INTERPRETATION

第191回 学びにいくら費やすか

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今年も残すところあと1カ月弱となりました。年の瀬の慌ただしさに追われながらも、この一年を振り返りつつ残りの日々を過ごしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。「来年は通訳の勉強を本格的に始めたい」「今年できなかったダンスのレッスンに行きたい」など、年明けからこういう活動をしたい、こんな学びごとを始めたいという思いがあるとワクワクしますよね。そこで今回は「学び」について綴ってまいります。

「学び」には色々な形がありますよね。学校に行く、先生に指導していただく、通信講座を受ける、仲間と自主勉強をするなど多岐にわたります。まとまった金額を払って学習するケースもありますし、今の時代であればネットで無料で学べるサイトもたくさん見受けられます。お金や時間を投資しなくても、その気さえあればいつでもどこでも学べるという、実に恵まれた時代に私たちは生きています。

私にとっての「学び」とは、何も勉強に限ったことではありません。日々の生活の中でも多くの方々からたくさんの「気づき」を頂きます。それも私にとっては人生勉強であり、とてもありがたい「学びの機会」です。少し例をお話しましょう。

今年の秋、私は指揮者マリス・ヤンソンス氏のコンサートを2か所で楽しみました。そのことについては先週の本コラムでも記しています。今年は川崎のコンサートホールだけでなく、日帰りで京都まで出向き、音楽を楽しみました。都内でも何回かコンサートがあったのですが、京都での公演プログラムにとても惹かれたため、「弾丸ツアー」のごとく、日帰りで出かけたのです。

ホール座席は一番良い席をあえて選びました。決してお手頃価格ではありませんが、私にとっては年に一度だけの貴重な機会です。しかも今年は日帰りで新幹線にも乗りましたので、金額だけ見ればなかなかの出費ではありました。それでも私にとっては他の何物にも代えがたいひとときとなったのです。

マエストロのファンは近年増えており、同じコンサートホールの同じ空間で同じひとときを味わうというのは、一種の連帯感のようなものを生み出します。曲の最後の一音が静かに消え、一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手とブラボーの声で満ち溢れるコンサートホール。これを共有しているのですね。聴衆一人一人が色々な思いを抱きながら曲に酔いしれ、拍手を投げかける。そこから誰もが何かをこのコンサートから感じ取っているように思うのです。

先週も書きましたが、私は毎年ヤンソンス氏のコンサートから、自分の仕事へのスタンスや生き方そのものまでも考えさせられます。わずか3時間ほどの音楽だけの空間の中で色々な思いが頭の中を巡ります。そして終演後には前に進むためのエネルギーで満たされます。私にとって年に一回のコンサートは、まさに「学び」の場であるのです。

勉強や学習、学び全般に人が何を求めるかは個人の価値観にもよるでしょう。最短の時間で最大の効果がほしいという人もいますし、とりたてて目標はないものの、教室という空間に身を置きたいというケースもあるはずです。学びの対象そのものから何かを感じることもあれば、仲間の頑張りに励まされたり、先生の指導から元気を頂いたりということもあります。

ここ数年私が学びに求めること。それは相手のお人柄に触れ、そこから「考えるきっかけ」を頂くということです。芸術家、学校の先生、スポーツクラブのインストラクター、日々の生活の場面で接するお店の方、仕事でお世話になる方々など、どのような方でも構いません。自分に何か考えるきっかけを下さる方はすべて先生のような存在です。そうした方たちに触れられるのであれば、そのために費やす時間もお金もすべて自分に還元されるように思うのです。

(2014年12月8日)

【今週の一冊】

「鈍足バンザイ!僕は足が遅かったからこそ、今がある。」岡崎慎司著、幻冬舎、2014年

CNNの放送通訳で一番緊張するのがスポーツニュース。何しろ私自身、運動が不得手なまま小中高と過ごし、もっぱらインドア派だったのである。社会人になって体重が突然増え、慌ててスポーツクラブに入会。そこでようやく体を動かす楽しさに目覚め、以来、今では週に何回か行かないと落ち着かない。そう考えると人間というのは何歳になっても自分を変えることができるのだろうなと思う。要はきっかけをつかむことなのだろう。

今回ご紹介する本はサッカー日本代表・岡崎慎司選手が記したもの。岡崎選手と言えばここ数年大いに注目され、ドイツ・ブンデスリーガでの得点や過日行われた日本代表対オーストラリアとの試合でもゴールを決めている。わが家では日本代表戦があると必ずテレビの前にかじりついて皆で見ているのだが、岡崎選手の活躍をいつも応援している。

名門・滝川二高から清水エスパルスに入った岡崎選手の経歴だけを見ると、順調にサッカー人生を歩んできたようにも思える。しかし本人によれば目標を設定して逆算して日々の行動に反映させるのは苦手とのこと。カッコよく無駄なく何かをやり遂げるというのも得手ではないそうだ。ただ、自分の弱点を直視することや、ぬか喜びしないこと、あえて最悪のシナリオを心の中では考えておくことなどをコツコツと続けてきたことが分かる。

今の時代、書店に行くと自己実現や自己啓発を謳う本が多い。夢を描き、それを書き出したり口にしたりすること、計画を立てることなどは大切なことだろう。けれども皆が皆、そうしなければいけないという風潮になってしまうと、それが苦手な人にとっては実に生きにくい世の中だろう。

岡崎選手は自らを「常にブレブレ」だと記している。「ぶれる」というとネガティブに聞こえるが、逆の見方をすれば「柔軟」「臨機応変」という言葉が浮かぶ。生き方というのは人それぞれ。絶対的正解などないのだ。岡崎選手の屈託ない笑顔からその大切さを私は学んだ。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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