INTERPRETATION

第210回 自分に何ができるか

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ネパール大地震からすでに1週間以上がたちました。現地では海外からの救助隊員が徐々に引き上げ、ネパール政府による復旧活動が本格化しています。日本は人的・物的支援を行い、その様子は海外メディアでも取り上げられました。

もうずいぶん前のことですが、フリーランス通訳者デビューをして少し経った頃、私はあるプロジェクトを担当しました。海外から教育者を日本に招き、国内の教育関連施設を視察する、という内容です。欧米はもちろんのこと、アジアなどからも多数が集まった大規模な事業でした。

そのとき出会ったのがKさんというネパールの教育者です。ご自身で学校を経営しており、日本の教育制度から学びたいと訪問先でも積極的に質問するなど、情熱あふれる方でした。通訳者の私へも心遣いをたくさんしてくださり、その後、近況報告で手紙のやり取りをするようになりました。

当時はまだメールもインターネットもありませんでしたので、通信手段はもっぱら手紙です。郵便事情が良くなかったため、Kさんからの手紙は数週間かけて私のもとへ届きました。日本と比べてみると、エアメールの便せんや封筒の紙はざらざらしており、紙一枚とってみても違いがあることを感じました。その一方、日本では珍しいネパールの切手が貼られており、その柄や消印を見るたびに遠い国へ私は思いをはせたのでした。

その後私は留学や転勤、結婚などで転々としたこともあり、Kさんとの連絡は途絶えてしまいました。「登山家がヒマラヤ登頂」といったネパール関連のニュースの際にちらっと思い出すことはあっても、自分から積極的に再度連絡をとるまでには至らなかったのです。そのような状態が長年続いたあと、今回の大地震のニュースに接しました。

ゼロから自力で学校を立ち上げたKさんは、自分の国の未来を担う子供たちに良質な教育を提供しようと奮闘してきたはずです。校舎はカトマンズの中心部にあると聞いていました。壊滅的な被害があった首都の映像を見るにつけ、私はいてもたってもいられなくなり、名前を頼りにインターネットでKさんのことを検索しました。何分、ずいぶん月日が経っていますので、私はKさんの名前の一部しか覚えていなかったのです。

いろいろなキーワードを入れて探してみたところ、ようやくご本人と思しき名前が検索結果に表れました。幸い連絡先のアドレスも記載されています。名前を頼りに学校名も調べ、ご本人宛と学校宛にメールを送ってみました。通信状況がどうなのかもわかりませんので、届くかどうかも不明です。メールアドレス自体が古くて今は無効になっていることも考えられます。

数日後、Kさんご本人から返信がありました。無事でした。私のことも覚えていてくださり、現地のひっぱくした状況を伝えてくれました。街の様子、経営する学校が大きな被害を受けたこと、在校生の安否がまだ確認できないことなどがつづられていました。

そのメールから数日後、日本のマスコミは現地の子どもたちの様子を報道しました。ネパール全土でおよそ1500棟が全・半壊しており、5000の学校で臨時休校が続いているそうです。

家を失い、家族を亡くし、ライフラインも食べ物も物資も何もかも不足の状態に置かれる児童生徒たち。Kさんの教育に対する熱い心を思い起こすと、たとえささやかであっても何かしらお役にたちたいと思わずにはいられません。

(2015年5月11日)

【今週の一冊】

「kotoba」2015年春号 集英社、2015年

南方熊楠という名前を初めて知ったのは大学生のときだった。当時、在籍していた大学の授業で熊楠に関する講座があったのだ。熊楠とはどういう人物だったのかはおろか、名前すら「みなみがた?なんぽう?」と読んでいたほどの私である。今思い返してみると恥ずかしい限りだが、熊楠について知れば知るほど、偉大な人物であることに気づかされたのであった。

熊楠は明治時代に自力でアメリカやイギリスへわたり、理系雑誌「ネイチャー」などに多数の英語論文を寄稿した研究者である。日本における民俗学の先駆者ともいえる。今でこそ、日本の研究者がどれだけ海外の学会誌に論文を載せるか問われているが、はるか100年前に熊楠は一本どころか何本もの論文を自分で英語で書き、発表していたのである。

本書は集英社の季刊文芸誌で、今回の特集は南方熊楠。副題には「『知の巨人』の全貌」とある。著名人の見た熊楠をはじめ、当時ロンドンで暮らしていた熊楠の住居についても記述がある。

特に私が注目したのは熊楠の英語学習法。東大の斎藤兆史教授が寄稿している。斎藤教授によると、熊楠は英文の名著をひたすら書き写していったのだそうだ。また、故郷和歌山から上京後はのちの内閣総理大臣・高橋是清に英語を学んだとのこと。さらにシェイクスピアを読んで英語の力をつけていったとある。熊楠はのちに「方丈記」を英訳している。

今とは時代が異なる故、こと学習法に関してはどれが「絶対的な正解」とは言い切れない。しかし、物資両面で不足していた時代に生きた人の方が、限られた状況下ではるかに努力をし、高尚な英語力をつけていたのも事実なのである。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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