INTERPRETATION

第305回 「あの時はあれがベストだった」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ロンドンのBBCワールドで放送通訳者デビューをしたのは1998年でした。当時のBBCはまだ時間の流れもゆっくりしており、ニュースキャスターが読む原稿をPCからあらかじめ印刷したり、現地特派員のレポートも事前に視聴したりできました。自分が通訳者として納得できるまで日本語訳を推敲し、読み練習もした上で本番に臨めたのです。「最高品質の通訳をしたい」という思いを反映できる、そんな時代でしたね。

あれからほぼ20年。世の中の動きそのものも高速化しています。現在私が携わるCNNは「完全生同通」、つまりキャスターの原稿は一切なく、その日どのようなニュース項目が出るのかもわかりません。同時通訳ブースに入り、ヘッドホンをセットし、画面を見ながら通訳し始めて初めて、その日の話題がわかるのです。ニュースですので扱う分野も幅広く、世界情勢はもちろんのこと、医学や宇宙、エンタテインメントにスポーツなど多岐に渡ります。最大の予習方法は日ごろから新聞を丹念に読み、一般常識をたくさん携えること。不意に出てくる話題にも知識力でカバーするのみです。

そのようなことから、本番中どうしても訳せないという状況に私はよく直面します。ブース内は一人体制で、国際会議通訳のように2人一組でパートナーがサポートするという体制とは異なります。数字や固有名詞をメモしてくれる助っ人もいませんので、自分一人で対処します。とりわけ大変なのが早口で述べられる数字、それも桁が大きければ大きいほど訳す際に苦戦します。特に日本語と英語では100万から1兆までの訳が難しく、たとえば800 millionなら「8億」、一方、9.5 billionは「95億」という具合です。細かい数字が何ケタも述べられるととても追い切れません。

ではそのような時どうするか?本来であれば「聞いた通りすべてを正確に訳す」のが通訳者の使命ですが、どうしてもできない場合はざっくりと訳さざるをえません。「およそ~」を用いたり、「要は大きいことを言いたいのだな」と推測できれば「莫大な」と訳したりすることもあります。

他にも番組ゲストの名前と肩書きが聞き取れず、「では『専門家の方』に伺います」と訳すことも少なくありません。通訳しつつ頭の中では「え?何て名前だっけ?画面下の字幕に出ないかなあ。もし出てくれれば記憶しておいて最後の最後で『○○さん、ありがとうございました』とせめて滑り込みセーフでキャスターの訳のところで入れられるのだけど」などと考えることもあります。いずれにせよ「訳せない原因」は、「超速すぎて頭の中の単語変換が追い付けない」「そもそも知識を知らず、一般常識力で補えない」「単なるド忘れ」の3つが原因だと私は分析しています。

何とか沈黙せずに同時通訳を終えられても、自分としては勉強不足・経験不足を痛感する毎日です。私の場合、自宅の最寄り駅までの帰路は電車内でもっぱら「一人反省会」をしているのですが、「今日はパーフェクト!」などと言う日はまずありません。「あの分野、このトピック、まだまだ学ばなければ」という強い思いを抱きながら家路についています。

デビュー当初はあまりの自分の不出来に情けなくなってしまい、お客様にもエージェントにも顔向けができないと思い悩んだこともありました。ただ、通訳業の場合、仕事の失敗は仕事で挽回するしかないのですよね。自分の弱点をまざまざと現場で見せつけられたなら、その悔しさをバネにして一層勉強するしかありません。「ああ、できなかった」「どうして自分はあんなにヘタなんだろう」と嘆いたところで、真正面から学習をしなければ一ミリも進歩できないのです。

ただ、長年の経験と共に「落ち込み過ぎないこと」も術として身についてきたと私は感じます。落ち込むことで反省につなげることもできますが、「落ち込み」はややもすると「できなかった自分への言い訳」と化すこともあります。自己の不出来を合理化しすぎてしまうと、「さらなる勉強をしなくても良い」という理由づけになってしまうのです。

私にとって最善のとらえ方。それは「あの時はあれがベストだった」という考え方です。「あれ以上の通訳はできなかった。けれどもあれ以下で妥協せずに頑張った」と思うことなのですね。あとはそこからどう動くかです。通訳勉強にゴールはありません。だからこそ、これからも謙虚に学び続けたいと思っています。

(2017年5月1日)

【今週の一冊】

「世界の廃墟」 佐藤健寿著、飛鳥新社、2015年

「高所恐怖症」とまでは言わないものの、数年前まで私は歩道橋も怖いぐらい高い所が苦手でした。今ではだいぶ慣れましたが、それでも札幌や名古屋のテレビ塔に上った時は足がすくみましたね。けれども人間というのは「怖いもの見たさ」の心理があるのでしょう。コワイと言いつつ、展望デッキのある最上階まで向かうことが私の場合少なくありません。

今回ご紹介するのは、そんな人間の「怖いもの見たさ」を集大成させた一冊と言えそうです。テーマは「廃墟」。編集者は世界各地の「奇妙なもの」を追いかける佐藤健寿氏です。

日本の廃墟で有名なのは世界文化遺産に登録された軍艦島。島の正式名称は長崎県の「端島(はしま)」です。本書にも海に浮かぶ巨大な軍艦島が紹介されていますが、いつ見てもその光景は独特です。本書に描かれている他の廃墟同様、家財道具をそのままにしてこの地を人々は後にした様子が如実に描かれています。

本書をめくっていると、他にも道半ばにして建築がとん挫した中国の遊園地、表側だけがガラス一面に覆われ、裏はむき出しになったまま建築中止となった平壌のビル、開通することなく駅だけ残されたベルギーの地下鉄など、世界各地の廃墟が紹介されています。

ただ、本書を読みつつ私はこうも思ったのです。

今、自分は世界各地に点在する奇妙な光景を写真で見ている。けれども、実際に今この瞬間、着の身着のままで自宅を後にし、安全な場所を求めている難民がシリアを始め世界にはいるのだ、と。

本書を通じて私は「今を生きる人々」を忘れてはならないと思わされたのでした。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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