INTERPRETATION

Vol.72 ピカソとの出会いが私の人生を変えた

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

北村真澄さん Kitamura Masumi
外資系のヘッドハンティング会社でのディレクター業務をご経験。
その後、同僚の方々とヘッドハンティング会社を共同でお立ち上げ後、外資系保険会社、外資系銀行などでエグゼクティブアシスタントとして長年経験を積まれる。
絵画を長年のご趣味とされている。

本日のハイキャリアインタビューは北村真澄さんです。北村さんは英語秘書としてたくさんのお仕事を一緒にさせていただきました。北村さんはプロフェッショナルなお仕事姿勢はもちろんのこと、お人柄も素晴らしく、クライアントだけでなく社員の中にもたくさんファンがいます。今日は息長く、モティベーション高く仕事と向かい合ってこられた秘訣をお伺いしたいと思います。

工藤:本日はインタビューのお時間をいただきありがとうございます。北村さんにご登録いただいたのは確か2005年だったと思うのですが、どのようなきっかけで弊社にご登録されたのでしょうか?

北村:当時の職場の同僚から紹介されたのがきっかけです。話は少し長くなってしまいますが、私は1998年に友人と一緒にヘッドハンティングの会社を立ち上げました。会社はスムーズに立ち上がって1年後は配当も出せるほどに成長したのですが、毎日早朝から終電まで仕事していて心身ともに疲れてしまいました。このままではいけないなぁ思った時に、海外の美術館を回りながら、8ヵ月ぐらい放浪していた時のことをふと思い出したんです。当時私はピカソに夢中になっていたのですが、思い立って夜に絵画教室に通うことにしました。
最初学校の中のアトリエを訪れた時、不思議な感覚ですが頭がぐるーっと回って気絶するような衝撃を受けました。「私がいるべきところはここだ」と直感的に思いました。今までは自分の心に鞭打って仕事中心の生活をしてきましたが、その瞬間に生きがいを見つけました。すぐに「絵をやりたいから会社を辞めたい」と仲間に伝えました。

工藤:周りはびっくりされたのではないでしょうか?

北村:ええ、創業メンバーなのに何を言っているのかという感じで、最初は全く理解してもらえませんでした。最終的には株主として残るのを条件に、半年ほど時間をかけて仕事を辞めました。当時お世話になった友人に「私は好きな絵を描くために仕事を辞める」と伝えたところ「いいなぁ、僕も本当はフランスに行って小説を書きたいんだ」とおしゃっていました。その方がしばらくしてからご病気で突然お亡くなりになったんです。そういうこともあって私自身は好きなこと、今やりたいことをやろうと心に誓いました。ただ絵ばかり描いていても生活費も必要なので、御社に派遣社員としての登録にお伺いしました。

工藤:大きな転身ですが、迷いはありませんでしたか?

北村:全くありませんでした。元々私はビジネスライクではなく、お金儲けにも全然興味がなかったんです。

工藤:私が一つ印象に残っているのは、弊社の社員が北村さんの生き方に触発されて、ナレーターになりたかった自分の夢を思い出して、学校に通い始めました。今では仕事と両立しながらテレビ局でナレーションの仕事もしています。北村さんのお話には人の心を動かす力強さを感じます。

北村:そう言っていただけると嬉しいです。挑戦することに年齢は関係ないと思います。私も絵を始めて今年で23年目になります。

工藤:長いですね。北村さんの展示会にお伺いしたこともありました。ところで北村さんと英語の出会いはどのあたりでしょうか?

北村:1981年、まさにピカソの生誕100周年の年に、当時私は30歳ぐらいだったのですがオックスフォードにある秘書学校に入学しました。10代後半の学生と一緒に勉強し、速記も習得しました。速記の成績はトップクラスでしたが、聞き取りが苦手で落ち込みました。

工藤:当時は留学する方も少なかったのではないでしょうか?

北村:そうですね。学校卒業後最初にレコード会社に就職したのですが、当時は残業も多く、利率のいい財形もあったので数年である程度まとまったお金を貯めることができました。毎日はそれなりに充実していたのですが、「このままでは私の人生はあまり変わらない」と思ったんです。それで仕事を一旦やめて留学しました。当時は1ポンド580円の時代だったのですが、自分の貯金で留学しました。留学で行き詰った時はオックスフォードからロンドンに行ってピカソの絵を見て過ごしました。絵に夢中になって何度もロンドンに通い続けたのですが、学校から勉強もきちんと勉強するように言われ、同級生からも励まされて最終的にはディプロマを取得することができました。ジョン・レノンがなくなったのもチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚もちょうどこの時期です。

工藤:帰国後は英語を使ったお仕事をされたのでしょうか?

北村:そうですね。帰国後は外資系のヘッドハンティング会社を中心に社長秘書やリサーチ、ドキュメントのチェック、ヘッドハンティングの仕事を経験しました。ブラックマンディで会社の倒産処理も経験しました。留学前は本格的に英語の勉強はしていなかったのですが、留学後は英語力を仕事に生かすことができました。

工藤:それから起業を経て絵を描く時間を確保するために、派遣社員という道を選ばれたんですね。弊社でもいろんな企業をご紹介させていただき大変活躍していただきました。特に一番印象に残っている派遣先はありますか?

