INTERPRETATION

第281回 「やる気あるわけ?」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先週のこのコラムで、中学2年時に帰国した際のことを書きました。イギリスでは父の勤務先が住宅を用意してくれたこと、また、イギリスの住宅事情が日本より良かったこともあり、当時我が家が暮らしていた家も3人家族にとっては申し訳ないぐらい大きな一軒家でした。ところが真夏の最中に帰国した日本の家は木造の小さな家。エアコンもなく、近隣の道路も狭くて軽自動車しか使えず、しかも隣の藪からは蚊や毛虫が入り込むなど、私にとってはかなりのカルチャーギャップが待ち構えていました。

幸い中学校は家の隣にありましたので、迷わずそちらへ編入しました。イギリス時代は市バス通学だったのですが、バスの運行もメチャクチャでしたので、歩いて1分というのは本当にありがたかったですね。嬉々として2学期の途中から地元公立中学に転入したのでした。

ところが当時はまだ「帰国子女」が珍しい時代だったのです。「2年生にガイジンが転校してきたんだってさ!」という噂が全校に広まり、学年を問わず、大勢が私のクラスに覗きに来ました。廊下からジロジロ見る生徒もいれば、「ガイジンってどこ?え、あの子?日本人じゃん!」などあれこれ話す声も聞こえました。かつて通ったイギリスの学校でも転入当初は「日本人」と珍しがられていたのですが、日本に帰ったら帰ったでここでも見世物状態なのかとショックを受けました。

横浜のその家には生まれてから7歳まで住んでおり、海外へ引っ越すまでは地元の小学校に通っていました。そのため、編入した中学校にも幼馴染はいたのです。幸いその友達のおかげで部活動に入ろうという気持ちになり、早速放課後に見学に行きました。イギリス時代、私は硬式テニスをしていましたので、少しでもそれに近い「軟式テニス部」を入部先に選んだのです。

練習の合間に友達が3年生の先輩をつかまえてくれて私を紹介してくれました。私は先輩に挨拶し、テニス部に入りたい旨を話しました。ところがその時の先輩の返事に、またまた私はショックを受けてしまったのです。その一言とは、

「あなた、本気で軟式テニスをやる気があるわけ?」

でした。

「ええっ?テニスが好きだから入ろうと思って来たのに、『やる気あるわけ?』ってどういうこと?私、何も悪いことしていないのに、どうしてそんな高圧的なの?しかもこの先輩、全然笑ってないし、腰に両手をあてて私のこと睨んでるし。何で?どうして?」

このような疑問で頭の中がいっぱいになってしまったのです。

イギリスの学校に転入した10歳当時の英国は外国人も少なく、日本人というだけで差別されたこともありました。英語がわからないため友達の輪に入れなかったり、先生との相性が悪くてきつく叱られてしまったりということも少なくありませんでした。授業によってはペアワークがあり、奇数クラスでの私はいつもペアを組めずにいました。運動オンチだったため、チーム作りの際には誰も私を仲間に入れたくないという状況だったのです。

そのような経験をしていましたので、「日本であれば同じ日本人として仲間に入れてもらえる」という期待を私は抱いていました。それなのに「やる気あるわけ?」と言われてしまい、「同胞にすら私は受け入れてもらえないのか」と悲しくなってしまったのです。

おそらく先輩としてみれば、大会出場や他部員との兼ね合いもあったのでしょう。「実力があり、調和を重んじ、先輩方に従順で本気でテニスをしたい」という人物を入部させねばという考えがあったのだと思います。けれども「楽しく自由に」というイギリスのスポーツ環境に慣れて帰国した私にしてみれば、上から目線の応対は理解に苦しむものだったのです。

先日、ラグビーの平尾誠二さんが亡くなりましたが、平尾さんも「楽しく、自由に」を掲げてプレーなさっていたそうです。最近でこそ一部のスポーツ界ではそうした考えも受け入れられてきましたが、いまだに「根性論」の根強いところが少なくありません。引退後に「厳しかったし辛かったけど、良い経験になった。でも二度とやりたくない」としていくのか。それとも「自由で楽しかった。アマチュアではあるけれども一生続けていきたい」と思っていくのか。

スポーツであれ英語であれ、このことを私はいつも考えながら指導をしています。

(2016年10月24日)

【今週の一冊】

「パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス」 クリスティン・R・ヤノ著、久美薫訳、原書房、2013年

大学を卒業して最初に勤めたのがKLMオランダ航空会社でした。幼少期にアムステルダムで暮らしていたこともあり、オランダへの望郷の念があったのでしょう。就職活動時には、かつて自分が住んでいたオランダかイギリスに関連した仕事に就きたいと思っていたのでした。

KLMで配属されたのは貨物部です。「エアライン=旅客」というイメージが強かった私にとって、車から動物、精密機器から重機に至るまでカーゴが担当していたというのは新たな驚きでした。仕事は刺激的で学ぶことも多かったのですが、もともと文章を書くことが好きだったため、日本語機内誌の仕事に携わりたいと思うようになったのです。周囲や上司にもその旨をアピールしていましたが、なかなか人事と言うのは思うようにならないのですよね。そのうちに留学熱の方が高まってしまい、せっかく入った会社をあっさりと辞めてしまったのでした。就業期間はわずか2年弱でした!

そのような短い年月ではあったものの、私は今でもKLMが大好きですし、航空会社全般に対しての愛着もあります。民間航空のみならず、軍用機などへの興味も尽きません。書店や図書館で本を探しているときも、そうしたトピックの書名が目に入ってくると、つい手に取ってしまいます。

今回ご紹介する本も、そのような思いから偶然出会った一冊です。著者のヤノ氏はハワイ大学で教授を務めるハワイ日系人女性で、本書は日系人としての観点からパン・アメリカン航空のスチュワーデス(今では客室乗務員と言いますよね)に焦点を当てた学術書です。引用や参考文献、脚注もしっかりしており、戦後の日米関係やPAN AMがどういった戦略を念頭に置きながらスチュワーデスを採用していたかが網羅されています。終戦直後の日本人女性に対するステレオタイプ、日本航空とPAN AMの競争、そしてPAN AMの非白人採用に関することまで取り上げられており、多角的にとらえることができます。

PAN AMは1977年に大西洋・テネリフェ島でKLMと滑走路上で正面衝突事故を起こしました。死者数は583人、航空史上最悪の事故と当時報道されています。私もこのニュースはリアルタイムで観たのですが、全速力の2機が真正面から衝突したという内容は衝撃的でした。

ちなみに本書によれば、1967年5月1日号の”LIFE Asia Edition”誌で日本人スチュワーデスが特集されたそうです。1960年代の時点ですでにPAN AMだけでなく、KLMやエア・フランス、カンタスなどが日本人を採用していたのですね。私がかつて勤めていたKLMが本書の中でも何度か出てきており、嬉しい読後感となりました。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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