最近は「スタッフとの会話が不得手」という人もいるそうですが、私は会計時の数秒間が密かに好きです。「笑顔が素敵」「言葉遣いが美しい」「お金の受け渡し時の動作が優雅」「腕時計がオシャレ」という具合に、私に多様な気付きを与えてくれるのです。

そのようなわずかな時間をきっかけに、そのお店のリピーターになったこともあります。私自身、通訳者として「もう一度お願いしたい」とクライアントの方々に思っていただけるよう、これからも努力を続けたいと思います。

(2014年11月3日)

【今週の一冊】

「ラフカディオ・ハーンの英作文教育」アラン・ローゼン、西川盛雄著、弦書房、2011年

日経新聞の夕刊最終面には文化欄がある。音楽や美術など、毎回興味深い話題が掲載されている。最近は教養教育の必要性が唱えられているが、新聞を毎日読むだけで多様な話題に触れられるのも紙新聞のメリットと言えるだろう。私の知り合いに朝刊は別の新聞をとっているものの、夕刊はあえて日経という人もいる。

今回ご紹介する一冊も日経夕刊に紹介されていた記事が購入のきっかけであった。今年10月に「ラフカディオ・ハーンの英語クラス」という本が出版されたのである。ハーンが日本滞在中、どのような授業を行ったかを教え子のノートから読み解くというものだ。私はこの記事に興味を持ち、同じ出版社から出ている「ラフカディオ・ハーンの英作文教育」をまずは手に入れた。

ページをめくるとハーンの教え子である大谷正信と田辺勝太郎の英作文が合計50点紹介されている。彼らの手書きは筆記体で実に美しい。ハーンが課したトピックは「もっとも偉大な日本人は誰か」「七福神について」「宍道湖」など多岐にわたる。ハーンが教え子の作文を通じて日本理解を図ろうとした様子がうかがえる。

当時は今のように英語教材があふれていたわけではない。おそらく教え子たちは貴重な辞書を繰りながら作文を記したのであろう。ハーンの添削が入った原稿そのままが本書には写真として掲載されているのだが、教え子の元の文章自体、英文法もしっかりしており、非常に高尚な英語であることがわかる。ハーンのコメントも”Very good”といった励ましの言葉や、「こうすればもっとよくなる」といった関連表現の紹介もある。

印象的だったコメントを最後にひとつ。

“I hope you composed all this yourself; – but it is so very good that I cannot help thinking you got one or two sentences out of a book.”

剽窃はいけないということは昔から言われているのだ。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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