INTERPRETATION

第209回 自分に必要ならそれが正解

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

日本の英語教育は一種独特の世界に思えます。常に「これが良い」「あれが良い」とマスコミが唱え、政府からも様々な方針が打ち出されます。時計の振り子のように学習法が揺れ動き、それに従うべく私たち学習者も追いかけることになります。

指導を長年続けていると「どうすれば効率的に学習できますか?」という質問をよく受けます。限りある学習時間をいかに効果的に使うかは誰もが頭を悩ませることなのでしょう。けれども語学学習に「即効性」や「効率」を求めること自体が苦しいのではないか。私はそう感じています。

もちろん私自身、英語の検定試験の合格や通訳者デビューをめざしていたころは、どうすれば時間を有効活用できるかばかり考えていました。書店のビジネス書コーナーへ出向いては「時間管理」「○○術」といった本を買いあさりました。次から次へとななめ読みしては自分に合いそうな方法を取り入れることを繰り返してきたのです。その結果わかったことは、「この方法『さえ』やればOK」などという正解はないということでした。

書籍化される方法論はその著者にとってこそ正解であれ、不特定多数の読者全員がその恩恵を受けられるわけではありません。相性面で合う合わないも出てきます。あとは本人が試してみてうまくいきそうなら継続するのみです。

私の場合、単語や文法学習にどう取り組んだかと言いますと、自分の好きな紙版の辞書を「楽しみながら読み続ける」ということでした。語学学習に終わりはありませんので、それは今も続けています。通訳や英語講師の仕事を続ける限り、そして現役でいる限り、勉強はずっと継続するのです。学校の定期試験のように「ここまでやればおしまい」というわけではないからこそ、常に好奇心を大事にしています。

堅苦しい総合英文法書は苦手で単語集も続かなかった私ですが、紙辞書を味わうことだけは苦にならず、今に至っています。「さあ、勉強しよう」というのではなく、「そうだ!先日の英字新聞に出ていたあの単語を調べてみよう」と気軽に紙辞書をめくることを続けています。ページを開き、探していた単語を読み、ついでに近くの単語を眺めたりイラストを楽しんだりという具合です。

「デジタルの時代はスマホで英語学習」「お手頃価格のSkypeでコミュニケーションのちからを伸ばす」など、今の時代は実に多様な手段が私たちの目の前にあります。どれも自分にとって相性が合えば、本当に効果が出るものです。けれども世の中がこうだからと自分も合わせつつ、違和感を抱いた場合、学習自体に飽きてしまう恐れがあります。

「え?まだ紙辞書使っているんですか?」と私はよく言われますが、紙辞書は私にとっての「必要品」です。流行や世間がどうとらえようと、自分にとって必要ならばそれがその人にとっては立派な正解なのです。

これは英語学習に限ったことではありません。ファッションやグルメを始め、価値観や行動規範にいたるまで言えることだと私は考えます。自分の心に忠実になりながら自分にとっての正解を探し求めること。それを自分にゆるし、惑わされないことこそが何かを長続きさせる最大の「効率」ではないかと私は思っています。

(2015年4月27日)

【今週の一冊】

「正直」松浦弥太郎著、河出書房新社、2015年

「暮しの手帖」で長年編集長を務めておられた松浦弥太郎氏が、新年度を機にクックパッドへ移られた。そのニュースを知った時の私の最初の思いは、「文筆業でも知られる氏がなぜインターネットの世界に?」というものであった。松浦氏の文章は平易で読みやすく、人々の心にじんわりと響く温かみのあるものだ。活字の世界からIT分野という異業種への進出の答えを探るべく、最新刊の本書を入手した。

一か所に安住せず、自分をいったんまっさらな状態にして新しいことに挑む。そのような氏の思いが本書からは伝わってきた。移籍の直接の理由には触れておられないが、きっとご本人の中で新しいことを切り開く熱い思いがあったのであろう。異分野での仕事を通じて感じたことを、今後の書籍を通じて触れられたらと思う。

松浦氏の文章を読むたびに、自分に忠実に、自分を大切にという気持ちが私の中には沸き上がってくる。忙しい世の中で生きていると、つい全体的な流れに身を任せた方がラクに思えてしまう。けれどもそれでは自分自身が生きられない。他者と異なることを恐れず、それと同時に誠意さえ持ち合わせていれば、きっと切り抜けられる。そんなメッセージが松浦氏のひとことひとことからは伝わってくる。

何もせずに悩むのではなく、失敗しても良いから試してみること、動くこと。自分の成長のためには「歩く、見る、聞く」ことだと説く松浦氏。私も好奇心を大切にしながら与えられた仕事に誠実に取り組みたいと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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