INTERPRETATION

第231回 リーダーシップのこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

最近の書店で一番目立つコーナーに並ぶのは何と言ってもビジネス書です。昔は文学作品や雑誌などがメインであり、自己啓発書やビジネス書などはほとんどありませんでした。仕事関連の本と言えばせいぜい学術的な経営学の教科書などが中心だったと記憶しています。また、ビジネス関連の新書や文庫なども今ほどはありませんでしたね。それぞれの時代において何が日本人の価値観となっているのか、発行されている本を見るとわかるような気がします。

ここ数年は仕事スキルの本や「○○術」「△△法」などが目立ちます。その一冊を読むだけで具体的な方法がわかるようになっており、自分一人では思いつかないようなヒントを著者からいただけます。その著者にしてみれば長年かけて編み出した貴重なノウハウだと思うのですが、それを惜しげもなく披露してくださることには感謝です。

ただ一方で、私はこうした全般的な「流れ」のようなものを一歩退いて見ています。書名を見ていると、「そうか、今の時代はリーダーシップが必要なんだ」「やはり部下のためにもコーチングスキルを身につけねば」「成功するためには手帳を使いこなせるようにならないと」という具合に思えてきますよね。そう感じること自体は悪くはありません。しかし誰もが一人残らずそのように感じさせられるような流れは、あまりにも画一的だと思うのです。

人には適性というものがあります。集団を好む人がいれば、単独行動の方が良いというタイプもいます。人の上に立つことで実力を発揮できる人もいますし、参謀としてリーダーには欠かせない存在となる人もいるのです。皆が皆リーダーを目指してしまうと、極端な場合、自己顕示欲だけがぶつかり合う世の中になってしまいます。

「自分にはリーダーシップがない」と思う場合、本当に今の自分の仕事や環境においてリーダーシップを必要としているのか考えるべきでしょう。もし自分以外に適任者がいるのであれば、無理に自分もリーダーを目指さなくても良いと私は考えます。

このような考え方は社会人だけでなく、学生・生徒にも当てはまると私は思います。「自分は人前で話すのが苦手」と思ったとしても、それを自分イジメの道具にする必要はないのです。「プレゼンは苦手だけど、英文エッセイは得意」「通訳のような瞬発力はないけれど、日本語訳にはとことんこだわるタイプ」という人がいても良いのです。

世の中が「リーダーシップ」「超一流」「デキる人」を目指すばかりになってしまうと、穏やかに幸せに生きたい人には息苦しくなってしまいます。今のような時代だからこそ、「自分の適性に自信を持って良い」と冷静に思えるような「環境」をせめて自分の心の中には抱き続けたいと思います。

(2015年10月12日)

【今週の一冊】

「ブッダの言葉」中村元訳、丸山勇写真、佐々木一憲解説、新潮社、2014年

このところ本コラムでは格言集や偉人伝などの紹介が続きます。どうやら私の場合、夏の疲れが出てしまい、癒しを欲していたからなのでしょうね。本というのは自分の心の動きに応じて本人に和みを与えてくれます。今回ご紹介する書籍もそんな一冊です。

私たちはお寺や葬儀、除夜の鐘に仏教用語など、日常生活ではごく自然に仏教と触れ合っています。しかしブッダのことばそのものを読んだり、経典を開いてみたりということはあまりないように思います。ホテルには聖書と仏典が置いてありますよね。けれどもそうした時以外はあまり身近にないように思うのです。

本書はオビに「小さな写真文集」と書かれています。その写真を撮影したのはカメラマンの丸山勇さん。氏がインド各地で巡礼者たちの姿をとらえた数々の写真が掲載されています。そしてそれぞれの頁には中村元博士が訳したブッダのことばがあります。

中でも印象的だったのは、どのようにして幸せを感じるかという一文でした。

次のように記されています。

「世俗のことがらに触れても、
その人の心が動揺せず、
憂いなく、汚れを離れ、
安穏でいること、
― これがこよなき幸せである。」

幸せというのは、その人がいかにして心を落ち着かせ、いかにして考えるか。それ次第でもたらされるのだと感じます。

「ためになること、
善いことは、
実にきわめてなし難い。」

これもその通りだと思います。善をおこなうことは容易なようで難しいですよね。だからこそ人は生きている限り、より良き人になることを目指して歩み続けるのだと思います。

もう一つ心に残ったのは、佐々木一憲氏が綴る中村博士の生い立ちです。幼いころから中村少年は書に親しみ、進学した一高のドイツ語教師の指導に感銘を受けたのだそうです。一人の教師が与える影響力は計り知れません。自分自身教壇に立つ人間として、いかに次の世代を導いて行けるか考えています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学・順天堂大学非常勤講師。 上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。 ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 NHK「世界へ発信!ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。 ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。

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