INTERPRETATION

第346回 新年度のたびに思い出すこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

中学2年生でイギリスから帰国した私は、地元の中学校に編入しました。そのころはまだ学校が日本全国で荒れており、いわゆる「校内暴力」と言われていた時代でした。「金八先生」などの学園ドラマがはやったのもちょうどそのころです。

我が家はその中学校のグランドの裏手にありました。その学校は野球の強豪校として地元では有名で、その応援のためにブラスバンド部が校庭でよく練習をしていたのです。海外へ行く前の幼稚園時代、学校から金管楽器の奏でるメロディが聞こえてきたことを幼心に覚えています。

14歳で改めてその学校に通うようになってみると、荒れた状況を打開しようと先生方も苦心されていたのでしょう、授業や部活の現場では怒号と罵声が飛んでいました。ここに今書くのは憚られるような日本語が飛び交っていたのです。グランドにスピーカーを通して流れるそうした言葉は、近所中に鳴り響いていました。

校内暴力以前の日本では、「巨人の星」やスポーツマンガに見られるような、いわゆる「根性もの」が流行していました。指導者からどれほど(体罰を含めて)きつい指導を受けようと、それを乗り越えて勝利を手にするということが良しとされていたのです。それこそ「そんなにやる気がないなら、やめてしまえ!」と教員は捨て台詞を吐き、職員室へ引き上げる。そして部員全員が悔し涙を流し、部長と副部長が職員室へ謝りに行き、「先生、もう一度指導してください!」というのがお決まりのパターンです。私自身、そうした光景をその学校でも目撃しました。

私にとって、その展開はあまりにも衝撃的でした。と言いますのも、先生の態度というのは「思い通りにならない生徒に対して単にキレているに過ぎない」と映ったからです。自分よりも若輩者ができないのは当たり前です。できないから指導するのが教師の役目です。たとえ虫の居所が悪くても、言うことを聞いてくれない生徒たちであったにしても、捨て台詞を吐いたり、物を投げつけたりというのは、単に恐怖を若い世代に与えるだけにすぎません。むしろ「思い通りにならないとき、人間はキレて良いのだ」ということを体で若い人たちに教え込み、染み込ませていることになります。指導法としては最悪です。

私はイギリス暮らしが長かった分、このコラムでもイギリスを引き合いに出すことが多くなります。もちろん、イギリスが「すべて」ではありません。日本の方が優れている部分も数えきれないほどあります。けれども、こと上記のような指導に限って言えば、当時の14歳の私は先生のやり方に大きな反感を覚えました。イギリスの学校の先生は、厳しい指導をしたものの、「キレる」ことはなかったからです。むしろスポーツや芸術などの課外活動の場合、どうすれば楽しく子どもたちがプレーしたり演奏したりできるかに心を砕いていました。練習日が日本と比べて圧倒的に少ない分(週2,3回)、限られた時間をどのようにして密度の濃い練習にするか工夫をしていたのです。

日本によくあるパターンというのは、たとえば「中学のバスケ部は本当にきつかった。もうバスケなんてやりたくない。でも良い経験だった」と後述することです。自分のそうした辛い時代を振り返った際、「良い経験だった」とでも言わない限り、あまりにも当時の自分が浮かばれないからでしょう。確かに「理不尽さ」を体験できたという意味では何かしらの修行にはなったかもしれませんが、同じ時間を費やすならもっと別の方法があるはずです。イギリスの中学校の場合、「スポーツや芸術などの課外活動をきっかけに、自分を生涯支えられる楽しみを身につけさせる」という方針があったのです。

怒号と罵声とまでは言いませんが、私が若いころに学んでいた通訳スクールも、やはり「根性論」的な要素がありました。講師があまりにも高圧的で怖く、本来であれば出てくる訳語にも詰まってしまうという授業は私にとって苦痛でした。結局私はそのようなクラスに早々と見切りをつけ、それでも通訳者になるという夢はありましたので、自力で100社近いエージェントへ履歴書を送り続けました。「緊迫した雰囲気で通訳する訓練」というとらえ方も、あの授業にはあったかもしれません。けれども少なくとも私は、自分が教壇に立つならば別の方法で指導をしようと当時、心に誓いました。そして4月が近づいてくるたびに、そのことを思い出しているのです。

(2018年3月19日)

【今週の一冊】

「世界鉄道切手夢紀行」 櫻井寛(写真・文)、日本郵趣出版、2017年

著者の櫻井氏は日経新聞の夕刊でコラムをお持ちです。鉄道や旅に関する氏の文章を毎週興味深く読んでいたところ、偶然今回ご紹介する本に出合いました。本書は切手をキーワードに世界の鉄道を紹介するというコンセプトで作られています。

私は幼少期に切手を集めていました。今では収集をやめてしまったのですが、子供のころは切手を通じて国名を覚えたり、図柄を読み解いたりして何時間でも切手とにらめっこしていましたね。本書で紹介されている切手の中にはなじみのものもありました。

私はイギリスが好きなので旅行もロンドンなどがメインになるのですが、本書を眺めていると、世界には本当にたくさんの国があり、美しい光景が存在することに気づかされます。テレビの紀行番組や書籍などで「一生に一度は行きたい・見たい」と紹介されている場所がありますが、本書を読み進めるにつれ、同様の思いが沸き上がってきます。

中でも興味深かったのがイギリスで2016年に発行された「アガサ・クリスティ」の切手です。没後40年を記念したもので、図柄は「オリエント急行の殺人」です。櫻井氏の説明によると、この切手は温度によって色が現れる「示温インキ」が使われており、切手が温まると電車の窓辺に凶器を持った犯人の絵が浮かび上がるのだそうです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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