INTERPRETATION

第230回 送り出す立場

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私は学生時代から一人でふらりとどこかへ出かけることが好きでした。初めて一人旅をしたのは大学1年生の春休み。電車を乗り継ぎ、とある山奥の温泉地へと出かけました。

そこを選んだのは特に大きな理由があったからではありません。もともと地図を見るのが好きでしたので、パラパラとページをめくっていた際、自分の好みに合う場所が目に入ってきたのです。条件とは、「近隣県で電車に乗って行けること。川や山があるひなびた温泉地」でした。

ただ、その頃は携帯電話もインターネットもない時代で、ましてや女子学生一人旅というのも今ほど盛んではありませんでした。「バックパッカー」という言葉が少しずつ聞こえるようになった、そんな頃だったのです。

最寄駅へ着き、観光案内所で宿を紹介してもらいました。山奥の宿に着くと、おかみさんが出迎えてくれました。しかしどこか不安そうな表情です。「この女の子は一人で来たけれど大丈夫だろうか?何か思いつめているのではないか?」と私の身を案じている様子がわかりました。けれども色々とお話しするうちに、私が純粋に一人旅を楽しむためにやってきたのだと知り、付近の名所を案内してくださいました。そのおかげで実に楽しい一人旅デビューを果たすことができたのでした。

社会人になってからもこのようにして一人旅をしたり、仕事面でも国内外の出張をたくさん入れたりしては異文化に触れるよう努めてきました。帰国したかと思いきや今度は自分の留学でまたもや外へ出ましたし、戻ってきて少し経ってからは海外で就職するなど、本当に出たり入ったりの時期がありました。思い返せば常に誰かに「見送られる立場」でしたね。

その後私は縁あって結婚して子どもにも恵まれました。そして今の街に暮らすようになって早や10年以上が過ぎました。地元のお店なども開拓でき、スタッフさんとも仲良くなり、地域に根差した暮らしができるようになったことをうれしく思います。一か所に10年以上住む経験がこれまでの人生には皆無でしたので、こうして一つのところでじっくりと愛着を持ちながら日々を送る幸せを感じています。

「郷土愛」というのはきっとこのようにして育まれるのでしょうね。あえて教科書や授業などを通して郷土愛について指導などしなくても、自然に心の中で生じるもの、それが地元への愛着なのだと思います。

こうして日々の生活の土台ができた一方、自分が長く暮らせば暮らすほど、今度は私が誰かを「送り出す立場」になるのだということも最近感じています。慣れ親しんだお店が閉店してしまったり、ずっとお世話になったスタッフの方が人事異動や転職などで担当を離れたりということもあります。アルバイトの方が無事大学を卒業して就職するというケースも見られます。

顧客や一利用者として長年お世話になってきた場合、担当の方がいなくなってしまうのはとても残念です。まだまだその方とのやりとりが続くように、それが当たり前のように思えるからです。

けれども何事も永久に続くわけではありません。その方にはその方の人生があり、その組織にはその組織のあり方が存在します。「送り出す側」としては何とも名残惜しいのですが、新天地でそうした方々がさらに飛躍して、新たにお客様と素晴らしい関係を築いて下さればと願わずにはいられません。感謝の気持ちを大切に抱きながら、そのように感じています。

(2015年10月5日)

【今週の一冊】

「世界で一番たいせつなあなたへ マザー・テレサからの贈り物」片柳弘史・文、RIE・絵、PHP研究所、2015年

ちょっと最近つかれているなあというとき、私はよく書店へ向かいます。季節の変わり目というのは体調を崩しやすいですよね。私の場合、寝込むほどではなかったのですが、何となく疲労感が残ったままのような状況が続いていました。夏の疲れがおそらく出たのでしょう。そのようなときは無理せず、じっと時がたつのを待ちつつ、自分なりの回復方法を模索しています。

出かける書店は大きすぎない方が私にとってはありがたいです。というのも、店舗面積や人ごみだけでぐったりしてしまうからです。せっかく出向いたのに手ぶらで帰宅というのは何だかもったいないですよね。

本書を手に入れたのは中規模サイズの書店。デパートの中にあるのですが、ワンフロアの一部が書店コーナーになっており、さほど広くはありません。売り場階を移動せずに済みますので、ぶらぶらするには最適です。

マザー・テレサの活動は広く知れ渡っていますが、マザーが述べたおことばを本で実際に読んだり、あるいはインドまで出かけたりするということはなかなかないかもしれません。子どものころに偉人伝で読んだきり、という方もいらっしゃるでしょう。

鮮やかな挿絵から成る本書はマザーのおことばが紹介されており、それについての解説を山口県宇部市の神父・片柳弘史先生が綴っておられます。どのページから読んでも良い作りになっていますので、頁をめくりながら目に入ってきた個所から読むと、きっと誰にとっても何かが響くことと思います。

「自分のことを本当に大切に思ってくれる人がたった一人でもいれば、どんなことがあっても生きていける。」という片柳神父様の力強いおことばは、少し休みを欲していた私の中にじんわりと入ってきました。

仕事や生活、人間関係など私たちの身の回りにあることすべてに感謝をしながら、マザーのことばから頂くエネルギーで歩み続けたいと思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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