INTERPRETATION

第314回 調子が出ないときどうする?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の準備や英語の勉強というのは、つくづく「体育会系」だなあと感じます。コツコツと練習を積み重ねること、体力を要すること、集中力が求められることなど、スポーツ選手の活動と通じるところがあるからです。

体調も良好で気分も前向きであれば、トレーニングにも励みやすくなります。けれども人間は機械ではありません。調子が良いときもあれば、今一つのときもあります。すべて良い状態であれば、あれこれ考えなくとも取り組めるのですが、いつもそうとは限りませんよね。

体力が落ちてくると私の場合、ついつい行動をとるよりも「考えること」に時間もエネルギーも取られがちになります。たとえば学期末の「採点作業」。テストの丸つけを試験当日にするか、日を改めて取りかかるかで迷います。テストを実施した日の夕方や夜というのは、一日の終わりで疲れているので、できれば体力を挽回してから取りかかりたいという思いもあります。けれども大量の答案用紙を前にすると、また別の日というのもそれなりに大変です。つまり、「残っているエネルギーで当日中に一気に仕上げるか」、それとも「充電してから後日改めて取りかかるか」で迷ってしまうのです。

確かに体力を挽回してからの方が集中力も増すでしょう。けれども私の場合、「よっこらしょ」という感じで再スタートを切るにもかなりのエネルギーを要します。ですので最近はもっぱら「とにかく当日中に取り組めるのであれば、一気におこなうこと」と言い聞かせています。体力的には少々辛いですが、あえてその日のうちにすぐ仕上げてしまった方が、完了したときの自己評価と満足感がとても高くなるのですね。「お~~、忙しいのに、疲れているのによくがんばった、自分!」という具合です。

これは仕事に限らず、他のことでも応用できそうです。大変なときほど、ほんの少しだけチカラを振り絞ってみる。その上で何かが達成できれば、大きな喜びとなるのですね。「できなかった自分」「やらなかった自分」というのは往々にして「自分イジメ」の材料になってしまいます。その逆もまた然りで、たとえわずかでも進歩があれば、自分への大きな自信につながると思うのです。

「調子が出ないときの対処法」として、他にも私はいくつか心がけています。たとえば、どうしても勉強に集中できないときは、あえて「勉強している人が大勢いる場所」を探して出かけます。最近のカフェはお一人様が多く、皆、仕事や勉強をしています。おいしいコーヒーに適度な雑音、そして集中して取り組む人たちがいると、私も必然的に目の前のことに焦点をあてやすくなります。図書館も同様の空間です。自宅で今一つはかどらないときは、こうした場所のお世話になっています。

なお、そのような場所へわざわざ出かけるときは、必要最低限のモノだけを持参します。読むべき資料、書くべき原稿のみ、という具合です。私はいまだにモバイルPCもスマートフォンも持っていませんが、取り立てて不自由せず現在にいたっています。出先で調べたいことがあれば、メモをして帰宅後にリサーチするという方法で何とかなっているのです。むしろ、せっかく集中できる空間まで出かけるわけですので、「到着したらとにかくやるしかない状態」を生み出すためにも、持ち物は極限まで減らし、自分を追い込むようにしています。

要は「大変」「面倒」というときほど、そうした思いに圧倒されずにすむ「仕組み」を自分なりに考えておくことだと思うのですね。私の場合、そうした状況のときほど、あれこれ迷わずとにかく取り組むという「即時性」、そして集中力を発揮できるような「空間」、取り組んだこと自体を自分なりに喜べる(?)「自己評価」の3つを大切にしたいと考えています。

(2017年7月10日)

【今週の一冊】

「暗渠マニアック!」 吉村生・高山英男著、柏書房、2015年

幼少期に生まれ育った横浜の家は、畑や林に囲まれた場所にありました。港や山手地区からずいぶん離れた場所です。「横浜」と言っても大きな街なのですよね。のんびりとした自然豊かな所で過ごせたのは幸せだったと思います。

当時の私の遊び場は、近所の友達と出かける空き地や林の中。近くには農業用の水路もありました。おそらく幅は1メートルぐらい。土手と土手の間にはコンクリートのポールのようなものが一定間隔に置かれていました。小さい子どもたちはそこを行ったり来たりして遊んでいましたね。もっとも、足を滑らせて下の水路に落ちたこともありますが、水深も浅く、高さも大してありませんでしたので、「わあ、濡れちゃった~」と大騒ぎしておしまい。当時は親ものんびりしていましたので、3歳ぐらいの子どもたちだけで出かけるなど当然という時代でした。

そのような水路で遊んだ温かい思い出があるからなのか、私はいまだに川や水路、暗渠(あんきょ)などに惹かれます。今回ご紹介するのは、暗渠に関する一冊です。

暗渠というのは、水路の上にふたをかけたもので、外からは水路であることがわからない状態になっています。たとえば我が家の近くには桜並木で有名なエリアがあるのですが、その並木の下は歩行者専用の道になっています。しかも両側は車一台分が通れる道路になっており、それに挟まれるような形で桜並木が続くのです。歩道自体も車道より一段高くなっています。この歩道こそが実は暗渠だったのですね。地図にはあえて暗渠の表示はありませんが、こうした特徴を持つ場所が実はたくさんあるということが、この一冊からわかります。

本書は主に東京都内および近郊の暗渠を紹介しています。興味深いのは、お二人の著者が観光資源としての暗渠を提案していること。近年、日本はアニメや和食などソフト面を国外にPRしていますが、実はこうした意外な分野も十分観光地としての魅力になりうるのですね。暗渠を巡る歴史や地理的なこと、暗渠周辺の観光地などと合わせてみると、確かに暗渠そのものが次世代ツーリズムにおける貴重な収入源になるのかもしれません。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END