北村:一番印象に残っているのは、外資系銀行での業務です。8年間派遣社員として働きました。とにかく忙しい部署で、「体裁を整えるのではなく、箇条書きでもいいので正確にポイントだけ早く伝えて欲しい」という要求でした。金融業界は変化が早いので、とにかくスピードを求められました。「北村さんはお仕事が早いですね」とよく褒めていただくんですが、それもこの職場で鍛えていただいたおかげです。

工藤:派遣先の上司の方が転職されるときに、北村さんを次の職場でもアサインしてほしいという依頼もありました。そのようにお声かけていただくのは実はとても珍しいケースです。最初から1年契約のオファーをいただいたのは、それだけ北村さんが優秀だったからだと思います。

北村:そんなこともありましたね。外国人のエグゼクティブの秘書の仕事は、パーソナルアシスタント的な業務も多いんですが仕事がとても増えた時があって、御社を通して時給の交渉をお願いしたら300円も見直していただいたことがありました。それも感謝しています。

工藤:北村さんは契約と契約の間に少しお休みを入れられていますよね?それも仕事を長く続く続ける秘訣ですか?

北村:そうかもしれません。一週間以上の休暇を取るのは正社員だとなかなか難しいですよね?私は仕事と仕事の間に少しお休みをいただいて、個展の準備をしたり、断捨離をします。それがリフレッシュになっています。

工藤:北村さんはいつお会いしてもお元気なんですが、落ち込むこともあるんですか?

北村:もちろんありますよ。絵はいつも浮き沈みがあります。モティベーションが落ちた時は、以前だったら美術館に行って触発されていたのですが、今は着物や陶器など全く違うものからインスピレーションを感じています。

工藤:労働安全衛生の調査によるとメンタルヘルス不調で一ヶ月以上休職している人が年間24万人を超え、社会問題になっています。北村さんは息長くお仕事をされていますが、そのエネルギーはどこから生まれてくるのでしょうか?

北村:私も仕事が大変な時は嫌だなと思います。昔みんなに「ゴム毬」だと呼ばれていました。高いところから落とされれば、落とされるほど高く飛び跳ねるゴム毬のようだという意味です。本当は小心者なのですが、逆境には強いと思います。10年以上ヘッドハンティングの仕事をやっているので知らない人に電話するのは抵抗ありませんし、外資系銀行で仕事をオーガナイズするスキルが身につきました。人と話すことも大好きです。今は有能な若者と一緒に働けるのが何よりの生きがいです。今回は医療分野でのお仕事だったのですが、そこで働く人達の真摯に勉強されている姿を目の当たりにして刺激を受けました。もちろん年齢的に自分のキャパシティーはよく分かっていますが、一歩でも前に進みたい、新しいことを学びたいという好奇心があります。

工藤:健康管理はどうされているのでしょうか?

北村:私は永遠の35歳だと思っていますが(笑)、ずっと動ける体でいるために3年前から筋トレを始めました。また仕事と絵で心身のバランスを取っています。一つの仕事を続けることはとても素晴らしいことだと思いますが、仕事とは全然違う世界を持って、そこで自分を解き放つのもいいと思います。仕事で落ち込んでいる時に、もう一つの世界が癒しになるかもしれない。それが私にとって絵を描くことなんです。

工藤:おいくつまで仕事を続けようと思っていらっしゃいますか?

北村:本当は80歳までと言いたいところですが、後期高齢者になるまで仕事を続けられたら幸せですね。あと一つ夢があって、70歳を過ぎたらオランダに渡って、自分の描いた絵を路上で売って生活したいと思っています。オランダは今まで2回行ったことがありますが、絵とチューリップの球根に投資する国です。これからは壁に掛けられるような小さな絵も勉強するつもりです。

工藤:夢がどんどん広がりますね。

北村:私はピカソに出会って人生が変わりました。人生は何があるか分かりません。田辺聖子が「あーた、70歳になったんさい。これほど楽しい人生はない。」と言っていました。これからの人生も思いっきり楽しもうと思っています。

工藤:本当に元気は伝染しますね。最後に若い人に向けて一言お願いします。

北村:私は昭和28年に生まれ、まだまだ世の中は発展途上でしが、21世紀に向かっていくという夢がありました。長野の温泉町で生まれ育ちましたが、東京に出してくれた両親には感謝しています。当時田舎ではまだまだ女性は家に入る者という考えが根深くありましたので、一人で自分探しの旅ができたことはラッキーでした。若い人に伝えたいのは、頭で考える前に一歩前に踏み出してみたらいいと思います。そして失敗は恐れるのはいいけど、それで挑戦を止めるのはもったいないということです。失敗は後で必ず宝物となって戻ってきます。そして最後にありきたりな言葉かもしれませんが、継続は力なりだということです。私も御社と出会って、本当に長い期間沢山の仕事をご紹介いただき、ここまで来られて良かったと思っています。

■北村さんの作品をいくつかご紹介いたします。各作品につきまして、ご本人に解説もいただきました。
是非ご覧ください!

『桃色の雲』(英語タイトル Pinkish clouds) :
2015年10月におこなった個展の”花と空と女性” シリーズの一枚で、F0号の小さなキャンバスにボディを花模様で覆い、桃色に陽を浴びた雲に腰掛けたら気持ち良さそうと思い想像が広がりました。

『フォルム-背中』(英語タイトル On the earth) :
Instagramに載せた英語タイトルのほうが、描いた意図に合う思います。私の描きたい対象は人物で、女性です。人のからだは美しく、着衣では見つからないフォルムや見えない身体の鼓動や会話が感じられるような作品が表現できるようになりたい。それに宇宙の中のひとつの存在をさりげなく描いてみたい、などと願っています。

『ここから 2021』(英語タイトル From now on 2021):
コロナ禍、地球温暖化など、逃れられない現実に向かいあうとき、毎日ささやかな意識を保って出来ることを続けていくために、少しファンタジックに実験的に描いてみました。ピンクの髪の女性は願う救いの化身です。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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