INTERPRETATION

第310回 だめなら次の方法で

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今から随分前のこと。ジョギングブームが始まりかけた頃でした。個人的に悩みやらストレスやらが同時期に襲ってきたこともあり、「食」に逃げていた時期があったのです。下の子の出産後、せっかく元の体重に戻ったと思いきや、ムチャ食いで重くなってしまい、個人的にも自己嫌悪のピークにありました。

傍から見ればさほど重そうではなかったので、「え~、それぐらい増えても大丈夫よ~~」と励まされていたのですが、私としては体重が1キロ増えただけで倦怠感に見舞われてしまうのです。そこでジョギングの流行にあやかり、走り始めることにしました。

最初のうちはマンションの周りの一画を走るだけでふーふー言うありさまでした。しかし毎日続けていると少しずつ距離が伸びてくるのですね。そのうち数十分走っても疲れなくなり、季節の移り変わりや街並みを楽しむ余裕まで出てきました。

そこで味を占めたのを機に、マラソン大会に出るようになりました。3キロ、5キロ、10キロと少しずつ距離を伸ばし、ハーフマラソンを完走できたことは本当にうれしかったですね。当時は雨の日も走るぐらいランに魅了されていましたので、そうした日々の努力が実ったことを幸せに感じました。おかげさまで体重も元通りになり、しかも人生初のベスト体重にまで絞ることができ、フットワークも軽くなりました。以前抱えていた悩みもなくなり、マラソンのお蔭で人生が変わったのは本当にありがたく思えました。

しかし、熱中しすぎたのがいけなかったのでしょう。股関節の痛みに悩まされるようになり、整形外科を受診。レントゲン検査の結果、生まれつき骨に微妙なずれがあることがわかり、固いコンクリートを長時間走り続けることは控えるよう言われました。

私としては「一生に一度で良いからホノルルマラソンに出たい」という思いがありました。けれどもドクターストップであれば仕方ありません。コンクリートを「走る」のがダメでも「歩く」ことはOKなのですから、それではと今度はウォーキングに励むようになりました。同じ時間で比べてみると、歩いた場合の行動半径はぐっと縮まります。けれども外の空気を吸える幸せは引き続きあるわけですので、楽しめていましたね。

ところがところが、やはりまた古傷の痛みがぶり返してしまったのです。「歩くだけなら大丈夫」と思ってはいたものの、やはり「限度」というものはあります。私の場合、熱するとのめりこむ癖があるため、ジョギングと同じぐらいの負担を関節にかけてしまったのでしょう。

「それならば」と次に取り組み始めたのが「早朝の自転車乗り」です。もともと自転車は好きなのですが、「ランやウォーキングの方がトレーニングになるはず。自転車はこいでいるだけで、あまりダイエットにはならないのでは?」という思いがあったのですね。それでずっと避けていたのでした。

しかし、いざ自転車で日の出とともにこぎ出してみると、これまた実に快適であることがわかりました。仕事をしてくれるのは「足」と「ペダル」だけですし、後ろの自転車かごにカバンなどを入れても体自体は身軽です。ウォーキングやジョギングの時はお財布すら持たずに出ていたのですが、自転車であればフラッとコンビニに立ち寄り、買い物をしても荷物になりません。

そう考えると今の私のライフステージでは朝の自転車が一番合っているのでしょうね。これまためぐりあわせを嬉しく感じています。

日々の生活の中で「できなくなってしまったこと」というのは思いのほか精神的に応えます。「昔はできていたのに」「○○さえしなければこんな事態にはならなかったのに」という思いも出て来るでしょう。「失ったこと」や過去への後悔に苦しむことがあるかもしれません。

けれども過去はどう頑張っても変えられないのですよね。それなら「じゃ、次にできることは何だろう?」ととらえ、必死になってそれを探し出すのみだと私は思います。

今にして思うと、エネルギーあふれる年齢の頃、マラソンができたのは本当に幸せでした。コンクリート上のウォーキングはやはり関節に負担となりますが、スポーツクラブのウォーキングマシンなら大丈夫です。そして今、自転車のおかげでさわやかな初夏を楽しんでいます。

新たな境遇は、必ず別の世界を連れてきてくれる。

だめなら次の方法を考えれば良い。

そのように私はとらえています。

(2017年6月12日)

【今週の一冊】

「書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト」 松原隆一郎・堀部安嗣著、新潮社、2014年

先日のこと。とあるホームパーティーに招かれました。主人の知り合いで家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている先生のお宅です。その先生は現役で指導に携わりながら、ご自身の研究も精力的に行っていらっしゃいます。

数年前にもご自宅を訪ねたことのある主人から、「先生の蔵書はとにかくすごい!」と聞いていました。そこで今回、私も見学させていただきました。ご自身の研究テーマの本はもちろんのこと、多様な本が書斎には並び、実に圧巻でしたね。これだけの「知」を授業の場で先生を通じて学べる生徒さんたちは本当に幸せだと思います。

私も本を読むのが好きですが、我が家のスペースに限りがあることから、読み終えるとさっさと手放してしまうタイプです。その分、今は勤務先の大学図書館にお世話になっています。

本というのは、読み手の思考の歴史が反映されます。そう考えると、本は処分せずに保管しておいた方が、自分自身の「知の変遷」を再度たどることができるのですよね。保管できるのであれば、とっておくことに越したことはないなあと感じます。

そのようなことを考えていたところ、今回ご紹介する一冊に巡り合いました。本書は「実家の思い出をそのまま残したいと」いう思いを抱く社会経済学者と、それを書庫という形で実現させる建築家による一冊です。話し合いから完成までのいきさつが綴られています。

その書庫は小さな敷地に完成しました。けれども工夫をすれば、素敵な建物が出来上がるのですね。中は壁一面に書棚があり、らせん階段でフロアが結ばれています。階段をのぼりながら書棚を眺める。そしてまた次の棚へという具合に、思考も流れるように知の世界を泳ぐことができそうです。

私個人にとっては、このような立派な書庫は夢また夢ですが、それを実現させた方々の体験談を読むだけで、どっぷりとその世界に浸ることができます。本書を読むと、何だか今すぐ本が読みたくなります。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END